第419回 節約は豊かさのために

テレビをつければ、毎日のように「100年に一度の」なんとやら…。もう経済の低迷やら雇用問題についてのニュースには、さすがに食傷気味だ、という声をよく耳にします。確かに、周辺にも閉店してしまった店舗が増えていますし、電車の中釣り広告もまばら。経済にはあまり詳しくない私のような人間にも、その冷え込みは見て取れます。

「でもさ、もともとちゃんといいお給料もらって、安定した生活しているわけじゃないから、われわれにはあまり関係ない感じもするよね」「そうそう。いつも底辺付近の生活レベルにいるかわりに、極端な浮き沈みもない…みたいな」「少々はあっても、気がつかなかったりね」「大体、ボーナスなんて、一度ももらったことないし!」先日お会いした、ドイツ在住の某音楽家との会話です。景気が悪くなれば真っ先にそのとばっちりを受けそうに思われがちな音楽の世界ですが、肝心の音楽家たちはこんな時、案外のん気(?)なものです。

確かに、一般には、音楽は人間の生活に絶対的に必要なものではない、という意識でとらえられているかもしれませんが、私はそうは思いません。だって、悲しいときや、死にたくなるような辛い時、苦しい時ほど、音楽は威力を発揮するものだと信じているからです。かつて、30年戦争でドイツの人口が半分以下に減ってしまった時も、音楽は決して廃れませんでした。それどころか、ますます人々に求められ、育まれていったのです。

そのドイツには、『医者に行くより靴屋に行け』という格言があるそうです。薬に頼るよりも、まずは自分に合った靴をはいて、自ら足で歩いてみよう。それで少しずつでも体と心が爽やかになっていけば、やがてちょっとやそっとの病なんて克服できるさ、ということでしょうか。いかにも合理的な考え方をするドイツ人らしい発想ですが、よくよく考えると医学はドイツが本場。なかなか深い意味合いを持っていそうな格言です。

それをちょっと捩って、『銀行に行くよりオペラ(コンサート)に行け』なんてのはどうでしょう?一見、マリー・アントワネットの「(「我々にパンを!」と叫ぶ民衆のことを)馬鹿ね。パンがないなら、お菓子を食べればいいのに!」のように、とんちんかんな発言と思われてしまいそうですが、ちょっと違うのです。その心は、“コンサートを楽しむような気持ちや時間の余裕があれば、ちょっとやそっとの苦境だって乗り切れるもの。いや、苦境に立っている時こそ、自分は何を一番大切に生きていたいかを問う、よい機会なのかもしれない。ここはひとつ、「豊かさのための節約」について考え、実行してみようではないか”というものです。

経済的に豊かでも、心豊かになるとは限りません。でも、心が満たされて健康であれば、経済的な困難も少しずつ、克服できるのではないでしょうか。まさに、悪いところを薬(お金)で解決するのではなく、自分の本来もっている自然治癒力、人間力によって治そうよ、と、言いたかったのです。自分の足に合った、いい靴さえあれば、なんとか生きていける…。音楽はそもそも、人にとって、そんな、靴のようなものなのではないでしょうか。

その点、幸せなことに、私はいつも素敵な音楽や、大好きな楽器、そして勉強しに来てくれる可愛い生徒さんたちに囲まれているお陰でしょう、まったく何の不満も不安もないのです。考えてみたら、あまりしっかりした生活基盤があるほうではないのかもしれないのに(収入は不安定だし、ひとりものだし!)、実にのん気なものです。これには、大好きでしょうがない音楽をとことん学ばせてくれた両親に、感謝あるのみです。

「山に入るときには、まずあいさつをする。そのおかげか、40年ぐらいやっているけど怪我をしたことはないよ。山は遊び場のようなものだから、それこそ山勘が働く。それでも、まだまだ知らないことがあって、いつもなんだろう、なぜなんだろうって考えている。(中略)…これは私が好きで始めた仕事であって、世の中に絶対に必要なものではない。文化は私のものじゃないが、籠には地方の文化というものがあるんだから、できるだけもとの形を崩さない。私は編み子。手を動かすことを忘れちゃいけない。手がこんなにしなるでしょう?まだまだ腕が上がるってことだよ。」

新潟の蔓細工職人、江川さんの言葉です。山は江川さんにとって、あいさつをして入る、恵みに満ちたありがたいものであり、同時に“遊び場”でもあるからこそ、よいインスピレーションを得ることができるのでしょう。自分の向き合っていたいものから逃げずに、とことん、こつこつ仕事を重ね、虎視眈々と上達をねらいながらも遊び心を忘れない…日本人は本来、江川さんのような生き方があっている民族だったのかもしれないな、という気もしてきます。「職人は、働いて働いて、それを認めてもらってお金を得る。最初から大きなお金を求めた仕事をするもんじゃない。」

そんな生き方ができたら、他に多くは求めなくなることでしょう。大好きなもの、大好きなこととめぐり合えたら、たとえ億万長者になれなくても、人生勝ったも同然です。…江川さんが山葡萄の蔓で編み上げた手提げは、数年前に日本民芸協会賞を受賞しました。丈夫さはお墨付き。仕上げの美しさはもちろん、使えば使うほどになじんでいい色になっていくというその手提げをいつの日か手に入れるために(良いものは、ある程度高くて当然!)、ちょっと節約を楽しんでみようかな…などと、こっそり企んでいます。

2009年03月12日

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