第327回 異端の誘惑

一歩も外にでない一日でした。こんなことはあまり珍しくありませんし、特殊なことだとも思いません。食料品は生協の宅配も利用しているし、第一毎日お買い物しなくても買い置きでなんとかなるわけだし、生徒さんが家にレッスンを受けに来てくれるので、人との会話もちゃんとあるわけだし…。それでなくても、動く時には一日に数百キロの距離を移動したりするので、その必要がないときはのんびり家で美味しいものでも作ってくつろぐのも好きなのです。作家さんや在宅のエンジニアさんも、似たような状況になることが多いのではないでしょうか。

好きなオフの過ごし方、というのは気分によってまちまちです。図書館に行って本をあれこれ物色することも多いし、もう少し暖かければ、川沿いをお散歩するのも好きな過ごし方ですが、かつてはあんなに好きだったのにこのところめっきり楽しまなくなったのが、ウィンドーショッピング。洋服やアクセサリーに、どんどん興味がなくなってきたのは困りものです(興味がありすぎるのも、それはそれで困るけど)。一方では、食材屋さんとか酒屋さんを覘くのは年々大好きに…。まさに“花より団子”です。

でも、何と言っても家でのんびり音楽を聴きながら、美味しいお菓子をつまんだりするのは、至福のひと時です(気分はマリー・アントワネット、はたまたマリア・テレジア?)…で、今日の“引きこもりのお供”は、シフラでした。そう、あのハンガリーの生んだ鬼才ピアニスト、ジプシー(これはいつの間にか差別用語になっているそうで、今は“ロマ”と言わなければならないそうですが)出身のジョルジ・シフラhttp://lovepiano.com/modules/pukiwiki/328.htmlです。

彼の生涯はそれ自体がすでに、映画になってもいいほどにドラマティックですが、その演奏たるやとても人のなせる業とは思えない…。リストの再来、と騒がれる一方で、シフラ節、ハンガリー演歌、異端、とか様々な言われ方もされ、あまりのアクの強さ、えげつないまでに強烈な表情付けや曲芸に「芸術の冒涜」「音楽的といえない」などと眉をしかめる人もいて…と、評価がこんなに二分する人も珍しいと思います。

細部に至るまで完全にコントロールできる完璧なテクニック、それ以上に自由自在な歌心、即興性やスリルに満ちたアプローチ…悪魔に魂を売り渡しでもしない限り、人間にこんなピアノは弾けないのでは、と思われるほどです。こんなに聞く人の心臓を鷲づかみにしてブンブンふりまわしてしまうえる人って、他にいるでしょうか(ホロヴィッツ?)。ピアノという楽器を彼が誰よりも愛し、かつそれと厳しく向き合っていたのは、明らかです。

異端といえば、グレン・グールドがまず浮かびますが、彼と違うのはシフラは名人芸(ヴィルティオジティー)を極めたところ。そして、グールドが常にマイクに向かって(レコーディング活動のために)弾いたのに対し、シフラは聴衆に向かって弾いたことです。

でも、音楽に対するひたむきさ、そして愛情の深さは共通しています。その音は驚くほど純粋な輝きに満ち、つべこべ言う他人に惑わされない強い信念を持っています。そして二人とも、なんと絵になるピアニストだったことか!シフラはどちらかというと“マフィアの親分”的な迫力があって、そこらへんにいたらきっと、目が離せなくなるであろう強烈なオーラの持ち主です。私の学んだリスト音楽院の大先輩ということもあり、やはり自分も同じピアノを弾く身として、憧れを感じずにはいられません。

それは、ちょっと不良っぽい男の子に憧れる感じにも似ています。つい目で追いかけてしまう、何とも気になる存在…。私たちは異端になることを恐れているくせに、どうして異端に憧れるのでしょう?ないものねだり?いいえ、私の場合はそれだけではない気がします。…いっそのこと自分の欲求に正直になって、異端を目指してみる?

そのためには、人にないアイディアを持ちつつ、それが人に通じるものでなければなりません。人から非難されることを恐れないけど、一方では人からうんと愛されるようでなければいけません。タイヘン!こりゃ、簡単に目指せるものではありません。だからこそ憧れるのでしょうけど、私の異端への道は険しそうです。

それでもやはり、シフラのリストを聴いていると、ブダペストの喧騒や町の匂いまでもが鮮やかによみがえってきて、たまらなくリストが弾きたくなってしまうのです。嗚呼、これが彼の魔力なのね。…ちょっぴり悔しいけど、見事に彼に口説き落とされてしまった気分です。明日は久しぶりにハンガリー狂詩曲でも弾いてみようかしら。

2007年03月21日

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