第341回 ピレネーをうろうろ フランスにめろめろ⑥~カスレの夜~

フォーレ縁の地パミエは、古い教会のある、ひっそりとした佇まいでした。町外れまで歩いても知れていて、すぐ近くにピレネーが見えます。この日は、激しい雨が降ったりぱたりと止んだりの繰り返しだったせいもあって、時おりとても強い風が町全体を吹き降ろします。まるで精霊が風に姿を変え、自在に町中の木々や建物を撫でていくように…。そしてその風に右へ左へと大きく振れる木々の枝。葉ずえの音は時に狂おしいほどに迫ってくるし、かと思うとふっとどこかへ消え去って、穏やかな木漏れ日に変容してしまう…。カタルーニアでは鳥の声が印象的でしたが、ここでは風の音が耳のすぐそばに聞こえてくるのでした。

またも偶然、ツーリストインフォメーションなるものを見つけ、中に入って「フォーレに関するものは、こちらには何かあるのでしょうか?記念館とか…」と尋ねてみたのですが「特に何もないのです。コンサートがたまに催されますが、そのくらいで」という返事。本当なのかしら?ドビュッシー以上にフランス近代音楽の礎を築いたとも言われる作曲家なのに?でも、言われてみれば確かに駅前にもホテルらしいホテルはなかったし(一軒だけ、営業しているのかどうかが非常に微妙な様子のホテルらしき“建物”はありましたが)、どのガイドブックにもこの町については何一つ記載がありません。国家による重要建築記念物であることを示す国旗がエレガントに掲げられ、一年中見物客で賑わうモーツァルトの生家があるザルツブルグとはえらい違いです。

“フォーレの地”を謳って音楽祭やら観光やらを企画すれば、相当にたくさんの人を呼び込めるはずですが、ここの人たちはフォーレで“町おこし”、なんて考えないのでしょうか?町はこざっぱりとまとまってはいるけれど、決して豊かそうには見えないのですが。あるいは、フォーレはパミエの人々にとって魂の奥底の支えの一つであればいいのであって、町を活性化して利益を得るための存在でもあって欲しい、とは願っていないのかもしれません。私はひっそりと、『パミエの音楽家 ガブリエル・フォーレ通り』のプレートをカメラに収めました。

駅に向かう途中で、例によってスーパーに立ち寄ります。缶詰の棚に様々な種類のカスレ(ここの郷土料理の、豆とお肉の煮込み)の缶詰が並んでいます。パミエ訪問記念に、どれか一つ持買って帰ることにしました。それにしても、種類が豊富。美味しいのは、そしてここらしいものはどれなのでしょう?「すみません。カスレなんですが…。この地方らしいものはどれでしょう?色々あって…」「そうですね、マダム。メーカーや具材によって、種類が色々ありますからね。例えば…これは白いんげん豆とポークの詰め物が煮込まれたもの、こちらは同じメーカーでガチョウの肉のもの。でも、私はこちらのメーカーの、鴨肉のカスレをおすすめしますわ。ガチョウよりも鴨を使うカスレの方がここの典型的なスタイルですし、油の風味もガチョウより優しいんです。」

エプロン姿のスーパーのマダムも、ガチョウと鴨の肉の違いには精通しています。さすがフランス!そういえば、フォアグラも鴨のものとガチョウのものがあって、ハンガリーのはガチョウがほとんどでしたが(日本に入ってきているガチョウのフォアグラの6割はハンガリー産)、鴨のものはフランス産が大半を占めていて、「鴨の方が風味が軽いし、口溶けも良いので日本人向け」という話を聞いたことがあります。レジに持っていこうとしたら、チーズ売り場にロカマドゥールという山羊のチーズが目に飛び込んできました。しかも、フレッシュ(生)タイプ!…二つの“収穫”を手に、トゥールーズに戻りました。

さて、このエリアで成し遂げたいもう一つのこと、それは郷土料理の“カスレ”を食すことでした。ホテルのコンセルジュに早速レストランについて聞かなくっちゃ!「こんにちは、あの~お尋ねしたいことがあるのですが」「ああ!スズキさんですね。お帰りなさい。」「あら?どうして私の名前を?初めてお会いするのに」「僕、何でも知ってるんですよ。だから何なりとお尋ねを!さて、何についてでしょう?」「カスレなんです。今夜食べに行きたいのですが、あまり高くなくて美味しいところを教えていただきたくて」「なるほど!それでしたら…」

