第392回 生きることは愛でること

北京オリンピックも終わり、暑かった夏もいよいよ大詰め。私の住み家のある千葉でも、朝や夕方には涼やかな風がふくようになってきました。ここまで来れば、秋もすぐそこです。

「食欲のないときも、これならもりもり食べられますね」「今週は夏バテ解消メニューのご紹介です」お料理番組でも、夏になると毎年のように食欲不振を克服するメニューを提案する特集がくまれたりますが、私にとっては夏バテはともかく、食欲不振、というのはどうも馴染みがない存在です。だって、朝早くから太陽が輝き、気温がぐんぐん上がってトマトもトウモロコシもゴーヤも美味しくなるし、早くも北海道あたりからの新秋刀魚が出回り始めて、スイカや葡萄、桃などの果物が旬を迎えるこの季節。どうして食欲が落ちることがありましょう。(真夏にすき焼きやお雑煮を食べたい、とは思いませんが、“モツ煮とよく冷えた生ビール”なら大歓迎!)

おかげでこの夏も夏バテ知らずの絶好調でしたが、それが秋になったらまぁ、どうなることか!里芋にサツマイモ、栗にきのこ。旬のお魚はますます種類が増えるし、千葉名産の梨もどんどん出てきます。何より、秋といえば新米、新酒の季節でもあるのです。

最近、巷では、やれ成人病だメタボリック症候群だ…と、“美味しいものを食べる”という、私のような小市民の(?)ささやかな楽しみまでもが脅かされるような恐ろしげなコトバが囁かれていますが、美味しいものが身体に悪い働きをするなんて、どうしても思えません。問題があるとしたらそれはむしろ、食べ方、摂取の仕方にあるのではないでしょうか。栄養バランスを無視して極端な偏食をしたり、量を採り過ぎたりしなければ、どんな食材もきっと身体に悪い影響なんてないと思うのです。

そして、意外に大切なのは、それらの食べ物をどんなふうに、どんな気分で頂くか、なのではないでしょうか。一人でも家族や友人とでも、楽しんで食事ができればきっと、栄養の働きや身体への吸収率は倍増するのではないかと思うのです(科学的・医学的な根拠はないのですが、なんとなく)。

そうそう。先日、美容の専門家とお話する機会がありました。始めは間違ったスキンケアについて、やら、本当に肌に良いこととは、肌にすべきこととはどんなことなのか、などについての話題だったのですが、「でも、確かにノウハウは色々あるけど、私の尊敬する上司が言うには、結局一番大事なのはコスメよりもメンタルな部分だそうで…。彼女曰く、“美容のために化粧品以上に大切なのは、肌だけでなく身体の中や心に栄養をどう与えるか、なの。食べ物もそうだけど、美味しいものを楽しく食べること、これが美容の基本なのよ”って。ちなみに彼女は今、68歳なんだけど私よりも肌がきれいで、もう、すごい説得力なんですよね」

確かに、美味しいものを食べることや芸術に触れることとは、言い換えれば耳、目、鼻、舌、感触…まさに五感でそれらを“愛でる”行為です。私たちが美味しいものを求めるのも、豊かな芸術に触れたいと思うのも、それらを“愛でる”ことが心に栄養と元気を与えてくれることになる、と、潜在的に理解しているからなのではないでしょうか。“愛でる”というのは“愛する”ことでもあります。とすると、人は“愛でる”ために生き、生きるために“愛で”、さらに“愛する”ことを求めていて、“愛する”ことで幸せになる…ということになります。嗚呼、人間とはなんと素晴らしい生き物なのでしょう!

これは是非、心と身体の健康のためにも、そしてシアワセのためにも、来る秋の旬の食べ物(旬の飲み物?も!)も、たっぷり頂かなくては。しかも、思いっきり楽しく…。ふっふ、考えただけでも、ワクワクします。

でも、そんな美味しい秋を謳歌する前に、9月に入るとすぐ、レコーディングが待っているのでした。9,10日の二日間でフォーレ、ドビュッシー、ラヴェル、そしてセヴラックのピアノ作品全12曲を録りきらなければならないことになっているのですが、う~ん、どうなることやら…。今回は何年も前から弾きたいと思い続けてきた、あまりにも好きな曲ばかりなので、好きがゆえの畏敬の念のようなものが先にたってしまい、恐いもの知らずだった前回のように“楽しみ半分、不安が半分”というよりも“心配が半分、不安が半分”という感じなのです。

いやいや、弱気になってはいかんいかん。レコーディングが終わったら、秋の美味しいご褒美が待っているのだ!9月10日が終われば気分はバカンスよ。こうなったら、馬面ニンジン作戦で乗り切るぞ!

(*8月29日の更新は新潟でのセミナーのため、お休みいたします。次回の更新は9月5日の予定です。)

2008年08月24日

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