第343回 ピレネーをうろうろ フランスにめろめろ ~番外編~

バスク地方の街バイヨンヌを出て数時間後、私はアキテーヌと言われる地域の大きな都市ボルドーに降り立ちました。駅の隣には日本でも人気のブーランジェリ-、PAULが立派な店構えで建っています。駅前から最新デザインのトラム(市電)ものびているし、建物の一つ一つが今までの街にはないほどに大きく、凱旋門はあるしパリ以上に広いのではと思われるほどの証券取引所前の広場といい、この町の経済的な豊かさが垣間見えます。それもそのはず、ボルドーと言えば誰もが知っているブルゴーニュと双璧をなすワインの本場、しかもこの街がワイン貿易で栄えた背景にはイギリスという大国の存在があったのですから…。

ここボルドーでは、カフェに入ってエスプレッソを頼むと、お店によってはチョコレートのかわりに名物のカヌレというお菓子がついてきます。カヌレとは「溝のついた」という意味をもつらしく、独特の形をしていて外側は濃いカラメル色に焦げ、内側はもちもちとした面白い食感があって、日本でも一時期ブームになりました。蜜蝋を使って焼き、牛乳やバターにラム酒を効かせるのも特徴な大好きな焼き菓子で、日本でも見つけるとつい買ってしまったり、本気でカヌレ専門の焼き型を買おうかと迷ったことも一度や二度ではないほどです。地元の男の子が買っているようなお店で入手して食べてみたところ、日本で食べたものよりもラム酒の雰囲気が柔らかくて、素朴な味わいだったのが意外でした。

通りの一つ一つも大きく、商店街も今までの都市になく充実しているこの町で泊まったホテルは、食器や電子レンジ、ワインオープナーや鍋、カトラリーやエスプレッソマシンまで揃っていてウィークリーマンションのようでした。実はこの街の大きさに面食らって、駅からちょっと離れた、やはりガイドブックの“市街地図”の枠には入っていないところにあるこのホテルを探し当てるのに、この旅で初めて迷ってしまったのですが、信号を待ちながらインターネットからダウンロードした地図を広げて見直していたら優しそうなマダムが「大丈夫?(目指すところは)お分かりになりそう?」と声をかけてくれました。「それが、よく分からなくて…。ちょっと教えていただけませんか?○○通りはどちらなのでしょう?」マダムは分かりやすいところまで一緒に歩いてくれました。

ホテルに着いたとたんにスコールのような雨が降り始め、そこで私は初めて傘をどこかに忘れてしまったことに気づいたのです。ボルドーは、翌日パリ発の飛行機に乗るのにバイヨンヌからはさすがにシャルル・ドゴール空港直通の新幹線がないので、便宜的に一泊することになったところ。出発は翌朝早くなので、街を散策できるのは今しかありません。かといって、傘を売っているようなお店は近くにありそうにないし…。フロントのムッシューに「すみません、お借りできる傘はないでしょうか?」と尋ねてみると、「ああ、ではよかったら僕のを使ってください。どうぞ!」と、自分の紺色の折りたたみジャンプ傘を差し出してくれました。まるで自分の友人に「いいよ、使いなよ!」と手渡すような自然な所作と笑顔で…。

パリにいくらか近いからか、どのお店のショーウィンドーもおしゃれです。さすがにワイナリーも多いし、ブティックの品揃えもお土産物屋も充実しています。路地を入ったところに、あのピペラド(赤唐辛子)をドアの両側に飾り付けた『フォアグラと生ハム ~バスク名産店~』という看板の小さなお店を見つけ、つい懐かしくなって写真を撮ったり、ワインの値段をチェックしたりしているうちに、遂にセンスの良いアクセサリーのお店を見つけました。

