第481回 “世界で一番孤独な場所”

先日、会津若松の某所で、公開レッスンのお仕事をしました。公開レッスンを受ける側からする側の立場になって、何年が経つでしょう・・・。もう10年以上にわたって、随分といろいろなところからお声をかけていただいて、これまでレッスンをした生徒さんの延べ数は、自分の生徒さんも含め、もはや100人や200人ではなくなっています。

作曲家フランツ・リストは、自らの作曲活動、演奏活動のかたわら若い人の指導にも大変に意欲的だったそうで、ヨーロッパ中にお弟子さんがいたそうです。指揮者、ピアニストとして名高かったドイツのハンス・フォン・ビューローもそのひとり。教え子の数は、200人を超えていたそうです。

そのことを学生時代に何かの本から知った時、「すごい!200人なんて、とてもとても想像がつかないな~」と思ったものですが、ふと自分がその数をクリアしていることに気付いて、感慨無量です。

きちんと数えたことはありませんが、これまでに出演したコンサートの数も、確実に400回は超えていると思います。数字は、おそらくこの先も増えることと思いますが、果たしてそれに見合った成長をしているのかどうか、疑問です。

ところで、ステージの経験を積むということは、それだけ失敗や怖い思いもたくさん経験する、ということにもなります。熟練した演奏家でも、最後まで緊張感を抱き続ける方というのは、豊かな経験によるプラス要素もマイナス要素も受けとめているからなのではないでしょうか。

4歳で神童といわれ、99歳まで演奏活動を続けていた天才ピアニスト、ホルショフスキーは、その晩年も本番前、舞台袖で奥様に手を握ってもらいながら小鳥のように震えていましたし、あの、泣く子も黙る名ピアニスト、ホロヴィッツでさえ、心を許していたお抱えの調律師に、「(ステージを指差して)あそこは、僕にとって世界で一番孤独な場所なんだよ」と語ったといいます。ステージの恐さをクリアするには、さらなる精進、修行を積み重ねていく他、ありません。

ふと、初めて公開レッスンを受けたときのことを思い出してみました。確か、高校二年の時でした。ロマン・オルトナー氏という、声楽の伴奏を中心にご活躍されていらっしゃる、ウィーン音楽大学の教授をしていらっしゃる先生が、とある音楽大学の講堂でなさったマスタークラスで、私以外の受講生はみんな大学生でした。

ベートーヴェンの初期のソナタ(第二番)を聴いていただいたのですが、通訳の方を介して先生がなんとおっしゃっているのかを伺うことに、終始ドキドキしていました。

先生の奏でる音色は、先生の物腰、お話になる時のトーンのように柔らかく、先生の手にかかると、ベートーヴェンは“いかつさ”から離れて、穏やかな笑みをたたえ、優しい目をしたジェントルマンな雰囲気に聞こえきたのが、印象的でした。レッスンの終わりに、「とてもよく弾けましたよ。おめでとう!」と握手をして下さったのが、とても嬉しかったのを覚えています。

同じ頃、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー氏が仙台でリサイタルをした折、お小遣いをはたいて聴きに行き、ベートーヴェンの“告別”ソナタの演奏に感激して、楽屋を訪れたことがありました。そして、図々しくも「どうしたらそんなふうに、上手にベートーヴェンが弾けるようになるのですか?」と、尋ねてみたところ、彼は真剣な表情で「上手に弾こう、なんて、考えないことです」と答えたっけ。当時は、その意味がよく理解できなかったのですが、今になってみるとなんだかわかる気がします。

オルトナー先生にしてもゲルバー氏にしても、その演奏に溢れんばかりのスピリットやテンペラメントがありつつも、気負いや力みがなく、弾き手の音を通して私の知らないベートーヴェンの一面が見えてくるような印象でした。

あれから、はや幾歳…。今も、ステージて弾くとなると、その恐怖に打ち勝たん、と、どうしても気負ってしまいますし、自覚なき力み(?)からなかなか開放されるに至りません。きちんとクリアできる日が来るまで、修行はまだまだ続きそうです。

2010年06月25日

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