第402回 ハッピーなバースディ

「お姉ちゃん、お誕生日のプレゼント、何がいい?」

いつ頃からか、妹は10月の半ばになると必ずこう聞いてくれます。物心ついた頃からだとしても、実に30年以上…!お互いに(なんて言ったら起られちゃうかしら)いい歳になってきたし、そろそろ気を遣わないように…と、姉の私から言い出すべきなのかな、という気もするのですが、「プレゼント」という心浮き立つ言葉のもつ魔力の前に、そんな意志はいつも、もろくも消え去ってしまうのです。

妹に比べると、9歳離れた弟は、男兄妹…じゃない姉弟なだけあって、淡々としたものです。それでも、今年は一寸面白い展開がありました。誕生日に日付が変わった直後(メールを見直したら、00時03分でした)、携帯にメールが入ったのです。滅多なことではメールや電話などよこさない弟のこと…。何だろうと思ったら、タイトルは「おめでと」。本文は「(一行空け)嬉しくないとは思うが…(一行空け)風邪引いてるから俺は寝る」

深夜のメールに気遣って、返事は要らないから、という代わりの「俺は寝る」という言いまわしがいかにも彼らしく、しかもこれ以上短く出来ないぞという簡潔な(素っ気ない?)ボリュームの中で、言いたいことを言い尽くしているあたりが可笑しくて、思わずプッと吹きだしてしまいました。何よりも印象的だったのが、一行空け、のところです。この“間”というか“空白”に、彼がいつもしゃべっているテンポや、すっとぼけた感じがよく出ていて、吹きだしながらも感心してしまったのでした。

弟のメールはさておき、“間”の妙、というのは日本人が特に強く持っているセンスなのかもしれません。掛け軸にしても、柿右衛門の絵付けにしても、空白の取りかたが絶妙です。美しいもので埋め尽くそうとするのではなく、あえて“抜き”を計算しながら、侘び寂びを表現する…。茶花もそうです。たった一輪の花の風情で、えもいえぬ緊張感や寛ぎ感、季節感やもてなす主人の心のうちなどを伝えてしまうのですから、すごいものです。ゴージャスなもので人の心を満たすよりも、ずっと高度な美学だと思うのです。

9月にレコーディングした時、ちょっとだけ意識したのは、「日本人である私の弾くフランスの作品」というテーマでした。フランス人のように弾くのではなく、日本人としてのアイデンティティをもつ、そして21世紀(彼らが生きていた時代ではなく)に生きる私の弾くフォーレ、ドビュッシー、ラヴェル…。彼らの偉大な作品に、あまり気負わず等身大で素直に向き合おう、と思いました。

実は留学時代、こんなことがあったのです。ハンガリーでラヴェルの『道化師朝の歌』という作品のレッスンを受けた時のこと。「ここは、うんとスペインの踊りのリズムを、アクセントで強調してみよう。ラヴェルはフランス人だったけど、スペインの血が入っていたからか、彼の作品の中のスペイン的な要素ってとてもチャーミングだよね」と、先生がおっしゃったのに対して「そうですよね。なんとなく分かります。でも、なかなかそれがつかめないんです。フランスもスペインも行ったことないし…」と、言った私に、先生は怪訝そうな顔をして「おや、僕だってフランス人じゃないし、フランス語だって『ア~…』『ウ~…』って感じだし(笑)、フランスの音楽は僕にとっても異国の音楽。君と変わらないよ」とおっしゃったのです。

その時、「そうか、ヨーロッパ、とひとくくりにすること自体が的外れなのだわ」と、ハッと我にかえったのでした。

それ以来、それぞれの音楽の言語や文化、歴史的背景はできる限り(正確には、“出来る範囲で”)学ぶことにはしていますが、根っこまで深く掘り下げることも、ましてや日本人であることに背を向けてフランス人になることも出来ないのに、知ったかぶりをしようとすることはないのだ、と、前向きな意味であきらめられるようになりました。そういえば、海外で活躍しているアーティストは皆、自分のアイデンティティを否定しないで堂々と自身の表現を主張できている方たちばかりです。音楽家も、建築家も、デザイナーも…。

ですから、「~前略~彼女の演奏は、良い意味でとても淡々としたものです。得意な演目の弾きっぷりを誇るでもなく、難曲に声高に挑むでもなく、名曲の独自の解釈をのたまうでもなく、作品と静かに向き合い、そこから感じ取るなにごとかを、その時々の等身大の表現としてピアノの音に託していく。すると、ある時期、作品の方からピアニストに吸い寄せられてくることがある。つまり、弾き手と、今その人に弾かれたい曲達が呼応しあう。美奈子さんのアルバムのアイディアは、そんな風に生まれてくるに違いなく、発想の時点ですでにひとつの表現として成り立とうとしている。そこが面白い。~後略~」

前回に続いて今回もディレクターを引き受けてくださった作曲家の町田さんが、CDのライナーノートにこんなふうに書いてくださったのを見て、なんだかじんわりと嬉しくなり、同時に、ホッとしたのでした。

CDがリリースされる日はまだ決まっていないのですが、来月上旬頃にリリースになる予定です。ホッとしたのもつかの間…皆さんがどんな風に受け取ってくださるか、考えてはドキドキしているこの頃です。どうか、CDのお誕生日もハッピーなバースデイになりますように…。

2008年11月07日

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