第452回 『学ぶプロ』とともに

昨日、美容院に行きました。8ヶ月ぶりです。担当の美容師Oさんは、そんな不真面目な(?)お客である私にいやな顔ひとつせず、それどころか「鈴木さん、お久しぶりです!大分長くなって重さがでて、いい感じにまとまってきましたね。伸ばして、正解でした」と、笑顔で話してくださいました。

美容院があまり好きじゃないのは、もちろん、鏡に映る自分を見続けるのが苦痛、ということもありましたが、実はもっと憂鬱だったのは、美容師さんに髪の扱いにくさを指摘されることでした。とても強いクセ毛なのです。しかも乾燥しやすく広がりやすいので、ストレートパーマをかけないとまとまりませんよ、とか、こういうヘアスタイルは向きません、とか、頂くコメントのほとんどがマイナス面。自分でも髪質は大きなコンプレックスでしたから、施術していただいている間も気持ちが休まらず、ああ、ブローが大変そうだな、時間をかけていただいて申し訳ないな、と、ひたすら恐縮してしまうのでした。

Oさんは、「私もクセ毛なんですよね~」と笑いながら、パーマもカラーもしたくないという私に、ストレートパーマはもちろん、ブローすらきっちりしなくても、なんとかなるようなスタイルを提案してくださいます。Oさんに髪をしていただいている間、私は恐縮することなく、所在無げに雑誌に見入るのでもなく、かといって鏡に写っている自分を凝視するでもなく…気がつくと鏡の中のOさんを見ながら、リラックスして彼女と談笑していました。

そして、本来なら3ヶ月のところ、不精な私のために次回来店時のプレゼントの有効期間を5ヶ月先まで延期して下さったOさんに見送られながら、「う~む、彼女はなんて気持ちのいいプロフェッショナルなんだろう!」と、感心しながらお店を出たのでした。そうなのです。プロだからといって、ただ相手の状態や問題点を指摘することが正しいとは限らないのです。相手が何を望んでいるのかをくんだり、あるいはそれが分かっていない場合にはどうしたらいいのか、さりげなく提案することが肝心なのであって、相手を教え諭したり、必ずしも正論を通すことが大切なわけではないのです。それよりも、相手を理解しよう、受け入れようとしていることを表現できる方が、ずっと正しいプロの姿なのではないでしょうか。

ふと、初めて外国の先生の特別レッスンを受けた時、そのコメントのあまりの柔らかさに、とても驚いたことを思い出しました。何か指摘する時に「ほんの小さなことなんだけど…」という前置きをおっしゃったり、アドバイスを一生懸命、実行しようする私に「そうそう!」「素晴らしい!」「どうもありがとう」、果ては(?)「おめでとう!」とまで言ってくださるのです。その他にも「うん、よくなった」「とても美しい!」といったプラスイメージの言葉がたくさん聞こえてきて、自然にリラックスして弾いていたように思います。

世界的に著名な歌手の伴奏者として、数々の素晴らしい演奏を重ねてきたウィーンのその先生からみたら、高校生の私の弾くベートーヴェンなんて、きっと赤ちゃんのように稚拙だったことでしょう。それなのに、厳しいことをおっしゃるよりも、良いところがもっと伸びるよう手を差し伸べ、持っている表現力を引き出すべくリラックスさせてくださったのです。おかげで、レッスンを受けながら、ああ、やっぱりピアノっていいな、ベートーヴェンって大好きだな、という気持ちが満ちてきました。今思いかえすと、とても貴重なレッスンでしたし、貴重な経験でした。

努力することで改善することと、努力してもどうにもならないことがあります。広がりやすい髪質やクセ毛は、どんなに指摘されたとしても、それ自体をすっかり変えることはそうそうできません。「こういう髪って、まとまらなくて困るんですよね~。湿気の多い時なんて、とくにひどいでしょう?」と言われるよりも、「その自然なウェーブを生かせるスタイルにしましょうね」と言われる方が、ずっと嬉しいものです。

「今日の○○ちゃん、いい音がでているね」「○○ちゃんの音、元気がよくてとっても好きよ」「わぁ、ステキなワルツになったわね」特に子供は褒められると、とたんにその音は輝きを増します。嬉しい気持ちがそのまま、音ににじみ出てくるのです。とはいえ、何でもかんでも褒めるだけではなく、きちんと“指導”をしなくてはならないのも、厳しい現実…。だって、特別レッスンならば、お互いにある意味での“お客さん”でいられますが、定期的にお付き合いしている私の立場はどちらかというと、“家族”(“親”?)のようなものなんですもの。

そんな時は、「え~?残念!美奈子先生、○○ちゃんのこと、いっぱい褒めようと待ち構えていたのに~」とか、「美奈子先生は、“褒めたい星人”なんだけどなぁ。今日は○○ちゃん、なかなか褒めさせてくれないから、つまんなくなってきたなぁ」などと、おちゃらけてみせたりもすることもありますが、「ここぞ!」という場面では、ぴしゃりと「違います」と、言ってしまいます。実は、子供は『学ぶ』ということに関して、大人が考える以上にプロフェッショナルなので、どちらにしてもきちんと受け止め、いずれ理解してくれると、信じているのです。彼らは、日々、勉強だけでなく遊びを通してすら、多くを学び取っていますし、学びが彼らにとって、とても重要なものであることを、本能的に(本脳的に?)わかっているのです。

愛らしい『学ぶプロ』たちを相手に、『教えるプロ』がすべきこととは…?本当は、愛情を持ってただ見守り、励ますことだけで充分なのかもしれないな、と、思うこの頃です。

2009年11月27日

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