第412回 そばにいて欲しい音

巷では風邪やらインフルエンザが流行り始めてきました。うがいや手洗いはもちろん、栄養のあるものをきちんと摂取して、ちょっとやそっとの病原菌にはびくともしない体を作りたいものです。

ところで、体が弱っている時や、ちょっと食欲のない時も、「これなら食べられる。むしろ、食べたい!」と思うものって、皆さんはなんですか?お茶漬けやお蕎麦だったり、くだもの、あるいはホットチョコレートだったり…人によって様々だと思います。私の場合は幸いにも、ほとんど「体が辛い」「食欲がない…」なんていうことがないので、その質問を自分がされたらさぞや困ったことになると思います。それでも、無理に解答するとしたら…なんでしょう、たとえば“梅干し粥”?

ただ、体や心?が弱っている時に、「これを聴きたい!」と思うものなら、いろいろ浮かびます。いろいろありすぎるぐらいです。心と体の健康のために、どうしても音楽を必要とする体質なのかもしれません。でも、その中で「この人の演奏を聴きたい!」と思える人、となると、ぐっと絞られてきます。

例えば、体調がよければ自己陶酔的なグールドのグリーグも、油ギッシュなシフラのリストも大いに楽しめます。コチシュが、がんがんテンポを飛ばしても、まるで駅伝のゴボウ抜きシーンを見ているみたいに爽快な気分になれるし、ハイフェッツのセクシーなグリッサンド(これは音楽用語で、二つの音の間を滑らせるように滑らかに奏でることです)だって、ドンと来い!です。

でも、ちょっと気持ちが滅入っている時やら、モチベーションがあがらない時となると…。かなり限られてしまいます。どんな時にも耳にするとじんわりホッとして、暖かいものに包まれているような気分になるような音をもつ演奏家は、案外少ないのかもしれません。かといって、単に心癒されるような優しい演奏、というのは、実はそんな時には意外にも響かないのです。多分、「大丈夫よ」「気にしないで」と、心配されながら励ましてもらう時のように、かえって自分のよくない状態を認識してしまうことにつながるからかも知れません(鬱の人に「頑張って」と言ってしまうのがいけないのと、少し関係があるかも…)。

実名を挙げると、ヨゼフ・シゲティというヴァイオリニストが大好きです。シゲティは1892年9月5日生まれの、ハンガリーのヴァイオリニスト(誕生日まで覚えているのは、父の誕生日と同じだからです)。アメリカでのバルトークとの奇跡的なリサイタルや、太宰治による日本公演の記述など、伝説の多さゆえに「“信者”のための演奏にすぎない」などと、不当な酷評を受けるケースもあるようですが、アクロバティックな技巧を追求するよりも知的な理解にもとづく作品解釈をうちだすことの重要性を求め、作曲者の意図に根ざした演奏をめざした音楽家といわれている人です。

特に晩年の演奏では、テクニックの衰えが指摘されてしまうこともありますが、シゲティの音は、ひと言でいうと「耳なじみがいい音」の反対です。それは、優しい言葉で慰めながら、優しく肩をなでてくれるようなスイートな恋人の声とは程遠く、「お前はそんなだからダメなんだ。馬鹿もん!」と、一喝されているような音。但し、その馬鹿もん!、を言いながら、彼は眼に涙を浮かべ、心の中は心配と愛情でいっぱいになって、感情の堤防が決壊しそうになっている、というような(そんな愛すべき人物、なんだか身近にいそうですね)。

う~ん、上手く言えないのですが、不器用さ、愚直さが、誠実さや深い感情、厳格さや向上心と混在ることによって何らかの化学変化を起こし、やがて熟成したらこんな音になるに違いない、と、いう彼の音(よけい分かりにくいですね)を聴いていると、別に言葉で励まされているわけではないのにいつしか体も気持ちも楽になるのです。

ちょっとプレイボーイみたいなところがあるかもしれないけど、一緒いるといい気持ちにさせてくれる、心地のよい音、も素敵なのですが、必ずしも万人がきれいと感じるとは限らないけれど、絶対なる信頼を寄せられる家族の存在のような音、の持つパワーに触れると、人の求めている“癒し”とは、本当はなんだろう、人の求めている音って…?と、考えさせられます。

もしかすると、その人にとっていつも聴いていたいと思う音と、いつもそばにいたいと思う人、とは、共通する性格をもっていて、どこかでリンクしているのかもしれません。…とすると私にとっての伴侶は、ここという時に厳しく一喝してくれるような人、ということになるのでしょうか。もうちょっと甘い雰囲気にも憧れているのですが…。

久しぶりに、シゲティのバッハを聴きました。ハイフェッツの自由自在に歌うような流麗なバッハとは大きく異なる、言葉を選びながらじっくりと語り聞かせてくれるようなバッハでした。同じ楽譜から、このように違うアプローチや解釈が生まれてくるのですから、音楽ってつくづく奥深く、面白いものです。

なんのお話でしたっけ?…むむ、シゲティは私にとっての、“梅干し粥”ってこと?

2009年01月22日

« 第411回 うまくちな人生 | 目次 | 第413回 甘い母?甘い先生? »

Home