彼の教えてくれたレストランのカスレは、一人前とは信じられないような大きさの素焼きの“どんぶり”に溢れんばかりにたっぷりと入って供されました。傍らにはオリーブとトマトのマリネの小鉢、そして別のボウルのフレッシュな野菜のサラダには、鴨の皮を香ばしく揚げたものがトッピングされています。そのカスレの、なんと素晴らしく脂ぎって美味しそうなこと!思わず「素敵!美味しそう!」と、言ってバックからカメラを取り出した私を見て、ホールの担当のマダムが「よろしかったらカスレと一緒に、お撮りしましょうか?」と、声をかけてくれました。なんという気配りでしょう!…普段はあまり量を食べられない方なのですが、この時は半分以上をクリアしました。一緒にあわせた“今月のハウスワイン”の、軽めのピノ・ノワールの酸が豚と鴨の油を切ってくれて、思った以上に食が進んだものの、なかなか完食には及ばず…。

「もうお食事は終わりましたか?こちら、お下げしても?」きびきびと感じよく応対してくれたホール係のマダムが言いました。「はい…あ、いいえ!ごめんなさい、お腹いっぱいになっているのですが、まだ終わりにしたくないんです、あんまり美味しくて…。もうちょっと食べられたらと思っているのですが、待っていただけますか?」「勿論です。ごゆっくりどうぞ」まぁ、我ながらなんて食い意地が張っているのでしょう。でも、毎日朝から晩まで歩き回っていたので、体がお肉や脂(?)を要求していたのかも。

と、またもイギリス人グループがどやどやとお店に入ってきて、大きな声で話しています。「ここよ!前にも一度、来たことあるけど、わたしは悪くなかったという印象だったのよ。さて、カスレにする?それとも他の“馴染みの”何かにする?」にぎやかな彼らのテーブル付近と、フランス人が一人で、あるいは二人で静かにワインを一本二本と空けながらカスレを突っついているこちらのテーブルとは、なにやら対照的なムードです。ホール係の彼女はますます忙しそう…。それでも、会計の時には奥からB4サイズくらいの紙をひらひらさせながら持ってやってきて「これ、この店のカスレのレシピなんです。あなたに差し上げるわ。材料は一応、4人分です」と、“お土産”までくれました。私がよほど、熱心なカスレ愛好者、あるいは料理研究者に見えたのでしょう。

大きなスペースの少なくないお客さんに忙しく接客している彼女が、さり気なく私を見ていてくれて、適切な応対をしてくれたのには感心しました。カジュアルなレストランでしたが、ワインと料理のマッチングといい、ホール係の教育(?)といい、美味しいものをきちんと楽しんでもらう配慮が行き届いていたように思います。恐らく日本で同じものを単体で食べたら、油っぽくてこの時の半分も食べられなかったでしょう。もしかしたらこの時のピノ・ノワールも、酸が強くて飲みにくい印象になっていたかもしれません。それが、フランスのあの気候やお店の雰囲気とあいまって、全体のバランス感を構築していく…。一つ一つの素材がいかに素晴らしくても、一緒になったときのアンサンブルがしっくりしなければ、どこか陳腐な印象になってしまうものですが、必ずしも優等生な、あるいは高級な食材じゃなくても、上手く組み合わさった時には単体では到達し得ないところまで、素晴らしいものになりうるのです。

世の中は、自分と他者とのアンサンブル。自分が完璧であろうとするあまり、周囲が見えなくなってしまっては本末転倒です。そして、きっとそのアンサンブルとは、何か(誰か)にただ“合わせる”ことではなく、それぞれの個性を尊重しあいながら、何かを“共につくる”ことなのです。そのためには、相手と“向き合う”のではなく、相手に“寄り添う”ほうがいい。だって、正面から向き合ってしまったら全てが見えすぎて、相手をつい“判定”したくなってしまうけど、寄り添っていれば相手のいやな所も半分しか見えなくなって、さらにちょっと暖かい気持ちになれそうだから…。

買って帰ったフレッシュ・ロカマドゥールの、優しくも豊かな山羊のミルクの風味と乳酸菌の酸味や塩気、そして何ともいえない柔らかさの織り成す絶妙なハーモニーを味わうにつけ、自分と音楽との、あるいは周囲の人たちとの関わりかたについて、深く考えさせられたトゥールーズの第二夜でした。
(ピレネーをうろうろ フランスにめろめろ⑦に続く)

2007年07月05日

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