第393回 片恋がステキ!(其の二)

みつはしちかこさんといえば、私が産まれる前から現在に至るまで連載が続いている『小さな恋のものがたり』や、かつて朝日新聞の日曜版に掲載されていた『ハーイあっこです』で広く親しまれている漫画家です。

『小さな恋のものがたり』の主人公チッチは、背が低くておっちょこちょい、運動も苦手だけどお料理や編み物が得意な、いかにも漫画の世界の女の子…という設定なのですが、少女時代にはその風貌の愛らしさや、ところどころに挿入されるチッチの“詩”が切なくて、そして絵があまりにもきれいで、つい感情移入して読んでしまったものでした。

絶版になっているみつはしさんの本を、ひょんなことから手に入れました。『片恋がステキ!』(立風書房)という、いかにもみつはしさんらしいタイトルの、可愛らしい挿絵がたっぷりのエッセイです。

“人というのは、私にとって、永遠の恋の対象です、永遠の謎です。知らないから知りたい、と思うし、知れば知るほど奥深くて、恋をすることは私にとって、宇宙旅行をするようなものなのです。/ですから、人に馴れるということはできません。/人は、いつも不思議で神秘な存在です。/たとえ、何十年も一緒に住んでいる連れ合いでも、私にとっては、日々新鮮で不思議な人なのです”

残念ながら、私はみつはしさんのように、いくつもの恋を通して自らが成長する機会や、何十年も一緒にいる連れ合い…という存在には恵まれてきませんでしたが、それでもなんとなく分かるような気がします。考えてみると、彼女のいうところの“人”というのが、私にとっての“音楽”なのかもしれません。

ものごころついた頃からずっと思いつづけているものの、なかなか両思いにはなれませんし、恐らくこの先もなることはないのではないか…という気がしています。そんなことに気づいたのは、生徒さんのレッスンをしていたときでした。

「頭では分かっているのですけど…出来るかしら~」「ああ、出来ない~!」その方はとても熱心だし、よくお弾きになるのですが、しばしば出来る、出来ない、という言葉(特に後者)を、レッスンの時によく口にされるが、心のどこかに引っかかっていました。そしてある時、ついにたずねてみました。

「○○さん、“出来ない”をよくおっしゃるけど、出来るかどうかが大切なのではないと思うのです。あまり気になさらないでくださいね。そもそも、出来ない、ということは、出来る、が意識されるから存在することですよね。でも、何をもって“出来た”なのか、って、実は深いことだったりしませんか?音が弾けたから“出来た”とは限らないし…。私も、自分が“出来ている”なんて思っていないんです。ずうっと片思い(笑)。でも、出来るかどうか、よりも、やってみること、そしてそれによって少しでも前に進むことに、もっと大きな意味があると思うのですが…どうでしょう?」

その方は、素晴らしい理解力と向上心に満ちていらっしゃって、「そうですね。すぐに結果を得ようとしなくてもいいのですよね。…そう考えたら気が楽になりました」と、笑顔で同意して下さったけれど、あとから考えたら年下なのに随分生意気なことを言ったものです。

その時、言いながら思っていました。「ああ、きっとこれからもずっと、音楽に片思いし続けるんだろうなぁ」と…。

ソロアルバム第二弾のレコーディングが、いよいよ来週に迫ってきました。ドビュッシーの“月の光”や“バラード”、フォーレのノクターンやラヴェルの“亡き王女のためのパヴァーヌ”や“クープランの墓”…。どの作品もまぶしいほど素敵で、輝いていて、まさに憧れのセンパイのようです。

曲を知れば知るほど、もっと深く知りたいと思うし、弾けば弾くほどに思いはつのるばかり…。『小さな恋のものがたり』のチッチのように、なかなか振り向いてもらえそうにありません。でも、たとえ何十年も連れ添った人だって、そう簡単に“理解”できるわけではないのだし、第一、自分で言っていたように“出来る(叶う)”かどうか、が重要なわけではないのでした。できるだけのことを、精一杯するのみです。

え?それじゃちょっと言いわけみたい、ですって?う~ん、確かに…。レコーディング直前につき、どうかご勘弁を!

2008年09月05日

« 第392回 生きることは愛でること | 目次 | 第394回 はだしでベーゼン »

Home