第415回 捨てられない宝物

収納のコツ、とか、捨て上手は片付け上手、とか、巷では“生理整頓”がブームのようです。確かに、概して日本家屋は決して恵まれたキャパシティーを持っているとはいえないので、ちょっと油断すると雑多なものに溢れかえってしまいがちです。

例えば、ものの本によると、3年以上使っていないものは不用品とみなすべし、とあります。それでも想い出があって捨てにくいのであれば、写真に撮って、記録を残して処分する、なんていう方法が提案されています。なるほど、かさ張る手編みのニットもそういう方法をとれば、辛うじて“形”は残ります。でも、ひと目ひと目に込められた思いまでちゃんと、残るかなぁ。

比較的、「いつも(家が)片付いているね」とは言っていただくほうだと思うのですが、それでもまだまだモノが多すぎると、自覚はしています。大体、独り暮らしなのに何故、こんなに多くの食器やらタオルやらが必要なのか?…いやいや、たまに開くホームパーティーのために、食器はある程度持っていたい。タオルだって、多すぎるなら順次雑巾にしていけばいいのだし、目くじら立てるほどのものとも思えません。

問題は、靴やバック、アクセサリーの類いです。それぞれ、もう3年以上使っていないものが10を越えるほどあるのは認識しているのですが、一つ一つに思い入れもあるし、ある程度値段の張るものだったりすると“捨てる”なんて大胆な、罰当たりなこと、とてもできそうにありません。「“いつか使うかも…”の、いつか、は永遠に来ない、と思うべし」なんていう、お片づけマニュアルの見出しにため息をつきつつも、つい眼を背けてしまいます。

でも、そんな気弱な小市民の私も、正々堂々と(?)“捨てられない宣言”をすることができるアイテムがあります。それは、友人や生徒さん、家族からもらった手紙の数々。ダンボールにどっさりありますが、どうしても捨てられません。捨てたいという気持ちが沸いてこないので、もうこれは他のものを処分してでも持ち続けるぞ、と心に決めました。

留学時代に日本から届いたエアメール、生徒さんが一生懸命したためてくれた礼状、流れるような文字で書かれた、今は亡き祖母からの手紙…。どんなに黄ばんでいても、封筒の角がもろもろになっていても、手に取り、文章を読んでいくと、書いてくれた人に対する愛しさや懐かしさがこみ上げてきて、これを手放すかどうかなんて悩む余地のないことのように思われてくるのです。

洋服も靴も、その時にどんなに気に入って手に入れても、時間が経てばその魅力は色あせていってしまうことがほとんどなのに、手紙の価値は時間の経過とともに、むしろ高まっていくような気がします。それは、書いてくれた人の思いが込もっているからでしょう。その思いこそが、私をいつも支え、勇気づけてくれるものであることは、間違いないのです。

このところ、生徒さんからそんな、一生捨てられないであろう手紙を頂く機会が増えました。今は優しいお母さんになっている生徒さん、すでに就職して、立派に自立して頑張っている生徒さんからの近況報告や、セミナーや特別レッスンなどを受講した生徒さんが寄せてくれた、丁寧な感想がぎっしり書かれたお礼状、そして、毎週一緒にレッスンしている小さな生徒さんからの「みなこせんせい、だ~いすき!」という、ハートがいっぱいの可愛いラブレター…。なんて嬉しく、幸せなことでしょう。(残念ながら、男性からのラブレターはないのですが…。)

“捨ててスッキリ”、というのも分かるのですが、できることならそれを一段進めて、“捨てるべきものと捨てなくてもいいものが明確になってスッキリ”、というところを目指したいものです。そうすれば、自分の人生にとって、何が大切なのか、自分は何を大切に思って生きて生きたいのか、が、自ずと分かってくると思うのです。

ここで、はた、と、気づいてしまったのですが、この、棚から溢れているCDはどう考えたらいいのでしょう…。5年以上聴いていないものの方が多い気がするのですが…。う~ん、CDを作るのがどんなに大変なことか、身を持って経験しているだけに、これはやはり捨てられません。それより、私のCDが、買ってくださった方のお家の中で邪険にされず、末永く“同居”してくれることを、祈りたい気持ちでいっぱいになりました。

たとえ頻繁には使わなくても、少しでも幸福を与えてくれるものならば無理して捨てること…ないですよね!

2009年02月13日

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