第431回 てくてく歩きのドイツ日記 ③ ~ワイマール~

5月21日。前日は終日とてもいいお天気だったのに、夜中は嵐になった。激しい雷の音が夜通し続いていたので、外が明るくなってふと目覚めた時、それまで眠っていたのかどうかよく分からないような、妙な感じがした。

ワイマールでの宿は、7室しかない家族経営の小さなペンションだ。身支度しながら、前日アイゼナハを発って、見事な大聖堂があるし風光明媚ではあるけど観光地独特の気ぜわしさを感じたエアフルトを訪れた後、夕暮れのワイマールに降り立った時の感激を思い出す。ゲーテやリストが長い時間を過ごし、世界的に有名な造形学校バウハウス創立の地でもあるこの町は、駅から出た私を一瞬にして魅了してしまった。思わず深く呼吸したくなるような、ゆったりとした落ち着きのある町なみ、そこに湛えられている穏やかな空気、静けさ。そして、憧れのホワイトアスパラガス!

そう。昨夜ついに、この時期この国の一番の味覚、ホワイトアスパラガスの料理にありつけたのだった。この、法律によって限られた期間にしか収穫を許されていない、ドイツ究極の旬の食材は、日本の缶詰のそれとはまったくの別物で、太さはグリーンアスパラの2~3倍もあってとても柔らかく、独特の香りや甘みがあって、こたえられない味わいなのだ。オーダーしたのは、ホワイトアスパラガスのサラダ。日本なら2~3人分ほどもあるボリュームだったが、豪快な見た目とは裏腹に味付けは驚くほど優しく、ディルを散らしたサワークリームベースの和えごろも(?)は、日本のマヨネーズ系のものよりもはるかにさっぱりとしていて、するする食べられる。地ビールとライ麦入りのパン、そしてこの町の“おしるし”になっているイチョウのハーブティーを食後に頂いて、チップも入れて合計10ユーロほどだった。

それにしても、静かだ。どうもおかしいと思って聞いてみると、今日は祝日なのだという。道理でお店も閉まったままなわけだ。と、ここで気づいた。「大変…お水をどこで買えばいいの?」ドイツには閉店法という法律があって、所定の時間以上営業することが禁じられている。つまり、通常、町のお店は日曜・祝日や平日の20時以降は営業できないのだ。だから、24時間営業のコンビニエンスストアも、ない。仕方なく駅の売店に向かう。そうと知っていれば昨日のうちにスーパーで買っておいたのだけど…。ついでに、駅で明日のライプツィヒ行きのチケットをとっておく。相変わらずあまり英語は通じないが、町の人々はとても物腰が柔らかくフレンドリーで、今まで抱いていたお堅いドイツ人のイメージが、好い意味で覆った。

バウハウス博物館やゲーテやリストの住んでいた家、美術館などを、すべて徒歩で見てまわる。町で一番立派、とも言えるような建物が、美術館だったり音楽院(この町にも、リスト音楽院がある!)だったりするのは、なんとも羨ましいことだ。あまりに良いお天気で外にいるだけで汗ばむほどだったので、カフェに入ってクーヘン(ケーキ)ではなくパフェを食べることにした。テラスも店内もほとんど満席だったけど、思ったよりも早く運ばれてきた。“パフェ”というより“タワー”と呼んだ方がぴったりくるほど巨大な苺パフェ!嬉しさのあまり、つい、器のサイズを手で測る。高さ30センチ、直径17センチのずんぐりしたガラスの器に、たっぷりと盛られた苺とバニラのアイスクリーム。タワーのてっぺんには甘みも酸味も濃厚なフレッシュな苺が、ごろごろと惜しげもなく、大きな器からこぼれんばかりに盛られ、とろりとした苺のソースがワイマールの陽の光を浴びて、ルビーのようにきらきら輝いている。嗚呼、夢のよう!目の前の感動的な映像に一瞬くらくらするも、食べ始めるとあまりの美味しさに箸が…ではなくスプーンが止まらず夢中になって、10分後にはぺロリと平らげてしまった。

満足感とちょっとした達成感に酔いしれつつ、その後もどんどん歩く。歩き回って、建造物以上にこの町で好きになったのは、公園だ。とりわけ、リストの家の前から、川を隔ててゲーテの東屋、ワイマール宮殿までにわたる広大なイルム公園は、素晴らしい。鳥たちの声にうっとりしながらぼ~っと歩いていたら、目の前を赤リスが横切った。イギリスの湖水地方でも、今では滅多に見られなくなってきたこのめずらしいリスに、ワイマールで出会えるなんて!

ここの公園はきちんと管理され、整然としてはいても、不自然に造りこまれた感じがしないのは何故だろう。アスファルト、不必要な立て看板、木のように見せかけたコンクリートの手すり、悪きスピーカーや自動販売機…といった、日本の公園によくみられる『文明の利器』が、一切ないからかもしれない。そのせいか、のんびりと散策していると、まるで自分がタイムスリップして、18世紀頃の宮廷の庭の一画に紛れ込んでしまったような気分になる。大体において私たちは、良かれと思って何かと余計な手を加えすぎてしまっているのかもしれない。それにしても、申し合わせたように咲きそろった菩提樹やシャクナゲ、プラタナス、そして大好きなマロニエの花の可憐な美しさときたら!…こうして、慌しさとは無縁の静かな町で、買い物なんぞいっさいせずに、のんびりと生き物たちや花々を愛でながら過ごす休日の贅沢を、しみじみかみしめる。

本来、動物としての人間が欲しているのは、実質的な“富”の力などではなく、“豊かなもの”を感じることのできる、健やかな心なのではないだろうか。幸福とはきっと、その延長上にしか存在しないのだ。いや、その延長上にこそ存在しうるのだ。自然や芸術の豊かさを楽しみながら生きることは、人間に平等に与えられている権利。その豊かさを素直に感じることさえできれば、幸せに生きることは決して難しいことではないように思われてきた。音楽にたずさわって生きてこられたこと、これからも音楽とともに生きていくであろうことに、改めて感謝したくなる。前日、ヴァルトブルク城での想定外のトレーニング(?)によって、少々筋肉痛になっている足取りが、なんだか軽やかになってきた。

もう一度この地でホワイトアスパラが食べたくて、“ホワイトアスパラガスとじゃがいものオランデーズソース添え”と白ワインを注文。オランデーズソースは、卵黄にバター、レモン汁を加えてコショウでアクセントをつけたソースで、あまり上手じゃない人が作ると分離してしまったり、しつこくなってしまうのだけど、風味は豊かなのに実に口当たりがなめらかで軽い仕立てになっていた。お皿にはたっぷりのジャガイモと、とても太く立派なアスパラガスが8本ものっていたけど、今回もあっという間に完食。この国は、パンも、ミルクも野菜もお肉も、とにかく美味しい。勿論、ビールもだ。ドイツ人とともに、あまりよく思っていなかったドイツ料理のイメージが、どんどん覆る…。
                                              (てくてく歩きのドイツ日記 ④に続く)

2009年06月12日

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