第543回 「ソナタに恋して」にいたるまで 其のニ

実は東日本大震災が起こる前に、次回SYMPOSION Ⅵに関しての構想はほぼまとまっていたのです。

テーマは“郷愁のロシア”。プログラムとしては、前半がラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲やエチュード『音の絵』、後半にチャイコフスキーの『四季』からの抜粋や、ムソルグスキーの『涙』、アレンスキーの『ロマンス』のような小品を、考えていました。

6月あたりに、シベリア鉄道でウラジオストクあたりからサンクトペテルスブルグまで旅したいな、と計画もしていました。風光明媚なものを見るより、ロシアの大地と人々のにおいを感じたいと思ったのです。(注:蛇足ですが、震災前の2月11日の当エッセー第509回“ロシアへ、愛をこめてで、ロシアへの憧れを書いています。)

ところが、震災のあと、一向にそれらの曲が弾きたくなくなってしまったのです。いいえ、正確に言うと、弾けなくなってしまったのです。ロシアの涙のしずくのようなそれらの作品は、今弾くにはあまりにも悲しく、弾いていると音の向うに家を流された友人や、船を失った漁師さんの姿がちらちらとしてしいまうのを、どうすることもできませんでした。

それは、今思うに、単に彼らの曲のメロディーがもの悲しいから、ではなかったのです。そこに“北”の空気が色濃く感じられたから、なのです。彼らの作品のなかには、ピンと張り詰めた空気の凛とした冷たさと、そこに呼吸する人間の体と心の温かさ…それらのコントラストが曲の中に動脈と静脈のようにめぐっているのです。弾いていると被災地東北で寒さと余震に耐えながら生活している家族や友人たちへのさまざまな感情が溢れて、思わず指が止まってしまうのでした。

そんなある日、テレビで家も船も流されてしまった岩手の漁師さんのインタビューを見ました。「落ち着いたらまた、海に出たい。ずっと海で(漁をして)生きてきたから、海のことには自信があっからね。漁師にとって、これくらいの津波は想定内だ。怖くはないよ。海を愛してるんだもの。海と心中してもいいと思ってる」

そうおっしゃって、キッと唇をむすんで微笑みました。それは、迷いのない信念を感じさせながら、一方で子供のように無垢な表情でした。とても励まされ、涙があふれました。恐ろしい思いや、心が萎えそうになる挫折を何度となく経験され、乗り越えていらしたからこその言葉のように思いました。

その日、棟方志功の板画(注:彼は自らのそれを、あえて『版画』ではなく『板画』と呼びました。自分は印刷の「版」ではなく、「板」と生きているのだから、と。)を見なおしました。左目を失明している棟方さんは、わずかにみえる右目だけを頼りに、額を板に擦り付けるようにして、彫ります。「わたくしは、左目はまったくみえません。一つ目小僧ですよね。化け物のようなものなんですよ。それでも、ありがたいことにこんなに仕事させてもらってね」

彼はベートーヴェンが大好きでした。自らピアノも弾き、第九交響曲に構想を得た『歓喜柵』という作品も残しています。あるものを受け入れ、それを形にして伝える。強くあることは大切だけど、それだけではなく、力いっぱい、生きることの喜びと誇りを感じたときに、人は希望を得るのだということを、改めて感じました。

  原点にもどろう。

  ピアノという楽器、そして音楽が大好きな自分の魂が、今素直に喜ぶものを弾こう。

まずは、ベートーヴェンです。なんと言ってもソナタです。完成された形式が、自由な、真の開放を喚起するソナタというジャンルには、創作、解釈、表現…どの角度からも無限のベクトルが広がります。

そうなると、ソナタ形式を確立し、ベートーヴェンに最も大きな影響を与えて彼をソナタの魅力のとりこにした音楽家、ハイドンのソナタも是非弾きたい。次に、ベートーヴェンも遺書を書いていますが、ライン川に投身自殺を図ったこともあるシューマンが頭に浮かびました。彼の作品なら、愛してやまなかった唯一無二の女性、クララに捧げた作品のなかから、言葉や標題の力を借りることなく、自分の気持ちを音だけにたくして綴った第一番のソナタしか考えられない…。

ときめき、恐れ、喜び、憧れ…。リサイタルで弾くソナタのことをあれこれ考える私の気持ちを支配していたのは、そんな“恋”のような感情でした。「ソナタに恋して」というタイトルが、自然に頭に浮かんでいました。

(「ソナタに恋して」にいたるまで 其の三 に続く)

2011年11月04日

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