第507回 本当に好きなもの

年が明けたと同時に、巷はバーゲンまっさかりに!「バーゲン」と聞くとテンションが上がって、ついふらふらとショッピングに出かけたくなった時代もあったのだけど、この頃はおとなしいものです。

特に我慢しているわけではありません。節約生活に目覚めたわけでもありません(エンゲル係数は、相変わらずの高水準だし)。ちょっとだけ“大人”になって、「いるものといらないもの」の分別が、以前よりもいくらかつくようになっているようなのです。期間限定かもしれないのですが。

きっかけは、昨年読み返したある本の中にでてきた、バルトークのセリフでした。

「どうして女というのはそんなに何足もの靴が入用なのか、ミステリーですな。二足もあれば誰にも事足りると思うんだがね。」彼はあてこすりで言っているのではなく、まったくの好奇心からのように思われた。「靴ひものついた茶色のを一足普段ばきに、細身の黒パンプスを礼装用に。」(*『バルトーク 晩年の悲劇』アガサ・ファセット著みすず書房)

彼のこの問題提起(?)に一同は笑ったのですが、彼自身は面白くもない様子だったのだとか。

そうなのです。本当は、靴、バックといった類のものがだーい好きなのです。それで、いろんな色や形の靴やバックをつい毎年買い足しては、しまうところに困っているありさまなのです。ですから、心から尊敬してやまない、他でもないバルトークのこのセリフは、まるで自分に言われているような気がして、胸にどーんと響き渡ったのでした。その残響のなかに、今もいるような感じなのです。

以来、「あ、これいいな!」というものに出会い、手に取ろうものなら、次の瞬間に「本当にそれは、必要なのかね?もう一生買わなくても事足りるほどの数を持っているというのに?」というバルトークの声が聞こえてくるようになってしまったというわけです。う~ん、これは困った。いや、誰も困らないし、それどころか助かっているのではありますが。

実は、特にバックなんかは「安いから!」という以外にたいした理由もないまま、“つい”買ってしまったものも、あるのです。高価なものでなくても心から気に入って、持つほどに愛着がわいてくるならいいのですが、値段につられて買ってしまったものには、やはりあまり手が伸びないものです。まさに『安物買いの銭失い』ですよね。

必要な時だけ、よおく吟味してとことん気に入ったものを買うべし。…そんなことを考えていたある日、ぶらりと近所のカフェに入ったら、お店の人と自然にそんな話になりました。「いいものって、買う時はちょっと贅沢かな、と躊躇するんですけど、結局何年も気に入って使っているし、ある程度使い込んでも貧相にならないんですよね」

彼が、今日ちょうどそんな、永年(?)ご愛用のバックを持ってきているといって、わざわざお店の奥に取りに行って見せてくれました。スカーフも秀逸な、フランスの有名ブランドH社のものでした。「とてもシンプルで余計なものは何も付いていないんですけど、かなりモノが入るんですよ。僕なんかだったら一泊分くらいの荷物、入っちゃう感じです。かなり使っているけど、ほとんど型崩れしてませんし…」見るほどに洗練されていて、ファッショナブルだけど飽きがこないデザインです。それって、完成度が高く、バランスが優れているってことですよね。「なるほど…とても似合いです」つい、惚れ惚れ見とれてしてしまいました。

そういえば、何年も着ているお気に入りの皮のジャケットの袖口がさすがに綻んできたといって、丁寧に直しながら愛用している友人もいます。そうなるともう、皮はすっかり体になじみ、こなれた着こなし感がでて、古びた感じなんてしないどころか、逆に格好いい雰囲気が漂うものです。今時の男の人って、案外おしゃれをわかっているのかも…。

なんとなく買ったはいいけど、本心から好きなわけでもない(好きになれない)ためにヘビーローテーションで使うこともなく、天寿を全うしないままになっていては、モノだって浮かばれません。でも、そんな可哀想なモノたちが、どれだけク家のローゼットに待機していることか。ごめんね、みんな…。

そろそろ“数”を持つことは卒業して、本当に「好き!」と思える、必要なものだけを持つような生活に変えていきたいものです。実は、それこそとても贅沢なことなのかもしれませんが。

ところで、この4年間メインで使ってきた黒いメッシュの皮のバックがさすがに痛んできちゃったんだけど、さて、どうしたものか…。今夜あたり、バルトークが夢枕に立って教えてくれるかも?

2011年01月20日

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