第425回 悩ましき二つのクセ、の巻

まだゴールデンウィーク前ですが、地元八千代ではハナミズキもつつじも、満開を迎えています。私は残念ながら、庭がないマンション住まいなのですが、このところはせっせと近所の公園や季節の花の名所を散歩して、花々や新緑の美しさをじっくり楽しんでいます。

そういえば、パリでは、ほとんどの人が集合住宅に住んでいるので、近所の公園を多少遠回りになっても折にふれて通ってみたり、本を持ってでかけてはしばらくベンチで読書したりして、自分の“庭”として親しんでいるのだ、ということを何かで読んだことがあります。一歩外に出れば、四季折々の花が楽しめる遊歩道がのびているし、桜の美しい公園も徒歩30秒、つつじ祭りの行なわれるゆりのき通りも目と鼻の先…という、自然豊かな環境に住んでいる私は、とても“庭”に恵まれていることになります。

ならば、そのご利益をありがたくお受けして、楽しまなかったらもったいない…、とばかりに、最近はどこへ行くにも電車を使わず、そして自転車にすら乗らずに、時間と体力の許す限りなるべく歩くようにしています。隣の駅の大型ショッピングモールや、電車で二駅のところにある図書館、川向こうにあるホームセンターにも、お気に入りのカフェにも、なるべく歩いて出向くようにしてみたところ、運動嫌いのはずの私に異変が起こり始めたのです。

以前、ホノルルのマラソンで完走した経験もあるアスリートの友人が、毎日10キロくらい“軽く”走って汗を流すと、気分がすっきりして気持ちいいのよ、と涼しい顔をして言うのを聞いて、「え~!?気持ちいいって…私なら、他のことが出来ないほど疲れて、下手すると翌日も使い物にならなくなっちゃいそう!疲れないの?」と尋ねたところ、「う~ん…まったく疲れないことはないけど、なんていうか、それってすごく気持ちのいい疲れで、かえって元気になるのよ。だから、忙しくて走れない日が続いたりするとなんだか気持ち悪い、というか、ああ、走りたいな~っていう気分になるの」という返事が。

その時は、彼女の言うところの“気持ちのいい疲れ”、“走れないと気持ち悪い”というニュアンスが、今ひとつつかめなかったのですが、今は、ものすごく微量ながら分かるような気がするようになったのです。ふと時間が出来て、外がいいお天気だったりすると、今や私も「ああ、歩きたいな~」という気分になってきたからです。まだはっきりとは分かりませんが、多分彼女の言いたかったのは、この“歩きたい”を“走りたい”に置き換えた感じの延長線上…“上級”編なのでしょう。

「体がくったくたに疲れれば、人間、ほっといてもよく眠れるもんだ。不眠とか鬱だとか言ってる悩んでいる人は、もっとどんどん体を使って、余計なことを考えられなくなるほどくたくたになるまで働いてみたら、そんなものは改善されてしまうもんだ」と、最近ある芸能人Sさんがテレビ番組の中で豪語していましたが、すべての症例に当てはまるかどうかは別として、一理あるかもしれません。終戦直後や、本当に貧しかった時代には、今ほどそんな病気の人は多くなく、自殺率も今ほど高くなかったとは言われています。

たくさん運動すると確かに、体はくたくたに疲れますが、その分、心は生きている実感に満たされて、また頑張ろう、という気持ちが沸いてくる…彼女の言う“気持ちのいい疲れ”は、そんな感覚なのではないでしょうか。「健全な肉体に健全な心が宿る」なんていう格言がありましたが、実は「健全な疲れから健全な心身が生まれる」という部分もあるのかもしれません。

でも、待てよ…。だとすると、いっこうに改善されない私の便秘グセは、どう説明されるのでしょう。野菜も繊維も水分も(アルコールも?)、人並み以上に摂取しているし、最近ではこうして、かなり積極的に運動もしているというのに。そういえば、日本にいる以上に一日中、歩き回り、動き回っている海外旅行中は、さらに症状がひどくなってしまうのです(海外旅行中における、私の唯一の憂鬱ポイントなのです)が、これは何ゆえなのでしょう?

芸能人Sさんにひと言。「やはり、ちゃんと疲れても体が改善されないケースも、あると思います」。それとも、私の疲れ方がまだまだ、不十分なのでしょうか。

歩きグセはついても便秘グセは治らず…とほほ。願わくば、早くこの二つのクセの共存状態から脱出して、健全な疲れと健全な心身の因果を証明したいところです。

あら?お花の話題だったのが、いつのまにやら…大変失礼いたしました。麗しい季節に免じて、どうぞお許しを!

2009年04月24日

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