第358回  “こだわる”のではなく

11月3日に、二つのイベントがありました。一つは『Die Wiener Kaffeehauser~19世紀ウィーンのカフェ文化~』。これは、CDのジャケット撮影などでいつも何かとお世話になっている市内の某カフェで、ウィーンのカフェ文化についてのお話と音楽を聞いていただくというもので、カルチャースクールのカフェ版、という感じのイベントです。当日限定でお客様にお出しするウィーンのドリンクやケーキメニューについてスタッフの方たちと打ち合わせを重ねるたびに、珍しい主旨だしお客様へのオペレーションには難しいものがあるけれど、参加してくださった皆さんに心から楽しんでいただけるものにしたい、という気持ちがふつふつと高まってきました。心配をよそに申し込みは順調に伸び、すぐに定員になりました。和やかな雰囲気で会を終えることができて、まずは一安心…。

続いて、同じエリアの某バーに向かいます。今度はピアノライブ…電子ピアノをものともせず(?)、こてこてのクラシックを弾いてしまうというものです。タイトルはズバリ『鈴木美奈子ピアノライブ ~ビーダーマイヤー~』。19世紀、ウィーンに興ったビーダーマイヤーの時代に書かれた音楽を中心とした選曲です。電子ピアノでのライブはちょうど一年前に初めて経験し、今回が二度目。弾きづらさは正直なところ、否めないのですが、電子ピアノでもいいから聞きたい、とおっしゃって下さる仲間がいることと、伝えたい音楽があることを思うと、私のわがまま意外、何がネックになるというのでしょう?こちらも告知後ほどなく定員となって、当日は満席御礼となりました。

満員のお客様をお迎えしてイベントを無事、終えることが出来たのは、本当にスタッフの方が何から何までよく配慮して下さったおかげなのは明白なことです。協力してくださった皆さんには、どんなお礼の言葉を並べても伝えきれそうにないほど、感謝の気持ちでいっぱいです。

さて…。こだわり、という単語が最近、とても気になっています。「ワイン選びにはこだわって…」とか、「こだわりの道具」とか、「あの人はファッションにこだわっているわね」など、今はどちらかというと良い意味に使われることが多くなっているこの言葉ですが、本来はあまりよくない、否定的な意味に使われる言葉なのだそうです。確かに広辞苑を調べてみると『さしさわる。さまたげとなる。気にしなくてもよいような些細なことにとらわれる。なんくせをつける』と、容赦ありません。

コーヒー豆を焙煎する人が豆の質にこだわるように、音にこだわるのが音楽家、というイメージがあります。音にこだわるのであれば、電子ピアノなんて言語道断、ということになるわけですし、私もかつてはそんなふうに考えていました。でも、果たして往年の音楽家たちは本当に音に“こだわって”いたのでしょうか?つまり“音の些細なことにとらわれ、それが何かのさまたげになっていた”のでしょうか?彼らがこだわるとしたらそれは「音」というよりも「音楽」に対してであって、第一、こだわっていた、というよりももっと他にふさわしい言葉があるような気がします。でも、それって一体なんだろう…。

ふと、天から声が聞こえてきました。『かかわる』―――それも、“拘る”ではなく“関わる”、あるいは“係わる”の方です。“拘る”は、かなり“こだわる”に近い感じですが、他の二つは『たずさわる。関係する』というニュアンスがあって、かなりニュアンスが違います。

私はどうも、音楽に“こだわって”いたいのではなく、音楽と“関わって”いたいのです。それが分かったら、電子ピアノもなんだか少し楽に弾けるようになりました。とにかく音楽を伝える人でありたいはずが、要らぬこだわりが弊害になって、せっかくの機会を生かせないのはもったいないことです。

それでも、「だからといって、いくらなんでもシューベルトの最晩年のピアノソナタ第21番(第一楽章と第三楽章の抜粋ですが)を電子ピアノで弾くのは如何なものか」と、また別の声が聞こえてきたりもしました。悩み悩んで決めかねて、主催者のマスターに相談したら「美奈さんが弾きたいのならその曲を私は聴きたいですし、それはお客さんも同じだと思います。だから、むしろそれを弾いてもらいたいです」と、即答して下さいました。とてもシンプルなお返事でしたがすべての答えがそこにあって、「なんだかんだいってもまだ“こだわって”いたんだわ」と、躊躇していた自分が恥ずかしくなりました。

ライブ終了後、多くのお客様が「シューベルトのソナタ21番が特に良かった。他のすべての楽章も聴いてみたくなりました」とおっしゃってくださいました。なんだか、ありがたくて涙がこぼれそうになりました。

明日は市内の小学校で、ゲストティーチャーとして特別授業をすることになっています。六年生の皆さんに、ピアニストという職業についてお話しするのです。好きという気持ちを持ち続けることの楽しさ、好きなことを続けるために積み重ねていく様々な試練と“かかわって”生きることの幸せを、少しでも伝えられたらよいのですが…。

2007年11月02日

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