第390回 七夕の願いごと

仙台では、一ヶ月後れて今頃が七夕祭りです。織り姫様と彦星様が年に一度、会える日…という、ロマンティックな背景とは裏腹に(?)、仙台ではアーケードを彩る数え切れない七夕飾りのほか、その前夜に地域で最も盛大な花火大会や、豪華なパレードだの雀踊りだのと、盛りだくさん。一年で最も賑やかな三日間になります。

花火も、優雅な長い吹流しの七夕飾りも素敵なのですが、個人的にはこの行事のメインは、願いごとを書く“短冊”です。願いごとを書き出す…これは実は、とってもいいことなのではないかと思っています。自分がどうなりたいのか、とか、何をしていたいのか、を、改めて問ういい機会になりますし、声に出す(紙に書く)ことですでに少し、実現に近づいたような気持ちにもなるというものです。

高校三年の時、リクルートという会社からの奨学金を得るための論文を仕上げたことがありました。一次審査でこの論文が通ったら、二次試験の面接があり、それに合格すると年間、確か200万円くらいの奨学金を取得できる、というものでした。ただし、論文審査に合格するのは全国で約25名、奨学生になれるのはその中でも数人のみ。但し、その年度に現役合格しなかった場合は無効になる…という条件だったように記憶しています。

論文は、原稿用紙15枚だったか20枚だったか…。いずれにしても、それほど大きなものではなかったとはいえ、当時の私にとってはかなり大変なボリュームでした。確か、『大学に入って何を学びたいか』というようなテーマでした。どういうわけだか、同じ高校から受けたもうひとりの友人につられて(?)、論文審査に合格してしまいました。

合格者は東北地方からは4~5人ということで、当時のリクルート仙台支社の一室で、その面接は行なわれました。面接、というもの自体にほとんど経験がなかったので、ひどく緊張したのは覚えていますが、緊張のせいでどんなことを質問されたか、ほとんど覚えていない…という情けなさです。ただ一つ、覚えているのは、唐突に自分から口にした次のセリフ。「わたし、夢があるのです」

考えてみたら、相手に聞かれたわけでもないのにこんなことを切り出すなんて、まったく見当はずれのおかしなことです。それでも面接の試験官は、怪訝そうな表情を浮かべながらも、「ほほう?どんな夢ですか?」と、一応、尋ねてくれました。

「学校を作りたいんです。文化や芸術について、高いレベルで広く学べるアカデミーのような学校を、たとえば仙台のような地方都市に。…地方に住んでいると、どうしても教育機関の選択肢が限られてしまったり、結局大変なお金を使って東京で学ばなければならないことになってしまっているのが現状だと思います。それに、音楽を深く学ぶためには、音楽や専門の楽器についてだけでなく、他の芸術や様々な国の文化を理解していた方がいいと思うのです。ですから、音楽を学ぶ学生も、美術や舞踊、他の文化についてなどを、自由に選択できるようなカリキュラムにして…。しかも、学ぶ意欲のある学生には授業料がかからないようなシステムをつくれたらと。」

この瞬間、試験官の方に、いま流行の言葉でいうところの“ドン引き(相手に突飛なことを言われたりされたりして、思わずひるむこと)”されてしまいました。何の具体策も金策も経験も実績もない女子高生がいきなりこんな大きな夢を語っても、説得力があるわけがありません。結果は落選。無理もないことです(後日、この奨学生に、いまだかつて音楽や芸術関連の大学の奨学生は合格したことがなかった、という話も聞きました)。

でも、この夢は私の心の引き出しの奥の奥に、今もこっそり…でも、大切に、保管されているのです。まるで、決して捨てることができない、学生時代にやりとりした親友からの手紙のように。

規模は小さくても、いつかそんなアカデミーが作れたら、どんなに楽しいでしょう。科目は文化、芸術関連。とはいっても堅苦しいものではなくて、音楽、美術や工芸、デザイン…幅広く芸術について学べて、しかもその中には日本の伝統的な美術や、生活を楽しむための陶芸、フラワーアレンジメント、ガーデニングや家庭菜園の楽しみ方、料理についての講座も網羅されていて…。生徒さんは、原則としてに年齢制限なし。巷のカルチャーセンターと一線を画すのは、地域に根付いたものであること。

最も問題なのは資金面。こればかりは私にはまったくどうしたものか、見えてこない部分なのですが、例えばある講座の講師を務めたら他の講座を無料で受講できる…なんていうシステムを導入にしたら、どうでしょう?…なんて、こんな経済観念の乏しい頭でいろいろ考えてみてもまったく現実味はないのですが、当の本人はわくわくと楽しい気持ちになってきます。

「学校をつくりたいんです。」七夕に免じて、もしも願いごとがゆるされるなら、今もやはりそんな夢を口にするかもしれません。…と、いうことは、高校三年生からこれまでの間、ほとんど成長がないということ?う~む、確かに、それは事実かもしれないなぁ。でも、実はまんざら残念な気もしていません。だって、少女の頃と同じ夢を今も抱いていられるなんて、悪いことばかりではないような気がしませんか?

2008年08月08日

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