第373回 フランソワに夢中!

思春期の私の悩みは、まず声が低いことでした。もちろん、その他にも足が太いことやら、ひどいクセ毛で髪型が常に垢抜けないことやらたくさんあったのですが、さらに大学に入ったらまた新たに悩みが一つ増えたのです。それは…

人から「なまかしい」と言われること。

ちょっと待って下さい。何も自慢しているのではなくて、本当に切実に悩んでいたのです。なにぶんにも音楽ひとすじ、超がつくほどのカタブツで向こうから歩いてくる知らない男子学生の顔すら、死んでも見られないほどに内気な少女でしたし、男の人に声をかけられようものなら「ああ、そんなスキがあったなんて、なんて恥ずかしいことだろう!」と、本気で自己嫌悪に陥っていたのです。当時は。

当時流行っていたメイクをすると、もともと顔の造作の大きめな私はたまたまそういう印象に仕上がってしまった、ということなのでしょう。半ば冗談で言われ始めたのですがそのうちに定着(?)してしまい、「なまめかしい美奈子」を「なまめ」という省略形で呼ぶ、おちゃめな友人までいました。今思うと、屈託ない親愛の情からのニックネームだったのですが、秘かに「そんなに男の人に“媚びて”いる感じにみえるのかしら?」と悩み(今振り返ると、悩むのが趣味みたいになっていた時期だったようです)、あげくに襟足を剃り上げるほどのベリーショートのヘアスタイルにしてしまったほどだったのでした。

20歳の誕生日をひかえたある日、今は亡き母方の祖母にそれを打ち明けたことがありました。祖母は音楽が大好きで、大正生まれでしたが少女時代から趣味でヴァイオリンを弾いていて、文学に造詣も深く、私を何かと応援してくれた大きな存在でした。「何を言ってるの?音楽家に色気がなくてどうするの。本当の色気はちっともいやらしいものじゃないのよ。特に芸術家にとっては、一番大切なものじゃあないの。いやあね、そんなことくよくよ考えたりしないで、パパとママに感謝しなさいよ!」と、こともなげに言われてしまい、「あら?じゃ私、もしかしてもったいないような光栄なニックネームで呼んでもらっていたのね」と、すんなり納得しながら晴れ晴れと帰途に着いたのでした(残念なことに、いつのまにかその光栄なニックネームは自然消滅してしまったのですが)。

色気…確かに「色」も「気」も、人生に欠かすことのできない、素敵なものです。中学生の時にその祖母からもらったレコードで鮮烈な出会いと衝撃を感じ、ピアニストになる決意をするにいたったアルフレッド・コルトーという人は、まさにイマジネーションと色気のカタマリのようなピアニストでした(詳しくはこのエッセイの第332回 夢の島 “孤留島(コルトー)”をご参照ください)。

でも、この頃彼と同じように心惹かれるピアニストが出現しました。彼の名はサンソン・フランソワ(1924~1970)。やはりコルトー同様フランスのピアニストです。10代の頃、コルトーによってその才能が見出された、彼よりも半世紀近くも後の時代の人ですが、亡くなったのはコルトーよりも8年遅かっただけ…46歳という若さでした。お酒とタバコが大好きだったそうです。少々エキセントリックな性格の持ち主だったようで、気分の良し悪しが如実に演奏に出るなど、現在社会において異彩を放つ人だったとも言われています。

フランソワのことは10代の頃から知っていましたし、演奏も聴いていたのですが、最近彼のラヴェルやドビュッシーの演奏を聴いて、改めてその素晴らしさにぞっこん惚れこんでしまいました。場合によってはよく知っているはずの曲がまるで別のもののような新鮮さで響き、しかもそこに音楽へのごく自然なアプローチが息づいているのです。まるで「色気」すら通りこし、「香気」のようなものがむん、と漂っているような印象なのですが、それがなんとも魅力的で…。

現代社会にあっては、その香りはあまりにも“クラシック”過ぎる、とか、“懐古主義”的、である、と言う人もいるかもしれませんが、彼の音楽について薀蓄を語ること自体、彼に似つかわしくないように思われてしまいますし、語れば語るほど野暮になってしまう気がしてなりません。

「演奏するために演奏するのではない」というのは、なんだか彼らしい発言です。それは「“弾く”という行為だけのために楽器に向かうのではない」つまり、弾くこと以上に大切なことのために弾くのである、ということにも受け取れます。さらに、「生きる手段のために生きるのではない」ということにも…。

2008年03月20日

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