第413回 甘い母?甘い先生?

「僕の甘い母がいつも言っていたんだけど…」ハンガリー人がよくこんなふうな言い方をするのが、以前から気になっていたので、その時は思い切って聞いてみたのでした。リスト音楽院留学時代のことです。「“甘い母”って…?お母様が優しい方だからそんな言い方をするの?」

英語ではスイート、というのは必ずしも“味”ではなく、優しい、とか、感じのよい、のような意味があるのは分かっていたので、これは直接的に訳したらおかしい、何かハンガリーの慣用的な表現なんだろうな、というのは見当がついていました。あるいはもしかすると、よくアメリカ人が恋人のことを「マイ・スイート・ハニー」とか言うように、愛する、大好きな、などというニュアンスなのでしょうか。

…そんな、子供のような質問に、彼は感じよく笑いながら答えてくれました。「いや、特にそういうことではなくて、ハンガリーでは義理の親ではなく、血のつながった実の親のことをそういうふうに言うんだよ。父親なら“甘い父”。」甘い母、ならまだ分かるけど、男の人が“甘い父”というのは、なんだか変な感じもしたのですが、考えてみたらなんだか可愛らしい表現です。

自分の祖国のことを、母国、といいますが、父国とは決して言いません。かと思うと、かつて子供の保護者をさす言葉は父兄、で、女性は誰も入っていなかったのが不思議でした。子供を産むのは女性、子供の責任をもつのは男性、ということだったのでしょうか。でも、少なくとも実際に子供を育てているのは、父親は分かるにしても一般的には兄というより母親なのだから、あえて女性を除かなくてもよさそうなものです(もっとも、今では改良?されて、“保護者”と表現されているそうですが…)。

そういえば、相手の親に対しては丁寧に二重に敬称をつけて“御母様”“御父様”、というのに、自分の親を人に語るときには何もつけずにただ父、母、になるのも、日本語の性質の面白いところです。

これは日本語には細やかな敬語の種類があることにも、関係しているのかもしれません。敬語には大きく分けて、3種類あると学びました。尊敬語、謙譲語、丁寧語…人物間の上下関係が反映された構造を持っているために、その使い分けはちょっと複雑です。差別的な理念がある、とか、目上に対する配慮に表現の重点が置かれすぎている、などという反対意見もあるようですが、そもそも言葉は、歴史の中で人々によって育まれてきた、大事な文化。批判をするのはなんだか違うような気がしています。

なんだか違うような気がするのは、まだ敬語の使い方も学んでいない年齢の低い子供たちに対して英語教育を始める、という案。ただ早いうちがいい、というのはあまりにも短絡的で、へたをすると危険なことになってしまわないでしょうか。よく「ピアノはいくつから始めるのが望ましいとお考えですか?」「早いうちから習った方がいいんですか?」という質問を受けて返答に困るのですが、それと同種類の戸惑いを感じるのです。

ピアノに関しては、何歳からでも、その機会が来たらそのときが習い時。確かに子供は早いうちからの方が可能性は広がりますが、早ければいい、とは限りません。要はその中味です。早い方がいいケースもありますが、せっかくチャンスに恵まれても、生徒さん本人にあまりやる気がなかったり、途中で断念してしまっては何もなりませんから、こればかりは断言できないのです。

だから、先ほどの質問の結論を申し上げると「よい先生に出会い、良質なレッスン、教育を受けられるのであれば、早い方がいいかもしれない。でも、いつがいい、というのは個人差があって、4歳かもしれないし60歳かもしれない」…つまり、生徒さんの向上心と教育者の質の高さ、の両方が、よい学びには不可欠なのだと思うのです。

英語に限らず、外国語に関しても、まったく同じとは言えないまでも共通する部分があるのではないでしょうか。どんな先生が、どんなカリキュラム(指導要領)で、誰に教えるのか。ゲーム感覚で楽しく、とか、差し当たっては英語が専門ではない小学校の先生が教える、とか、巷では苦肉の策(?)が報じられていますが、それもこれも、システムの“母体(これも父体、といったらおかしいですね)”や指標がしっかりしていなければ、意味のないことになりかねません。

母国語を大切にすること、母国を深く知ること、そして母国にも家族にも愛情や誇りを感じることができれば、その先に外国の文化を自然に受け入れられるようになりますし、それはそのまま、他者を受け入れ、それを自分の成長の糧にしていく知的・精神的な基本体力に繋がるような気がするのです。

発表会で、生徒さんのひたむきな姿と演奏に触れ、ピアノのレッスン、音楽芸術の教育を通して、生徒さんに少しでも何かそんなちからを身につけてもらえるように、これからも頑張らなければいけないな、と、改めて身の引き締まる思いがしたのでした。愛情と責任感をもって、義理の…ではなく、血のつながった“甘い母”、ならぬ“甘い先生”を目指して…えい・えい・おー!

2009年01月28日

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