第541回 “お休みの日”って?

みなさんは、されると困る質問ってありますか?

私はいくつかあります。例えば「一番好きな作曲家は誰ですか?」…雑誌のインタビューなどで、こういった質問に対して、よく「バッハがライフワークです」とか「ショパンを一番近く感じています」と、的確かつスマートにお答えになっている演奏家がいらっしゃって、すごいなぁと思うのですが、私だったらまず、しどろもどろです。「それは、その時によりけりで…。ピアニストになろう、と決意するにあたってはショパンとの出会いが大きかったので、そういう意味では大切な作曲家ですが、いま弾いていて最も力をもらえるのはベートーヴェンです。でも、ひとりぼっちの無人島に一つだけ楽譜を持っていくとしたらバッハでしょうし…」

私にとってその質問は「友人の中で誰が一番好きですか?」と問われるに等しい違和感があるのです。音楽家に限らず、人間に好き嫌いの順位なんて、とてもつけられません。それぞれの良さによって、いつも励まされ癒されているのですから。

それから、「お休みの日はどんな風に過ごすのですか?」も、しどろもどろを呼ぶ質問です。空気を読んで(?)、素直に「ショッピングに行きます」とか、「趣味の食べ歩きを楽しみます」と言えればいいのですが、そうはわかっていても「え~っと、お休みってそもそもどういう時をおたずねになっていっらっしゃるのでしょう?」と、逆に確認したくなってしまいます。

言うまでもなく、仕事がないときがお休み、です。では、仕事とは?…コンサートや生徒さんのレッスン、コンクールの審査や伴奏のお仕事、というのはわかります。それら、社会的な何かや誰かと接することが、一般的には仕事と思われるのでしょう。でも、小説家にとっては、雑誌のインタビューに答えること以上に、家に篭って(?)の執筆が仕事。同じように、音楽家としての私にとって、練習も仕事。芸術に関する様々な勉強も仕事、ということになります。

もっというと、練習だけが仕事、というわけでもありません。例えば、「音楽を聴く」も、私にとっては余暇ではなく仕事です。好きなことを職業にしている、ということは、逆に言えば仕事と非仕事のわけ目がとても曖昧である、ということにもなります。

そのうえでのお休みの日、というのは「人と接する仕事もなく、ピアノの練習もなく、音楽の勉強の含まれない日」ということになります。もしそういう意味であれば、「旅にでます」とか「一日中掃除や料理に明け暮れます」と答えることになるのですが、それでも音楽のことを考えない日はありません。そもそも、いつでもどこでも、音楽を感じていたい、という種族が音楽家なのです。

自分にとってのお休みの日、ってなんだろう?直接収入につながらない、非生産的な日ってこと?やりたいこと、好きなことに明け暮れる日ってこと?…「ああ、面倒くさい。そんなこと、どうだっていいじゃない?」はい、確かに!…この、ヘンに真面目で理屈っぽい性格に、自分でもたまに疲れを感じるのですが、この際きちんと考えてみることにしました。

そして結論。私の状態は「いつも“お休みの日”であり、同時に、“お休みの日”はないともいえる」。あら?これではなにやら訳がわからないですね。

自営業の人間にとっては、休んで体をいたわるのも仕事ですし、私のような音楽家は好きなことを仕事にしているのだから、レッスン日だってお休みの日、ともなりうる…。やはり、限りなくその際(キワ)が曖昧なのです。

お休みもお仕事も、その人、その時のとらえ方だと思います。定年退職後だって、「職」は失うかもしれないけど「伴侶と楽しい時間をわかち合う」とか「趣味に没頭する」という、別の「仕事」ができたとも考えられます。仕事をしていたって、それを楽しめたら休日的な心の充電ができるかもしれません。病気で入院している方は、病気を克服するのが仕事。収入につながるつながらないは、別の問題です。(最後まで“売れない”画家だったゴッホのことを、「彼は仕事をしていなかった」という人は誰もいないでしょう!)

「お休みの日はどんな風に過ごすのですか?」の質問には、こう答えようと思います。「その時その時に、楽しいと感じることをして過ごします。それは仕事の日も同じなんですけど」…ん~、ちょっと格好よすぎかな?

逆に、してほしい質問を一つ。「恋人はいるのですか?」これには自信を持って簡潔に答えられます。「いませ~ん!」

2011年10月21日

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