第405回 バッハの受難

 「音楽の父」、ヨハン・セバスチャン・バッハの作品を研究・管理するドイツ東部ライプチヒのバッハアルヒーフ財団が、今年8月の18日に事務所内にあった銀行カードが盗まれ、2万ユーロ(約320万円)が引き出される被害に遭った、という事件があったことを、最近知りました。

なんでも、バッハの楽譜など大半の貴重な資料は、ベルリン市内で修復中だったため無事だったとのこと、また、研究のため事務所内にあった直筆の楽譜も難を逃れたそうです。財団によると、事件前夜、何者かが事務所に侵入して、経理部門の金庫のカギをこじ開けたのだとか。2万ユーロという被害額は財団年間予算の約2%に相当するといい、財団は「バッハ資料収集の予算などを圧縮するしかない」と困惑しているということでした。

何もそのような小さな(?)非営利的財団を狙わなくても、他にたくさん狙いどころ(?)はあるのでしょうに、何故よりによって?内部の人間による犯行でないことを祈ります。バッハも天国で嘆いていることでしょう。それにしても、貴重な直筆の楽譜などが被害を免れたのは本当に不幸中の幸いでした。

バッハというと10人中9人は「音楽室の壁に貼ってあった、おかしなカツラをかぶった厳めしい顔のおじさんの肖像画」をまずは連想する、とおっしゃいます(確かにあのカツラは強烈ですものね)。しかも、文部科学省の定めによって音楽の時間に聞くことになっているのはなぜか、『トッカータとフーガニ短調』。パイプオルガンの音色や作品をバッハで鑑賞しよう、という意図による選曲だとは思うのですが、あのカツラに肖像画のあの顔、そこへきてのドラマティックでなにやら恐ろしげなニ短調のトッカータの冒頭を聞かされては、ほぼ「バッハって、なんだかムズカシげな音楽を書いたのね」というイメージが固まってしまうのは、残念ながらむしろ自然なことでしょう。

そこへきて、とどめは「音楽の父」というバッハの位置づけです。これで“バッハ→カツラがへんだし、むずかしそう→バッハが父、だといわれるクラシック音楽って親しみにくそう”という固定観念は、特別に楽器を習っていない生徒さんにとっては、ほぼ定着間違いなしです。

特別に楽器を習っていない、と書きましたが、ともするとそんな生徒さんですら、バッハには拒否反応を起こしてしまうことが少なくない、という話も耳に入ってきます。それまでの「右手は旋律、左手は伴奏」というパターンではなく、両方、あるいは三つ以上にも及ぶパートがすべて同等のように扱われる多声音楽で書かれているので(すべての楽曲ではありませんが)、“こんがらがる”というのです。

でも、バッハに入る前から、きちんとよい聞き方を身につけながら勉強を積み重ねてさえ入れば、それは起こらないことなのです。現に、私の愛してやまない生徒さんたちはみんな、バッハの良さ、面白さをよく理解してくれているし、彼の音楽が大好きです。もちろん、私自身もそう。子供の頃から、もしかしたら一番練習が苦にならなかったのは、バッハだったかもしれません。

ハイフェッツやピアティゴルスキーなどの名演奏家が出演している豪華なハリウッド映画『カーネギーホール』の中で、クラシックの音楽家になるために何を勉強したらいいですか、と尋ねられたルービンシュタインが「まず第一にバッハ。そして、二にも三にもバッハだよ」と答える、印象的なシーンがありました。バッハの楽譜には基本的にテンポやスラー、スタカートなどの奏法の指示や指使いなどは書かれていないので、演奏者がそれらを彼の言葉でいうところの“インベンション(創意、工夫)”をしなければなりません。ここが、指導する方にとっても難しいところですが、きちんと学びを積み重ねていけば、生徒さんは「指使いは確かに大変だけど、自分でいろいろと考えながら弾き方を見出していくのは、楽しい」と話してくれるようになります。

この、生徒さんと音楽について語り合うひとときは、私にとって至福なのです。先日は、今バルトークを勉強しているY君が「初めは、拍子も7拍子でつかみにくいし、片手で譜読みしているときは和音の響きもよく分からないまま、“これでいいのかな?”って思いながら練習していたんだけど、この頃、リズムや和音が決まると、すごく気持ちがいいんです。響きもカッコいいし!」なんて、ニコニコしながら話してくれました。「そうなのよね、その“決まる”気持ちよさ、なんともいえないでしょう?“決ま”った時って、はっきり分かるものね。ちょっと聞くと変な感じのする響きも、全体の流れや曲の構成の中で弾くとなんともカッコいいのよね。」と、ついお見送りの時に、玄関先で立ち話が長引いてしまうのです。

ブルガリアの7拍子を「2+2+3」なんて頭で考えると、手も指も(?)フリーズしてしまいそうですが、リズムさえ体に入ってしまえばこっちのもの。あとはノリで自然に弾けてしまうのです。そういう柔軟な感性を持っている子供たちって、本当に素晴らしい…。この頃、生徒さんのレッスンが自分にとって、よい気づきにつながることが多くなってきたように思われてきて、嬉しいのです。

最近、レッスンだけでなく自分のためにまたバッハが勉強したくなり、毎日のように弾いています。ちょっと楽譜棚を物色したら「私を手にとって」という信号を送ってきた一冊がありました。トッカータ全集です。きちんと勉強したことがなかったのですが、一曲目を弾いてみたらあまりの素晴らしさに、残りの6曲もすべて夢中になって弾いてしまいました。遊び、生気、芸術的なひらめきと技巧の妙…どの瞬間も“弾く”喜びと刺激に満ちています。音楽ってすごい。バッハの素晴らしさに、改めて感服しました。

新約聖書「マタイによる福音書」の26、27章のキリストの受難を題材にした、バッハの代表作、『マタイ受難曲』を、このクリスマスにじっくり聴いてみたくなってきたこの頃です。


2008年11月28日

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