第391回 “平気”を味方に

「おとなというものはどんなに苦労が多くても、自分の方から人を愛していける人間になることなのだと思います」

この美しい言葉は、絵本画家のいわさきちひろさんによるものです。ちひろさんというとパステル調の柔らかくて優しい色彩の子供の絵が目に浮かびますが、一方では自らも熱心な共産党員として、共産党議員の夫を支え続けた、芯の強い一面もありました。また、『戦火のなかの子どもたち』『母さんはおるす』など、戦争をテーマにした絵本も手がけ、平和の大切さを訴えていらっしゃいました。

前者は、ちひろさんの亡くなる前年に出版された彼女の最後の絵本で、表紙に描かれている暗い眼をした少女の表情がなんとも痛々しい本です。後者はベトナムが舞台。母さんは戦場に出かけていて家にいないけれど、母さんに似ているところを競ったりしながら、母さんをいつも身近に感じて健気に生きている幼い姉弟たちの姿を描いた、ベトナム人作家による物語にちひろさんが挿絵を描いたものです。

大なり小なり、人間は過ちをおかすものですが、過ちをおかさないようにするためには何が過ちだったのかに気付き、それを繰り返さないように努力することや、そのことを忘れずに胸に留めておくことが大切なのだ、と、頭では理解しているつもりです。ただ、自分がそれをきちんと実行できているかといわれたら、あまり自信がありません。

「あら、○○ちゃん、楽譜のここに、クレッシェンドって書いてあるわよ。クレッシェンドはどうすることか、分かるわよね?…じゃ、やってみましょう。せっかく知っていても出来ていなかったら、『あれ?このお友達はクレッシェンド知らないのかな?』って思われちゃうものね」普段のレッスンでつい、生徒さんに言ってしまうことですが、言っている自分はどれほどできているのかしら。知っていても、分かっていても、それが行動に結びつかなかったら何にもならないのに…。我ながら、頼りない限りです。

人間は、子供ができて親になることから成長し、本当の愛情を知って、自然にちひろさんのいう“おとな”になっていくのでしょう。そんな光栄な機会に恵まれていない私は、なかなかきちんとしたおとなにはなれそうにないけど、こうして生徒さんや周囲の人とのやりとりの中から、少しずつでも何かに気づき、学び、成長していきたいものです。

今日はとても暑い一日でした。わがマンションは、その名も“ハミングロード”という、八千代市きっての(?)美しい遊歩道に面しているため、普段は子供たちの声や三輪車を引きずる(!)音などで大賑わいです。でも、なにぶんにもこの炎天下…さすがに日中は人通りも少なく、窓を開けると子供たちにかわって蝉の声が舞台の主役を張っていました。夕方、少し風がでてきたので外にでてみると、乳白色の美しい月が満月に限りなく近い“輪”を模っていました。その優しい“輪”のシェイプは“和”を連想させ、“和”は穏やかさ、安らかさ…つまり、“平”を喚起させます。なんて“平和”なかたちなのでしょう。

“平”という文字はもともと、水面にひらたく浮かぶ水草の形を表わしているのだそうです。ちなみに、“平気”とは、平和な気、や、平静な、落ち着いた気持ちを意味するのだとか。“平気”でいるって、大切なことだったのです(特に、なにかというとすぐにぐらぐら大騒ぎしてしまう、私にとっては…!)。

先日、来月レコーディングするホールでの打ち合わせがありました。思いがけず、ホールの係りの方から「調律の方は、鈴木さんのご要望には答えられません。こちらの指定の業者さんの方で、やっていただくことになっておりますので」と宣告され、びっくり!「調律の方に関しては、ホール申し込み時に確認して、そちらのご承諾を得ているのですが…」「そんなはずありません」「希望の調律師の方のお名前をお伝えして、しばらくしてから、折り返し担当の方からOKのお返事のお電話を頂いていますよ。記録があるのではありませんか?」「確かに、そのお電話は私がお受けしましたが、担当がそう返答するはずないのですが…」「はずがない、とおっしゃっても…」泣きたい気分でした。

調律はとっても大切なので、勿論、きちんと確認してから進めてきました。この期に及んで、だめです、と言われても、お願いしていた調律師の方にも申し訳ないですし、レコーディングで初めての調律師さんとお仕事するのも心細いことです。そういえば、駅からホールまでは徒歩10分ほどの距離なのですが、にわか雨に降られてびしょぬれになってしまいました。なんだか先行きが危ぶまれ、色々な心配がどっと押し寄せてきました。

でも、これしきのことで“気”を乱していてはノンノン!…でした。大和なでしこたるもの、こんな時ほどデンと構えていられなくっちゃね。少しぐらいなにかあったって、気持ちの持ちようです。平気よ、平気。大丈夫。

…と、ちょっぴり気づいて心の鍛錬をしたつもりになった、今年の終戦の日でした。

2008年08月15日

« 第390回 七夕の願いごと | 目次 | 第392回 生きることは愛でること »

Home