第486回 永遠の8月6日

今日は8月6日。毎年この日が来ると、思い出すことがあります。

それはまだ、ハンガリーが社会主義国だった頃。私はいつものようにブダペストのリスト音楽院での午前中の練習を終えて、友人と音楽院近くの、行きつけの国営レストランでランチを食べていました。

顔なじみのウエイターさんが、食後のデザートに注文したショムロイ・ガルシュカ(シロップがかかった、プディングとスポンジケーキをダイスにカットしたものに、たっぷりの生クリームがトッピングされ、さらにチョコレートソースがかかっている私の大好物!)を持ってきながら、ふと、言ったのです。「今日は、君の国にとっての大切な日だね」

私は一瞬、何のことかわからなくて、きょとんとしてしまいました。そんな様子を見て取ったのか、彼はすぐに「今日は8月6日。ヒロシマの日…でしょう?」と、教えてくれたのです。この時の恥ずかしさといったら!いくら祖国を離れて生活しているからといって、日本人である以上、忘れてはいけないことなのに。

ハンガリーの人だけでなく、知り合った旧東欧圏の人たちは、当時は共産圏だったにもかかわらず日本についてとてもよく知っていました。柔道、盆栽、茶道といった武道や文化についてや、映画などの娯楽についてだけでなく、文学や経済、総理大臣がしょっちゅう変わる不思議な(?)政治構造について、などです。

「ミナコは安部公房って好き?うちのクラスでは賛否両論だったのよ」ユーゴスラビア出身の友人にこんな話題をふられて、とても困ったこともあったっけ。苦し紛れに「安部公房は、“砂の女”しか知らないけど…三島由紀夫の方が好きかな」なんて答えようものなら、「三島は素晴らしいわよね。『豊饒の海』は読んだ?」なんて、つっ込まれてしまいました。そういえば、『豊饒の海』は、あの素晴らしい分厚さと、それがさらに四巻にも及ぶ大連作であることから、当時はまだ手付かずでした。そして、代表作も読んでいないのに、知ったふうに好きだなんて言った自分が、改めて恥ずかしくなったのでした。

その他にも、「禅の思想について、どう思う?」「中国の仏教と日本の仏教では、何が一番違うの?」「侘び寂びって、どういうこと?」ヨーロッパにいると、日本にいたときに考えもしなかったようなことについて、容赦なく質問が降りかかることが、少なくありませんでした。

そんなことを経験したものですから、帰国後に慌てて、あれこれ読みあさったり、聞きかじったりするようになりました。美奈子ちゃんは何でもよく知っているね、とか、美奈子先生は知識が幅広くて話題が豊富ですね、なんて言われると、「穴があったら入りたい!」感じになってしまうのです。

海外への憧れから、学生時代から国際情勢には興味があった方だと思います。桐朋時代は寮の談話室においてある朝日、毎日、読売などの数紙の新聞の国際面を読み比べたりしていましたが、きちんとした“国際人”になろうと思うのだったら、それだけではまったく足りないのです。まずは自国のことをよく知っていなければ。

そう思ったときにふと、思い起こす人物がいます。かの“ピアノの巨人”、フランツ・リストです。

ハンガリー領ではあったけれど、ドイツ語を話すエリアに生まれた彼は、家庭でも学校でもドイツ語を話していて、自らをハンガリー人である、と自称しつつもハンガリー語は話せませんでした。

大人になってからは、ドイツ、フランス、イタリア、スイス…おおくの国を渡りあるき、そのどの土地でも大歓迎をされたコスモポリタンでした。何ヶ国語もを不自由なく話せたと言われますが、実は自分のアイデンティティについて、何かがひっかかっていたのではないでしょうか。晩年になって、「本当にハンガリーの音楽を知りたい」と、しきりに願っていたそうですが、皮肉なことに、すっかり有名になっていた超人気スーパースターに、土着の民俗音楽に触れる機会は、もはや与えられないままでした。

それはまるで、皇室の方がお忍びで地方の小さな村にいらして、お付の人に「この田舎に昔から伝わる、本当の民俗音楽による歌を、村人の歌で聞きたい」と所望されるようなものだったのではないでしょうか。確かに、その望みをかなえることは、なかなか難しいことだろうな、とイメージできます。

とはいえ、実際に彼は、10曲を越えるハンガリー狂詩曲に代表されるような、ハンガリーの音楽(と、彼は信じていた)をモティーフにした作品を、何曲も書いています。ところが、うすうすと感じていたようなのです。真相はわからないのですが、リストは死の床で「あれ(ハンガリー狂詩曲)は、どうも違う…」と、唸っていたのだとか。

本当のコスモポリタン、国際人であろうとするならば、特に、自国のことについてきちんと知っていたいものです。少なくとも、他の国の人からたずねられたことに対して、きちんと正しく答えられるようにしよう、と、あの8月6日日、ブダペストの国営レストランを出たのでした。

8月6日は私にとって、二つの記念日です。ひとつはヒロシマの日であり、もうひとつは「自分の国とちゃんと向き合っていよう」と、心に誓った日…です。

2010年08月06日

« 第485回 結局、人間力 | 目次 | 第487回 見えないものは、感じるために »

Home