第397回 シャネルのルージュ

10月になりました。衣替えのこの時期になると、必ず思うことがあります。「ああ、まもなくまた一つ、歳をとるのだわ…」。

それでも、誕生日がなんとなしに楽しみになってしまうのは、子供の頃の思い出のためではないでしょうか。今の子供たちにとってはさほど珍しいことではないかもしれませんが、私の小さい頃は、自分の誕生日はお友達を呼んで、一緒にご飯やケーキを食べられる、ハレの日でした。母も、ちょっと華やかにみえるお料理をいろいろと工夫してくれて、オードブルののったお皿に目が釘づけになったり、ケーキが運ばれると「わぁ!」と歓声が上がったり…。「美奈子ちゃんのお母さん、お料理上手だね」と褒められると、自分が言われたかのように嬉しく、誇らしい気持ちになったものでした。

そんな母に、初めて自分が作ったお金でプレゼントを買ったのは、忘れもしない大学一年生の時のことでした。アルバイトして母の日にシャネルのルージュをプレゼントしたのです。

基本的にはあまりお化粧っけのない(少ない)母ですが、口紅だけはきちんとひいていました。外資系の会社の口紅には、はっきりとした主張のある色のラインナップや、いかにもヨーロッパの雰囲気を感じさせるような香りがあって、秘かに憧れを抱いていました。

特にシャネル!…その、シンプルな黒と白のカウンターに行くこと自体がちょっとした緊張感で、どきどきしたのを覚えています。おずおずと希望の色を申し出て、店員さんにプレゼントのことを相談するとてきぱきと感じよく応対してくれて、「お母様、喜んでくださるといいですね!」と微笑みながら、シャネルのリボンを優雅にあしらった小さな口紅の箱を手渡してくれたのですが、私にはそれが、まるで宝石箱のように見えたのでした。

おこづかいがない小学生の頃のプレゼントの定番は、「お買い物券」「お手伝い券」といったチケットの類でした(ちなみに母は肩こりがない、という珍しい体質なので、「肩もみ券」はありませんでした)。母は「ありがとう」といって笑顔で受け取ってくれるのですが、そのチケットを使ってくれるのはたいてい始めの一回だけでした。10枚綴りになっていたあとの9枚はいつ使うつもりなんだろう…と、疑問に思っていたのを覚えています。

今思うと、チケットがあろうとなかろうとお手伝いはするのが当然なのに、我ながらなんて恩着せがましい思いつきなのでしょう。それでも、子供心に「少しでも喜んでもらいたい」という気持ちがあっての工夫だったことは伺えて、苦笑してしまうのですが。

以前は、音楽の勉強は自分が優れていると評価されているから、とか、周囲がそれを望んでいるから、ではなく、自分が「やりたい!」という気持ちがあって続けていくのが自然だ、というようなことを書いた気がしますが、最近それも違うのかな、と思い始めています。

人は誰でも(おこづかいがもらえないような子供でも)、本来、心のどこかで“何かの形で人の役に立ちたい”、と願っている生き物なのではないでしょうか。人に喜んでもらうために(=社会のために)、自分は何ができるのだろう、という願いは、もっとも自然な、健全なものだと思うのです。

学生時代、「だって、私よりも上手な人なんていくらでもいるんだもの、私がピアノを弾かなくたって誰も困らない…」と、悩んでいた友人に対して、「そんなふうに考えないで、自分がやりたい…っていう思いがあるなら、人に何て思われようと続けていったらいいんじゃない?」と答えていました。「人の評価なんて気にしないで、ピアノが好きならそれと向き合っていこうよ」と。でも、今思うと、ある意味では彼女は正しかったのかもしれません。だって、裏を返せば彼女は「私がピアノを弾くことが、誰かのためになるかもしれない。誰かを救えるかもしれない」と願って励んできたのだと思うのです。

それなのに…。私はなんて自分本位な勝手なことを言ってしまったのでしょう。今頃になって気づいても遅いのは分かっていますが、発言を訂正したい気持ちです。「そうね、○○ちゃんのそうやって真面目に考えて悩んでしまうところ、私大好きよ」。にっこり笑って、ただそう言えたらよかったのに…。

とにかく、なんだかんだと月日は流れ、また一つ歳を重ねる日が近づいています。母にシャネルの口紅をプレゼントした時から、約四半世紀もの歳月が流れているというのに、心の熟成がなかなか感じられません。人のために何かをきちんと成し遂げることができるようになるのは、いつになることやら。人生、一生修行です。

2008年10月02日

« 第396回 元気です | 目次 | 第398回 水と油 »

Home