第458回 音の手当て

昨年も、インフルエンザ騒ぎもなんのその、風邪ひとつ引かず申し訳ないほど元気に過ごした私ですが、高校時代からずっと、コレステロールが高いのです。健康診断をもうかれこれ何年も受けていないので、周りの方からはよく心配していただくのですが、受けたら高脂血症と診断されるのは分かっているので、どうも気が進まないのです。だって、占いだって「あなたの運勢は、標準には至っていません。このままにしておくと、大変なことになるかもしれませんよ」と、診断されると分かっていながらお金を出して占ってもらう人なんて、いないのでは…?

高脂血症、と言われたときに一番辛かったのは、大好きな食べ物を制限されたことです。コレステロールが多いとされる食べ物は軒並み大好物ですが、さりとて他の人と比べて積極的に摂取していたわけではありません。むしろ、好きなものは、そのありがたみをめいっぱい享受するために、自らセーブするという、案外ストイックなところがあるのです(但し、甘いもの以外)。それなのに、食べないように、とか、卵すら「二日に一度程度に」なんて!…あまりにも、むごすぎます。

幸福度も、芸術性も、指数や数値では測れないのと同じで、人間の健康の度合を数値だけで判断するのは、はじめから無理があることです。“酒造界の生き字引”と言われていた上原浩氏は、80歳を越えるまでお元気で、執筆活動の傍らお忙しく全国を駆け回っていらっしゃいましたが、週に二回の休肝日(注:氏の休刊日とは゛ビールしか飲まない”日、とのこと)を除いて、毎日四合ほどの日本酒を欠かさず召し上がっていたそうです。氏曰く、「それでも、病気らしい病はしたことがない」

癌を宣告されても前向きな心持ちで日々を過ごした人が、やがて癌細胞が小さくなって最終的に“治って”しまった、という話は、珍しくありません。気持ちの健やかさ、というものの方が、検査の結果や数値よりも、ずっと身体に大きく影響するのが、人間のたくましさではないでしょうか。

ふと、子供の頃によく母がしてくれた「痛いの痛いの、飛んでいけ~!」というおまじないを、思い出しました。怪我をしたところを手のひらでそっと包み、「痛いの痛いの…」の後に少し“ため”を作ったのちに、「飛んでいけ~!」のところでその手をひら~っと、斜め上方向に投げるポーズをするのです。不思議なもので、それをされると、本当に痛みが“飛んで”いったような気になったものです。

そういえば、痛いところに対して行われた昔からの医療行為は“手当て”でした。誰かに患部に手をあてがってもらうと、それだけで確かに癒されるし、幾分心持ちがよくなるものです。いくらレントゲンを撮られ、スキャナーにかけられ…様々な検査を受けて薬を投与されても、人の手のぬくもりを感じることもなく、気持ちのケアが充分じゃなければ、生きていくモチベーションが高まるとは限らないのが、人間なのではないでしょうか。

私たちは、一般的に考えられている以上にしっかりと動物的な感覚をもっていて、かつ、それを生かしていくことができる生き物なのかもしれません。

それでは、私には何ができるのでしょう…。

そんな、たわいないことを考えていた矢先、ある方からこんな話を伺いました。「美奈子さんのCD“piano pieces from Finland”を買われたある外科のお医者様が、先日『この頃、オペの時にはいつも美奈子さんのCDをかけているんですよ』とおっしゃっていましたよ。リラックスして、集中できるんだそうです」

新春早々、とても嬉しいお話でした。お医者様のように、実際に手当てによって誰かを治癒することはできませんし、お母さんの手には到底かないませんが、私の手からうまれた音に触れた方が、“手当て”や“痛いの痛いの、飛んでいけ~!”のような、ささやかな、でも心からの癒しを感じて、少しでも気持ちが楽になってくださったら、どんなにステキでしょう。

よ~し、夢は大きく、“音(音楽)で手当てができるピアニスト”だ!

2010年01月09日

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