第384回 母はハーブのように

ちいさなベランダに、マジョラム、セージ、パセリ、バジル…。キッチンで使うハーブを何種類かコンテナに植えて、楽しんでいます。一番気になっているのはルッコラ。タネから育てているのですがまだ赤ちゃんなので、家を空けているときは「千葉でも、雨降ったのかな?あるいは、雨に降られすぎてうちのめされていないかしら…」と、気が気ではありません。

少しずつでも成長していく植物を見守るのは、心愉しいものです。自然の逞しい力強さ、ちょっとした日光や水分反応する素直さ、そして何よりも、土に根ざして懸命に生きている美しさ…。ベランダのこんなささやかな植物たちを見ているだけでも、救われるような気持ち、あるいは励まされるような気持ちになるのです。

そして、同時に、成長しないなぁ、と思うものにも直面してしまうのです。恥ずかしながら、自分自身です。

例えば、このところ増えているミスのひとつが、食器を割ってしまうこと。以前はもう少しゆとりをもって扱っていたせいか、食器を割る、なんてほとんどしなかったのに…。なぜかこのごろよく手を滑らせてしまったり、他のものを片付けるときに引っ掛けて、乾かしているワイングラスをたおしてしまったりする“事故”が多発しています。

お気に入りの食器はしまい込まず毎日どんどん使いたいほうなので、割ってしまうのはどうしても好きな食器ばかり、ということになります。中には友人から頂いた、思い出の品もあるので、割ってしまった瞬間は哀しさと余裕のない扱いをしてしまった自分への反省の気持ちでいっぱいになるのです。つい先日も、長年愛用していたご飯茶碗を割ってしまいました。

「人生でさほど大切でないこと、くよくよ考えなくてもよいことや、割ってしまったコップみたいに、もう後戻りできないことを誰かにぐちるのは、わたしは好きじゃないの。」最近、母に言われたことをふと思い出しながら、反省すべきは食器をだめにしてしまったことよりも、元に戻らないものをくよくよ考えては気持ちが落ち込んでしまうような性格の方なのかもな、なんて考えたりするのです。

日光や水分が足りなくて少々くったりしても、またすぐに屈託なく復活して、収穫されても次々に香り豊かな葉を伸ばし、時に花も咲かせて周りの人の目も鼻も舌も楽しませる、生命力溢れるたくましいハーブたちを見ていると、なんだか母みたいだな、という気がしてくるのです。(「あら、ユリとかアジサイとかのお花じゃなくてハーブなの?」なんてつっ込まれてしまうかな?)そして、「ああ、母には生涯、かなわないだろうな」という、幸福な敗北感(?)に襲われるのであります。

考えてみたら、お気に入りの食器との“お別れ”は、考えようによっては新しいお気に入りとの“出会い”の始まりかもしれないのです。確かに、気にしてもしかたありません。よし、今度の休日にはゆっくり食器売り場をまわって、新しいご飯茶碗を手に入れようっと!…と、考えたまさにその時、玄関のチャイムが鳴りました。「はーい?」「S急便です。鈴木さんにお届け物です」ドアを開けると、なんとなんと、長年にわたって宮城県北部からレッスンに通ってくれて、今は優しいピアノの先生、そして優しいお母さんになった元生徒さんから、たっぷりのお米と、彼女の旦那さまが作った極上のお海苔がたくさん入った大きなダンボールが目の前に差し出されました。なんというタイミング!米びつのお米も、ちょうどあと1~2回分になっていたところだったのです。

「美奈子先生、もりもりたくさんご飯を食べて、お元気で過ごして下さいね!」という、彼女の生き生きとした声が聞こえてくるような気がして、そして何よりも、彼女とどこかで心がつながっているような気がして(これは気のせいだとは思いますが…)とてもとても嬉しくなりました。彼女も、やはり周囲の人に幸せと安らぎを与えられるハーブのような素敵な女性に…そして母に、なっていたのです。

関東地方も、いよいよ梅雨入り。それでなくとも気分がしめってしまいそうなこの時期は、ハーブの香りいっぱいのお料理や、ミントやレモンバームのハーブティーで、心爽やかに過ごしたいものです。あ、くれぐれも食器を扱う時はあわてないように気をつけながら…!

2008年06月06日

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