第591回 フルヴァツカをいく!⑥

マリアンへの坂はとても急で、傾斜のきつさに息切れするほどでした。でも、目の前の曲がりくねった石畳の坂道より上に視線をうつすと、そこには太陽がキラキラと、音が聞こえてきそうに輝いているのです。一歩、また一歩と歩みを進めるたび、その太陽に近づいていくような錯覚を感じながら、その光に導かれるままに坂を登りました。

ふと、紫外線対策をしてこなかったことを思い出しました。ヨーロッパを旅するとなぜか、「この太陽の光をはねのけるなんて、もったいない!太陽に肌を焼かれたい!」と、思ってしまうのです。いっぱいに日光を浴びてすくすく伸びているフェニックスのように、できることなら光合成をしてみたくすら、なるのです。すべてものを鮮やかに照らし、こんなにもきらめいている世にも美しいエネルギーが人間の体によくないなんて、どうしても納得できない…。日本に帰ってから後悔することになるとは、わかっているのですが。

(“日焼けしながら汗だくになって”と書くとエレガントではないので)そうやって”太陽と戯れながら”、とにかく坂をのぼりきると…。そこには、思いがけない風景が待っていました。マリアンとは、碧いアドリア海や海沿いのプロムナード、そして城壁の街並みや背後に迫っている白い岩の山脈まで、すべてが見渡せる丘だったのです。

ガイドブックには載っていないものの隠れた名所なのか、フランスやイギリスからの団体客がたくさんいて、それぞれのガイドさんから説明を聞いていました。ベンチで水分補給しながら食べた、先ほど買ったお菓子の格別においしかったこと!…下界(!)のホテルから彼らが登ってきた一本道があることが判明したので、帰りはそこからとんとんと降りたのですが、私の歩いてきた遠回りできつい傾斜の道のほうがずっと美しく、風情がありました。

そこにはどのくらいでたどり着けるのか、そこにどんな景色が待っているのかわからないまま、遠回りしつつ汗をふきふき息をきらして登ってきたからこその感激を、かみしめました。ちょっとオーバーですが、先が見えないことを怖がらず、一歩一歩を踏みしめ、積み重ねたすえに得られた絶景とその喜びは、宝物のような思い出のワンシーンになりました。

翌日のクルカ国立公園へのツアーの予約をすませ、ひとやすみして夕食の買出しにいきました。せっかくキッチンがついているので、この日は部屋食にすることにしたのです。スーパーで量り売りの野菜やチーズ、スモークサーモンやパンを買い、さて、ワインをどうしよう…。

こういうときは、店員さんに聞くのが一番。ワインコーナーにいらした、スーパーのエプロンの似合うマダムに声をかけました。「すみません、地元の白ワインで、お値ごろでおいしいものって、どれですか?」「ごめんなさい…おっしゃっていることがわからないの」「ええと…。ワイン…白い…よい…」クロアチア語を必死で並べようとしていると、マダムがそこに通りかかった中学生の女の子たちに「ねぇ、助けてもらえる?」と、声をかけました。えっ?あの~…、マダム。ワインのことを中学生に聞くのは、さすがに如何なものでしょう…。

ところが、マダムは「この方が話していること、通訳してくれない?」とたずねたのでした。彼女たちは私の言った英語を的確にクロアチア語に翻訳し、エプロンのマダムに伝えてくれました。そして、マダムの言うことを英訳して私に…。

こうして私は、果たしてマダムのオススメの“お値ごろでおいしいワイン”を手に入れ、広いアパートメントの部屋で地元ワインつきディナーを満喫できたのでした。

その翌朝、長距離バスターミナル付近の港からクルカ国立公園ツアーのミニバスが出発しました。メンバーはアメリカ人夫妻、ロシア人親子3人、クロアチア人ガイドのアントニオと私の、7人。クルカ国立公園はプリトヴィツェのように大きくなく、1~2時間でゆっくりと公園全体を歩ける規模でした。ミニバスをおりてしばらく歩いて、ふと気づくとアントニオがそばにいたので、なんとなく話をしながら歩くことになりました。「スプリットには、いつまで?」「明日まで。明日はドブロブニクに行くの」「ドブロブニク!とても美しい、いいところだよ。昨年、“ヨーロッパ人に人気の観光都市”第二位にランクインしたんだ」「そうなの?でも…二位?一位は?」「一位はリスボンだって」「ふ~ん、なんだか意外…」アントニオはきれいな場所で写真を撮ってくれたり、クルカ国立公園の植物について、また、季節によって出没する動物について、はたまた、好きなビールの銘柄(“カルロバチコ”なのだそう)について、教えてくれました。

公園のトレッキングのあと、世界遺産に登録されている聖ヤコブ教会のある古都シベニクに立ち寄りました。車中でアメリカ人の奥さまと、いろいろな話をしました。「ザグレブにもいらしたの?」「はい。なんでしょう、ここダルマチア地方とは、人の雰囲気がずいぶん違う気がしました」「そうね!ぜんっぜん違うわよね。ザグレブの人たちのほうが、真面目で寡黙、な感じよね」「ドブロブニクにも行かれるのですか?」「ええ。多分、明日かあさってね。私たちの旅はな~んにも決めないで、いつも気まぐれなの。だって、どの街がどのくらい自分たちの好みにあって、どのくらい滞在したい気分になるか、その場になってみないとわからないもの。あなたは?」「私は明日の朝、ドブロブニクにたちます」「あら、じゃ、ドブロブニクでお会いするかもしれないわね!大きくない街みたいだし…」

シベニクを出たときに降りはじめた雨は次第に雨脚が強まり、やがてワイパーを最速にしても前が見えにくいほどの大雨になってしまいました。そして、なんということでしょう。この雨が思いもかけない展開(ロマンス!?)を連れてくることになったのです…。

(フルヴァツカをいく!⑦に続く)

2012年11月24日

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