第573回 心のマッサージ

経験がないので、入院生活がどのようなものなのかわかっていません。入院した身内や友人をお見舞いにいったことはあるものの、病室で24時間過ごす日が何日も続くのはどんなものなのか、想像もつきません。

以前、友人のお見舞いに行ったとき、その食事の内容に驚きました。ある程度はしかたのないこととはいえ、プラスチックのトレーや食器に、見た目も、味も(*塩分表示からの推測)、「あなたは病人なんですから」と、刻印を押されたような気持ちにさせられるようなお料理ののった、お膳。そのくせ、材料には化学調味料や安全性の確認されていない食品添加物が含まれていたりするのです。その矛盾にどうしても納得がいかず、病院の栄養士を辞めた友人もいます。身体の健康をとりもどすには、心の充実が不可欠。頑張って病を克服するぞ、という気持ちを萎えさせるような食事内容に、心が痛みました。

ふと、給食が苦手で仕方なかった小学校時代を思い出しました。四時間目が終わるころになるとどこからともなく漂ってくる、あの、どうしても美味しそうだとは思えない食べ物の匂い。迫りくる給食の気配に、お腹はすいているのに怯えるような思いでした。

教室の前方で“配給”される、アルミの食器にのったいくつかの生温かい料理たち(注:筆者はアルミやプラスティックの食器が苦手)。それらを、口の中を傷つけそうな先の割れたスプーンにのせ、いちいちこわごわ、口にもっていきます。メニューには関係なくノルマのように出てくる牛乳びん。誰かが決まって開封に失敗し、顔に飛ばしてしまうのです。ただでさえ食べにくい、イースト菌の匂いの強いパンなのですが(本来、パンは大好きなのに…)、添えられたビニール入りのマーガリンやジャムは、不器用な私にとっては開封するのも億劫で、ますます食指が動きません。そして、ご丁寧に、茹でた野菜を食べるために添えられたマヨネーズのパウチの中身は、たまにアクシデントによって机を飛び越え、下に落ちては誰かの足に踏み潰され、その摩擦で周囲に異臭を漂わせます。食べるたびに手をベタベタにしなければならない数々のビニールのパウチとの格闘のせいで、食べ物の量はなかなか減ってくれません。

なおかつ悲劇的なことに、先に食べ終わった悪友がヒマにかまけて笑わせるので、牛乳もすんなり飲み干せません。したくはないのですが、ついもたもたしてしまいつつ、みんなに迷惑をかけないよう制限時間内に食べ終えなくては、と、焦る気持ちでいっぱいになり、味わうことなどとてもできません。と、いうより、私にとってそれはデイリーな“プチ拷問”的時間でした。

もちろん、友人にも両親にも、そのことで文句など言ったりしませんでした。今でこそ、アレルギーや嗜好のために食べられないものや苦手な食べものがある子どもたちもきちんと許容される世の中になりましたが、当時は食べ物の好き嫌いや不満を言うことは許されず、そんなことを言う子はたちどころに“悪い子”とされてしまう時代でした。

考えてみたら、給食は最高に苦痛だったし、みんなが大好きなドッジボールやバレーボールなどの球技も、つき指が怖くていっこうに楽しめなかったけど、よくも毎日、嫌がらずに学校に通ったものです。それどころか、学校が好きで好きでたまりませんでした。夏休みの後半など、宿題に追いやられつつも始業式までの日数を指折り数えて待ちわびるほどでした。それというのも、よい先生と友人に恵まれたからに他なりません。

とはいえ、今でいうところの“いじめ”のようなものも、まったくなかったわけではありませんでした。同じクラスに少し智恵の遅れた女の子がいて、よく男の子に泣かされていました。でも、そのたびに、私を含め女子が何人かで撃退したり、ある時にはリベンジ(!)したりして、先生に通報する以前に解決してしまうことがほとんどでした。ちょいちょい学級委員を仰せつかっていた私は、コトあるごとに本気で男子に抗議したりもしました(“コト”の原因は、大体男子でした)。彼らには「鈴木はウルサイ」と思われていたかもしれないけど、結局のところ、クラスみんな仲良しでした。

すべてが順調ではなく、苦手なもの、苦手なことはあっても、自分の居場所(役目)や友人たちとの信頼関係があったからか、さほど気になりませんでした。心が満たされる楽しさにくらべれば、給食の憂鬱なんて小さなものです。おしなべてあの頃は、まぁ飽きもせず、毎日実によく笑い、よく泣き、よく怒っていた気がします。

大人になるにつれ感情のコントロールもできるようになり、「そういうものだ」と、割り切るのも上手になります。一方、本当の幸福感、充実感とはどんなものなのか、頭ではなく心の奥のほうでちゃんとわかっているし、いつもそれを求めてもいて、得られないとストレスを感じます。美味しいものを食べたり、美しいものをみて癒しを感じるのは、喜んでいる“心の声”。いい音楽に触れて心が震えたり、涙が溢れたりするのは、“心のマッサージ”効果のあらわれです。折に触れて頑なになりがちな心に手を当て、ほぐし、開放させることは、大人になればなるほど必要になってくる精神の定期健診なのではないでしょうか。

先日、小学校時代の友人から数十年ぶり(!?)に連絡があり、この夏休みに初めての同窓会が開かれるとのお知らせを頂きました。生憎、その日は仕事でどうしても参加できなくて残念きわまりないのですが、次なる機会があることを信じて、その時を楽しみにすることにしました。懐かしい仲間との再会は、きっと私に大きな喜びをもたらして、効きめ抜群!な心のマッサージを施術してくれることでしょう。


2012年06月22日

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