第333回 きれいに混ぜる

「美奈子先生、とても嬉しいことがあったんです。先生にレッスンしていただくようになって1年になるのですが、生徒の演奏が本当に変ってきたんです。それを感じるきっかけがあって…。実は生徒さん何人かで一年前に勉強したコンクールの曲を含めて、何曲かを用意してコンサートをしよう、ということになったのですが、一年前とは明らかに演奏に技術以外にも変化があって、それが私のとても好きな、いつも先生がおっしゃる音楽の方向に進んでいるんです…。私が先生のレッスンから感じていることが生徒にも波動しているのかと思うと、嬉しくて…」

ピアノの指導をしながらも月に一回、県外からレッスンに通っているOさんが、こう話してくれました。Oさんはご結婚されたばかりで、眩しいほどに輝いていらっしゃるのですが、その美しいばら色の頬がさらに高揚しています。私の方こそとても嬉しい出来事でした。そんな時、レッスン室に差し込んでくる春の陽のひかりはほのぼのと温かく、幸福な“色”すら漂わせて、私たちを祝福しくれているような気がしてしまいます。そして「それは素敵!Oさんの熱心な取り組みの成果ですよ。コンサート、楽しみですね」「ええ、私もこんな機会に恵まれるなんて思っていませんでした」…微笑み、見つめあいながら、「ああ、今私は人生の中でとても幸せな瞬間を味わっているのだわ…」と、しばし感慨にふけってしまうのでした。

幸せはこんなふうに、突然ふっと風向きが変わるように訪れるのです。例えばつい先日、永年憧れていたUさんとの初対面の夢が叶いました。Uさんは桐朋学園の先輩で、卒業されてからもう20年近く、パリにを拠点にアンサンブルやオーケストラなどで活躍されている音楽家です。私のこのつたないエッセイをずっとずっと前から読んで下さっては、折に触れ、涙が出るほど温かいお励ましを下さっていました。お会いしたことはありませんでしたが、その文面にはお優しいお人柄と、この上ない知性のにじみ出いていて、どんな方だろうとずっとお慕いしていたのです。

「春に一時日本に帰るので、その時に美奈子さんのCDを受け取らせていただくことはできますか?」というメールを頂き、もう天にも昇るような気持ちでその日を待ち焦がれていました。そしてついに先日、都内某所でお会いすることができたのです。

ゆっくりとディナーを頂きながら、音楽の話、パリやフランスのお話、フランスにおける民族性、文化についてやら、演奏家としての方向性についてなど…。初めてお会いしたというのに話題は尽きず、閉店時間が恨めしい(?)ほどあっという間に時間が過ぎてしまった印象でした。

そんな中で、「フランスの芸術における概念というか、フランスならではの美意識、あるいはそのシンボリック特徴って、どんなものなんでしょう?」…私が尋ねた質問に対して彼女はう~ん、と、一呼吸考えてから「そう、“きれいに混ぜる”ことかな?」と答えて下さいました。「異なる文化を受け入れるのが上手だし、そうやって自らの文化やセンスを深めてきたのがフランスなのではないかしら」しかもただ“混ぜる”のではなく“きれいに”!…ラヴェルは、彼は自分の中のバスク(スペイン)の血を受け入れて、混ぜ込んでいました。あるいは、印象派の時代にあって、バロックスタイルの典雅さがエッセンスとして混ぜ込まれていたりもするのです。

「フランス的なアプローチとは…って考えた時に、どうしても自分がそこから遠くにいるような気がしてまうところがあるんです。だから好き作品は沢山あるのになかなかトライできなかったり…」「う~ん、何も特別なことはないと思いますよ。その作品のスタイル、音楽性にふさわしくないアプローチに陥ってしまわなければ。確かにドイツの音楽のように、いかに構築していくか、という取り組み方が効をなすとは限らないところはあるけど…。“自分”を作品の前に出すような方向ではなく、“素材”をそのままを受け入れてしまえばいいのだと思いますよ。」

Uさんの言葉を聞いているうちに、自分に張り付いていた好ましくない“拘り”の膜がはらりはらりと剥がれていくようでした。そうか、無用の部外者意識なんてさっさと捨てて、混ぜていけばいいのです。フランスと日本の美意識、ヨーロッパとアジア、当時と現代の感覚、そしてラヴェルと私。但し、注意深く、丁寧に、誠意を込めて、“きれいに”。“溶かす”のではなく“混ぜる”ことから、より深く、もっと広がる何かが生まれることでしょう。それが一つの形をなした時、そのメッセージこそが聴く人に有機的に波動する、本当の表現芸術になっていくのです。しかもそれは、民族や時代、宗教などの感覚を超えた、個人対個人の普遍性を帯びる可能性を持つものになる…。

夢のような夜でした。この日を境に、ちょっと敬遠していたフランスに俄然親しみが沸いてきたのですから、単純なものです。白状すると、あと3週間後、ラヴェルゆかりの地、ピレネー山脈近くの町にいる予定です。

2007年05月03日

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