第500回 仕切りなおすとき

「美奈子先生からこの曲を頂いた時は、正直、『わぁ、これ難しい!ちゃんと弾けるようになるのかしら~』って思って不安だったんですけど、少しずつ練習していると弾けるようになってくるものですね」

週末の昼下がり。レッスンを終えた大人の生徒さんが、こんな嬉しいことを話してくださいました。「そうそう!そうなんですよ。『明日までに』『来週までに』っていうなら話は別だけど、時間をかけて取り組めば、必ず弾けるようになっていくものなんですよ。よい練習を重ねていければ、なんですけどね」。

嬉しさについ、声を弾ませて、一気に話してしまいました。話しながら、子供のころ、妹が誕生日にプレゼントしてくれたリストの『ラ・カンパネラ』の楽譜を前に、私も彼女のように「うわぁ、こんなに難しいことになっているとは!この曲が弾けるようになる時が、いつかくるのかなぁ」と、愕然としたことを想い出していました。

ピアノに限りません。何であっても、いくつになっても、お稽古を続けてさえいけば、きちんと上達をしていくものなのだと思います。よい指導を受けていれば、なおさらです。例えば、おばあちゃんの煮物は、おばあちゃんがそれを永年にわたって何十回、何百回と“お稽古”しているのだし、愛する家族からの反応、という最高の“指導”を受けているのですから、そりゃあ美味しいわけです。

さて、今まで指導を受けるチャンスがなくて、自己流でやっていたものがあります。ヨガです。4~5年前にバリでインドの先生からハタヨガ、というヨガのレッスンを一度だけ受けたのを切っ掛けに興味を抱いていたのですが、日本で通うにはあまりにも色々な種類(流派?)があるし、ちょうどロハスとかスローライフ、というものが流行してしまい、そこここにあまりにもたくさんの教室ができて、どう選んだらよいものか、見当がつかずにいたのです。

「私ヨガ、始めたの。ポーズとか全然できないんだけど、なんだかリラックスできるのよ。今度一緒に行ってみない?」友人のコメントの、“できなくてもリラックスできる”というところに非常に興味を抱いたものの、リサイタルやら何やらでなかなか通う体制が整わなくて、しばらくそのままになっていたのですが、やっと今日念願のレッスンを受けることができました。

ヨガの先生というと、自己の内側に問いかけたり、瞑想したり…と、どちらかというと“静”のイメージを持っていたのですが、今日出会った先生はさにあらず。明るく美しく、ざっくばらんで豪快な方で、形式ばった挨拶のかわりに「あ、なんだろう?初めてあった気がしない!」と、親しさを込めて笑ってくださいました。

レッスンでは、慣れないことにうろうろ目が泳いでしまいましたが、ポーズを決めることよりも、まずは自分の呼吸や体の状態と向き合うこと、きちんとリラックスすることが大切、といった印象を受けました。そうそう、90分のレッスンの30分近くが、ストレッチに当てられていました。じっくり体をほぐすのも気持ちが良くて、ストレッチだけでもポカポカと体が温まっていくのがわかります。

ケアするのは、体だけではありません。少し頑張ってポーズをした後、しばしばシャヴァサナ(屍)のポーズによるリラックスタイムがあるのですが、その間、「きれいな物、美しいもの、好きなものに、触れるようにしてください。好きじゃないものを、あえて気にする必要はないんですよ。みんな、いやだなぁ、と思うものをあえて目で追ったり、気にしてしまってない?なるべく、良いイメージをもつことを考えてくださいね」などなど、先生が体だけでなく、心をメンテナンスすることも、お話してくださいます。う~ん、DVDや本を見ながら、自己流でポーズを追いかけていた自分が恥ずかしい…。

かくして、私も確かに“(ポーズが)できなくてもリラックスする”ことができたのでした。最近、こんなふうに、ものの5分でも、心からリラックスして、体をおもいやるような時間がどれだけあったかしら。手当てを怠っていると、きっと心も体も、知らず知らずのうちに固く張りつめてしまいがちになるのでしょう。週に一度、こんな時間をもてるとしたら、それはとても贅沢なことのような気がしてきました。

何かを始めるのに、“遅すぎる”はなし!折りしも、この連載500回目の節目。このあたりで私も、かるく気持ちを仕切りいなおし、余計な力を抜いて(これ以上抜いたら、抜きすぎか?)、良いリラックスを見方に笑顔をパワーアップできたら嬉しいのですが…!

2010年11月26日

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