第432回 てくてく歩きのドイツ日記 ④ ~ライプツィヒ其の一~

5月22日。名残惜しいが、ワイマールを去らなければ…。今夜はライプツィヒで、ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートを聴くことになっているのだ。ペンションの食堂で朝食をとっていたら、初老のご夫婦が入ってきた。「おはよう!やれやれ、私たち今日は、フランクフルトに帰らなければならないのよ…」奥さまが、まるで旧知の中のような親しみを込めて、にこやかに話しかけてきた。「そうなんですか。私はライプツィヒに行くんです」「まぁ、そう。よいご旅行を…!」

ライプツィヒ!これまで訪れてきたアイゼナハ、エアフルト、ワイマールとは違い、人口50万人級の大都会だ。話には聞いていたけど、駅に着いて、びっくり。駅全体が巨大なショッピングモールになっているのだ。(その規模、千葉のららぽーと以上?)これが、少し前まで東ドイツだったなんて、とても信じがたい…。しばし、呆然とする。

駅前のツーリストインフォメーションに入ってみる。「こんにちは。あの~、町の地図と交通の案内を頂けますか?」一応、ドイツ語で言ってみた。「はい、勿論です。資料はドイツ語のものがよろしいですか?」「いえ、できたら英語のものをお願いします」お姉さんの対応が、ちょっと嬉しい。地図を見たらホテルまで歩けそうだったので、荷物を引きずりつつまたも歩く。やはりこの町でも、ひときわ立派で目を惹く建物は、オペラハウスだ。それは“そびえ立っている”と言ったほうがぴったりくるような、圧倒的風格を持って建っていた。そして、大きな広場をはさんで、オペラハウスを迎え撃つようにそのまん前に鎮座しているのが、今夜のコンサート会場であるゲヴァントハウスホール。この二つを合わせたら、東京ドームが一体いくつ入ることだろう!

チェックインの時間前に、ホテルに着いてしまった。でも、フロントの女性はすこぶる感じがいい。「お荷物をお預かりすることは可能なのですが…まだ、掃除中のようなんです。ちょっとお待ちいただいてもいいですか?お客さまのお部屋の掃除係に電話して、今の様子を聞いてみますね」言いながら、指はすでにキーを押している。友達同士のように笑いながら、でも簡潔に話をすませて受話器を置き、「彼女によると、“最後の仕上げの掃除機かけが、あと2分で終わる”とのことです。エレベーターでゆっくりおあがりになると、ちょうどいいタイミングかも…」と、キーを手渡してくれた。そのとおりにしたら、今まさに私の部屋をでるところだったお掃除係に会うことが出来た。「私の部屋です。ありがとうございます」「なんのなんの!(Bitte,Bitte!!)」とっても元気がいい、肝っ玉母ちゃん風のご婦人だった。

身軽になり、あらためて町をうろうろする。バッハがカントール(音楽監督)を務めた、トーマス教会を訪れた。音楽の教科書で、ここを一体何度見たことだろう。パイプオルガンの写真を見ては、一体どのような音が響くのかしら、と、その響き想像してうっとりしていたっけ。明日はここでバッハのモテットのコンサートが開かれることになっているのだが、オルガニストがそのプログラムと思しき曲をリハーサルしていた。

今夜のコンサートの開演は20時だが、その前に19時15分から、希望者はホール内の“シューマン・コーナー”というロビーで曲目の解説を聞くことが出来ることになっている。いずれにしても、まだ時間があるし、腹ごしらえをしてしてからコンサートホールに行くことにする。この町ではケバブやさんが目に付くので、ちょっと通りからはずれたところのお店を選んで入ってみた。ひとりで切り盛りしているお店の人にドネルケバブを注文すると、羊かチキンのどちらにするか、またソースや野菜などの好みや量を聞いてくれて、その場で作ってくれる。パン生地の上にこぼれんばかりの具材やソースがのって、お皿からはみ出んばかり…日本の3倍はあろうかというボリュームに、ちょっとめんくらう。

「そうだ、お茶があるんだよ。多分、君の国のほうの。飲んでみる?」「え?」「もちろん、サービスさ。どう?」「ありがとう。いただきます」出てきたお茶は、ウーロン茶に近い印象だった。「どうだい?」「美味しいです。でも、どっちかというと中国のお茶のようですね。日本の一般的なお茶は、緑色をしているんです」その店員さんは店長さんだった。トルコではなく、シリアのご出身なのだそうだ。「シリア!美しい国なんですってね。どちらの町ですか?」「ダマスカスだよ」「こちらにはご家族と一緒に…?」「いや、僕ひとりさ。この町に住んでいるのかい?」「いいえ。ちょっと前に着いたところで…初めてです」「ここは美しい町だよ。よい滞在を!」

自由化になってからというもの、ドイツに移住してくる外国人は増加の一途で、ドイツの社会問題に波及しているという話はよく耳にする。彼のように、中近東から異国のこの地に、単身で出稼ぎに来ている外国人は、一体どれほどの数にのぼるのだろう。店内は隅々まで掃除が行き渡っているし、テーブルには小さなお花も飾られていて居心地もよく、彼の真面目な仕事ぶりがそこここから伺える。こんなふうに気丈に笑っているけど、休日はどんなに心淋しいことだろう…などと、つい、余計なことを考えてしまった。

それにしても、ワイマールもそうだったが、町の人は皆、とても感じがいい。ものの本には、ドイツの…特に旧東ドイツの店員は愛想がなくて接客サービスがすこぶる悪く、お客が店員のご機嫌を取っているありさまだ、なんて書いてあったのだが、そんな感じはまったく受けない。情報は情報。真実は、自分で体験しないと分からないものだ。

さて、いよいよゲヴァントハウスの窓口に行って、予約しておいたチケットを受け取った。このコンサートは、今回の旅のハイライトだ。世界最古のオーケストラと言われている、ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のコンサートを、とうとう、この地で聴ける…なんだか、胸がドキドキしてきた。19時の開場とともにホールに入り、シューマン・コーナーに向かった。

この日のプログラムはシェーンベルクの“弦楽四重奏団とオーケストラのための協奏曲”、ベートーヴェンの序曲“レオノーレ”、同じく序曲“アテネの廃墟”と、交響曲第四番。女性の学芸員が、シェーンベルクがパロディーとして用いているヘンデルの原曲を聞かせてくれたり、ベートーヴェンがブダペストにできたドイツ劇場のこけら落としのために書いた劇付随音楽“アテネの廃墟”についての話などを、音源を用いながら分かりやすく説明してくれる。シューマン・コーナーに用意された椅子はあっという間に満席になり、たくさんの人が“立ち見”をしていた。クラシックの本場でも、主催者がお客さまにコンサートをより楽しんで聞いてもらうために、このような努力と工夫を怠っていないのだ。私も、もっともっとできることを考えていかなければ…。よい刺激になった。

いよいよ、開演。ワインヤード式のホールは、ほとんど満席だ。指揮のリッカルト・シャイーがステージに颯爽と登場する。久しぶりに聴くオーケストラのコンサート、それも、一度現地で聴きたいと望み続けてきたゲヴァントハウス管弦楽団の、だ!その時の私の心臓は、多分ステージ上の楽団員のだれよりもドキドキと高鳴っていたに違いない。さて、その演奏は…?
                                               (てくてく歩きのドイツ日記⑤に続く)

2009年06月19日

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