第446回 憧れ焦がれ、はや幾歳…

自主リサイタル“SYMPOSION”が近づいてきました。昨年はお休みしてしまったので、ほぼ2年ぶりになります。毎回違うテーマに沿って、自分自身が心惹かれている作品をお話を交えながらリラックスして聴いていただこう、という趣向で、これまで、第一回“ベートーヴェンと恋人たち”、第二回“北欧の大地から(グリークとシベリウス)”、第三回“シューベルティアーデ”と題して、行なってきました。

前回“シューベルティアーデ”で弾いた変ロ長調の長大なピアノソナタもそうだったのですが、あまりにも大好きすぎるために人前で弾くのがためらわれる作品、というのがあるのです。今回のプログラムは、一曲一曲どれも大好きなのですが、中でも大学時代からずっと「いつかはコンサートで弾 きたい!」と、思い焦がれ続けていたのが、フランク(1822~1890)の『前奏曲、コラールトとフーガ』です。

この曲を初めて聴いたのは、桐朋学園の図書館内の視聴覚室でした。演奏者は、忘れもしない…コルトーでした。この作品はタイ トルからも分かるように、前奏曲(プレリュード)、コラール(賛美歌)、フーガ、という三つの部分でできていて、それぞれが続けて演奏されます。揺れ動く心の模様や内的な葛藤が、ありありと目に見えるような前奏曲のアプローチは、完全なるコルトー・ワールド!

でも、さらに驚いたのは、その次なる“コラール”の部分でした。それまでの心の中の煩悩がすーっと消え去り、無心で祈りを捧げるような清らかなフレーズが流れ出てきたのです。祈りは何度も繰り返され、繰り返させるたびに、敬虔な思いがさらに深まっていく…。しかも、なんと最後のフーガの部分のクライマックスでは、最初の前奏曲の音型と、コラールのメロディー、そしてフーガの主題の三つの要素が、同時に奏でられるのです。そして、それまでの苦悩が救われたかのごとくの、輝かしいコーダ!

コルトーの演奏は絶妙ではありましたが、決して精緻で優等生的、というものではなく、感情の高まりによってタッチが乱れるような部分もありました。でも、それがますます表現をリアルにしていて、心臓をわしづかみにされ、ふりまわされているような感覚に陥って…気づくと、手にしていたレコードジャケットにぼたぼたと涙をこぼしていました。結局そのレコードを、続けざまに三回聴いたのを覚えています。

以来、この作品に恋してしまったようでした。そんなある日・・・曲が新しくなる折、先生に「あの~、次の曲は、フランクの『前奏曲、コラールとフーガ』を勉強してみたいのですが」と申し出てみたのです。が、「え? あれはあなた、難しいよ!テクニック的にも大変で手が大きくないと弾きにくいし、音楽的なことがまた、ねぇ」と、やんわり反対されてしまいました。でも、反対されるとますます弾いてみたくなるのが人情です。なかなか諦めきれない様子の私を見て、先生は「まぁ、いいよ。やってみなさい」 と、おっしゃってくださいました。

果たして、その結果は…20歳の音大生には、やはり消化不良のまま終わってしまったように思います。なんとか弾くには弾くけれど、どうにも表面的で、あのコルトーの深みには到底及びません。一体、どう、表現したらよいものか、途方にくれてしまいました。

あの時からはや、四半世紀が過ぎようとしています。表面だけ格好をつけることが通用しない作品ですし、ステージでひとり、裸の自分をさらけ出すようでちょっと怖いのですが、それでも「弾きたい」という気持ちの方が上回るのですから、この際、今回のプログラム候補に入れて検討することにしました。

とはいえ、宗教的な要素もある作品だし、お客様は地味に思われるかもしれない。少なくとも、このフランクという作曲家は、音楽史上では地味な存在です。彼は並み居る天才作曲家たちと違って、60歳を越えてから作曲家として花開き、亡くなるまでの数年間に傑作を残した人物なのです。…そこで、最終決定を下すにあたって、究極のアマチュア音楽愛好家である母にこの曲を弾いて聴いてもらい、意見を求めてみました。曰く「すごくきれいな曲ね!」…かくして、今回のSYMPOSIONのプログラムに、この作品を入れることにあいなったのでした。

コルトーのようなわけにはいきませんが、視聴覚室で涙していた頃の自分の思いや、華美ではないけれど滋養と慈愛(?)に満ちたこの作品の素晴らしさを、少しでもお伝えできますように、と、それこそ、祈るような気持ちでピアノに向かっている日々です。

ところで、アマチュア(amateur)とは、素人、という意味ですが、“愛する”という原義を持っているのですね。一方、その反対語のプロフェッショナル、というのは“職業上の”とか“玄人の”といった意味で、マチュア(mature)“成熟した”“成長した”というような意味は含まれていません。プロフェッショナル、というのは芸術方面において、今ひとつ面白みと魅力に欠ける言葉のような感じがしてしまうのは、偏見でしょうか。

2009年10月09日

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