第357回 アルコールとマーラーの誘惑

デビュー20年の記念すべき(?)一年も、あと一ヶ月あまりで終わろうとしています。そういえば、デビュー20周年ということは、自動車の免許を取得してから20年ということにもなります。

残念ながら、ピアニストとしてはこれまで無事故というわけにいきませんでした(!)が、運転の方に関しては無事故無違反のゴールドカード保持者です。とはいっても、ここ3年近くの間はほとんどハンドルを握っていないペーパードライバーなのですから、無事故も当たり前で、あまり自慢できるようなものでもないのですが。

法的には無事故とはいえ、これまでに一度だけ、愛車を“ぶつけて”しまったことがあります。事故現場は自宅のパーキング。ちょうど帰りがけに聴いていたラジオから流れるマーラーの交響曲第一番の演奏に、すっかり心奪われてしまったのが明らかな原因でした。こともあろうに車庫入れの瞬間が最終楽章のフィナーレで、今まさに輝かしいエンディングに突入…というタイミングだったのと、そのあまりの白熱した、メラメラと燃えるようなブラスの響きにもはや平常心ではいられなり、すっかり我を忘れてしまったものと思われます。それが証拠に、バックさせたと思っていた車が、グゴッと鈍い音をたてて車庫前方の家の壁に激突した瞬間、なにが起こったのかさっぱり分かりませんでした。「どうして今、前に動いたの?“グゴッ”って、なに?」ふと左手の手元を見てびっくり!バックに入っているはずのギアがドライブに入っているではありませんか。

あわてて前のバンパーを見にいくと、私を一瞬震撼させた、あの鈍くも大げさな“グゴッ”という音から想像するよりもはるかに小さなダメージだったので、まずは安心しました。ダンパーに外傷はなく、変形を健気にも最小限にとどめて、ふんばってくれていました。それでも「ああ、わが娘(←どうも、モノに性別をつける癖があるのです。ヨーロッパの言語には名詞などに女性と男性、あるいは中性があるせいか、つい「これはどっちだろう?」と考えてしまいます)を傷ものにしてしまった!」という自責の念にかられ、一方では、確実に発生するであろう予定外の出費に思いをはせて、気持ちがみるみるブルーになっていくのを感じました。きっとその時私はガレージの前で、愛車を前にしばしうずくまっていた…もとい、呆然としていたことと思います。

後日、その出来事について、仙台フィルの首席トランペット奏者Mさんに話したところ「マーラーの一番のフィナーレ?そりゃ危険だよ。あれは運転しながら聴いちゃ、だめ」と、あっさりNGを出されました。うぬぬ、やはりそうか…。「で、誰の演奏だったの?」「それが、テンシュテットの棒で、シカゴ交響楽団だったの…」「うわっ、それはさらに危ないよ。ぶつけちゃったのも無理なかったね」ちなみにMさんは、A級ライセンスの持ち主です。

お酒を飲んで運転してはいけないし、それを容認した飲み屋さんも有罪になるという法規ですが、どうも違和感があります。お酒を積極的にすすめるのはもちろんいけませんが、例えばあるお客さんがお酒を飲みだしてから、実は車なんだ、と告げ、店主が「ではもう、飲むのをおやめ下さい」といくら制しても「大丈夫、大丈夫!」と、注意を無視して飲み続け、自分で運転して帰ると言ってきかなかった場合はどうなるのでしょう?アルコール以外にも、人によって極端に眠くなってしまい、運転に支障をきたすといわれている効アレルギー剤や風邪薬が原因の過失については、具体的に罰則があるのでしょうか?

だったら、特定の音楽を聴くとお酒を飲んだように気分が高揚してしまい、正常な判断ができなくなるケースがある私のような人間には、運転中の“禁音法”なんぞを設ける必要があるのではないでしょうか?禁音法とは、警察庁から該当者に認定された私が運転中にカーラジオをつけ、鈴木美奈子用に処方された鑑賞禁止危険該当曲が流れようものなら、その瞬間に同乗者が「だめー!ラジオ消しなさい!!死ぬ気?」っと、すかさずスイッチを切らなかったら、事故が起った時その人も同罪、というもの。ああ、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきました。何がどのくらいまでは大丈夫である、という許容量も、体調や精神状態によって違ったりすることを考えると、これらを逐一、法規や罰則をもって律するのは、限りなく不可能なことです。

結局自己責任、ということにつきるのではないでしょうか。安全な運転ができる状態かどうかくらい、法規以前に自分で判断できるようになりたいものです。飲酒運転のような殺人行為が、同乗者やお店の人、ひいてはお店で一緒に過ごした人をも巻き込む法規を定めなければ減らないなんて、ちょっとかっこ悪いことです。

運転しないからといってつい、飲みすぎてしまうのも、かっこ悪いことなのだけど…と、一応自覚はしている私です。20周年を迎えたことだし、もうちょっとかっこいい大人を目指したいものです。

2007年10月25日

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