なんて可愛らしいのでしょう!…お店は小さく、店員さんはこの店の女主人と思しきマダム一人です。「わぁ、みんなステキですね!」「ありがとう。どんどんお試しになって下さい」「こういうの、日本では“目の毒”っていうんですよ」「“毒”?どうして?」「だってほら、あまりに魅力的でたくさん欲しくなってしまうから…。お財布に“辛い”っていう意味で…」「あら、なるほど…。エクサンプロバンスっていう、フランス南部の町で作られている、手作りなんですよ」エクサンプロバンスといえば、人気のあるプロバンスの首都として栄えた、セザンヌの生家もある町です。「そう、そのピアスもステキでしょう?よろしかったら付けてみてください」「え?ピアスも付けていいの?」「勿論です」

日本ではピアスは試着できないのが普通ですが、ここではきちんとアルコールで消毒して、つけさせてくれます。さすが…。結局、プロバンスの本物の花びらを使って作られたブレスレットを日本に連れて帰ることにしました。「このお花の名前、フランス名でしかわからないのだけど…このカードに書いて一緒に入れておきますね」マダムはそう言いながら、クレジットカードのサインをしている私の手元にふと目を留め、漢字を凝視して「まぁ、なんて綺麗なんでしょう!」「そうですか?…よろしかったら、マダムのお名前を漢字に書いて差し上げますよ」「え?本当に?そんなことって出来るの?」「ええ。勿論“当て字”ですけど…お名前伺っても?」私にとってお買い物の楽しさは、店員さんとのこんなやりとりにあるのです。大きなチェーン店やブランドのお店にあまり興味を抱かないのは、このあたりの理由からなのでしょう。

ドバイ行きの飛行機の中で隣に乗り合わせたのは、私とほぼ同年代と思しきフランス人の女性でした。ドバイで乗り換えて、アフガニスタンに行くのだそうです。しかも、あのカブールに…。「カブールに行かれるのですか?情勢は安定しているのかしら?」「エリアによっては危険みたいです。子供たちの教育環境も劣悪で…。知人がNGO(非政府組織)にかかわっていて、6年前に一度行ったことがあるんです。でも、6年ぶりなんてもう情勢も変わっているでしょうし、浦島太郎でしょうけど…」「ああ、2001年の、フランスの提案した平和復興行動計画の?」「ええ、それです。フランスはカブールの子供たちに対する教育機関に対しての支援を行ってきているのだけど、私はその派遣スタッフとしてまずは3ヶ月、行くことになったの。もともと、フランスで教育関係の仕事をしていて…」「それにしても、なぜまたカブールへ?何か決断されるきっかけがあったのですか?」「もともと、活動的な方でもじゃないのよ。たまたま知人の紹介を受けたのがきっかけだっただけ。自分から特に何かを求めて、という訳ではないの。外国経験もほとんどないし」そうは言っても、ご両親は心配なはず…。「父はとっくに他界していたのだけど、母も昨年亡くなったの…あ、こうみえても私、けっこう歳とってるのよ(笑)!…それも今回のきっかけになったのかもしれないわね」彼女の名前はクリスティーヌ。メールアドレスを交換して、お互いの無事を願う言葉を交わし、分かれました。

ドバイに着いたのは深夜でしたが、空港の免税店は信じられないような大勢の買い物客でごった返しています。レジ前の長蛇の列をなんとかショート・カットしようと、「僕、フライトの時間が迫っているんだよ。ここに入れてくれない?」と交渉する人、それにうんざりした様子の紳士、飛び交うお金とクレジットカード…。「ドバイはね、今すごいバブルで、空港で働いているのはほとんど外国人なんですよ。ドバイの人?お金持ちだから、働かないの」行きの飛行機で乗り合わせた団体旅行の添乗員さんが言っていたっけ。それにしても、豊かさって何なのだろう?私はピレネーで感じた“人生の愉しみ”が霞んでしまいそうになるのを必死で捕まえながら「フランス人のバカンスの一番楽しい瞬間は、次のバカンスのことを考えながら家に帰るとき」なのだと、誰かが言っていたのを思い出していました。

2007年07月20日

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