第572回 ひとからひとへ

石垣島からもどって10日後、私は公開レッスンのお仕事のために、郡山に向かいました。「受講生の募集をしたら定員の枠がすぐにいっぱいになってしまって、後から『うちの子も受けさせたかったんです…どうしてもだめでしょうか?』というご父兄からの問い合わせが…」郡山駅から会場に向かう車中で、主催者の方が嬉しいような困ったような口調でお話くださいました。私にとっては、とても光栄なことです。

受講生は9歳から13歳の7人の子どもたち。初めて受ける先生のレッスンで、しかもそれが一般の方々に公開されるのですから、不安もあるでしょうし緊張するのは当たり前。でも、その子の実力や感性は、緊張している状態では充分に発揮されません。まずは、この場も私も怖くない(!)ことを知ってもらい、彼らにリラックスしてもらうことが肝要です。そこで、公開レッスンではまず、ひと通り弾いてもらったあとに必ず「ありがとう!」と、笑顔でお礼を言うことにしています。その後、演奏の出来栄えがどうであれ、できるかぎり良かったところや彼らのもっている良い個性についてコメントします。

どう弾きなさい、と教えるのは案外難しいことではありません。でも、本人がどう弾きたいのか、ということを引き出し、それをいかに実現させるか、しかも自分がもっとも弾きやすい方法で…、と、いったことを一人ひとりに“気づかせ”、“諭す”ことは、深い配慮と経験を必要としますし、教師としての力量が問われることです。しかも、お互いの信頼関係のようなものがないと、うまくセッションをすすめられません。公開レッスンでは、受講生の演奏技術だけでなく、レスナー(指導者)のスキルも聴衆に伝わってしまうのです。

そんな公開レッスンにおいて私は、人前で演奏することや、いつもお習いしている先生ではない、“第三者”からの新鮮な助言や提案を受け入れることをとおして自分の音楽観をぐっと広げ、最終的にはさらにピアノを好きになってもらうよう、導くことを心がけています。

レッスン中、その場でみるみる生徒さんの音が輝きを増し、音楽が生き生きとしてくるのが見て取れるのは、公開レッスンの醍醐味のひとつです。私のレッスンで皆さんの演奏がどんどん花開いてくるのはもちろん彼らの力によるところなのですが、ある人はそれを“美奈子先生マジック”と呼びました。ちょっとくすぐったいですが、そんなマジックが使える先生になれたなら、最高にゴキゲンなことです!

5時間に及ぶ公開レッスンを、最初から最後までずっと目を輝かせて聴講していた子どもたちもいました。すごい集中力です。終了後、私のところにきて個別に質問をしてくれる子もいました。

「美奈子先生、もう、皆さんから大絶賛!『よかったー』『すごくわかりやすかった』と、口々におっしゃって、皆さん笑顔で帰られましたよ。今日の受講生が聴講に連れてきた友だちの子も、『私も受けたかった~!』って悔しそうに言っていました。本当にお疲れ様でした。」主催者の方がこれ以上ないような言葉で労ってくださって、ホッと一安心。来月、もう一度公開レッスンに伺うことになっているのですが、それまでに彼らがどんなふうに成長しているか、楽しみで仕方ありません。

今回に際して、先日の石垣島でのダイビングのレッスン体験も、とてもよく反映されたように思います。まずは相手を緊張させないこと。そして、目の前のもの(海…ピアノ…)に興味を持ち、好きになるよう促すことの大切さを、改めて感じたのです。

子どもの頃は、いかにも威厳に溢れた雰囲気とお顔(尊敬と敬愛の念をこめて…!)の先生の前で震えそうになりながら弾いたものでした。それはそれでよい鍛錬になりましたが、桐朋学園時代に受講した、何人もの世界の名だたるピアニストからのレッスンは、本当にすばらしい財産になりました。なかでもハンガリー人ピアニスト、ジョルジュ・シェベック先生の、多角的な洞察と合理的にして洗練されたテクニックを示してくださったレッスンには、特に感銘を受けました。先生はすでに亡命され、アメリカのインディアナ大学で教鞭をとっていらっしゃいましたが、先生のバックグラウンドのハンガリーという国への憧れが深まる切っ掛けにもなりました。

ロンドンでお習いしていたアンジー・エステルハージ先生のレッスンしかり…。真のレッスンとは、その場限りではなく、後々まで末永くよき導きを受けられるものだと感じています。実際に、先生方からのさまざまな教えは、今も私の中で熟成しつづけながら支えになってくれています。

身の回りに、いろいろなプロフェッショナリズムを持つ友人がたくさんいます。学ぶことの楽しさや、支えあって生きることの大切さを伝えていく、小学校の教諭。珈琲の美味しさ、奥深さを伝えたいとの気持ちを抱いて、心をこめて日々焙煎や接客を重ねている珈琲店のマスター。自分を解放しさらけだして、劇中の人物を演じきる、俳優。被写体のおもしろさ、奥にひそむ見えないものを見えるものに映し出してしまう、写真家。

帰りの新幹線の中で、私もまた彼らのように、ひとからひとへ何かを伝えていく職業について生きていることの幸せを、しみじみと感じていました。次の日曜日には、また公開レッスンのお仕事が入っています。今度は、初夏の会津若松です。

2012年06月15日

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