第322回 マーちゃんへ(手紙)

もしも“あの世”があるのなら、“あの世”にいるマーちゃんに手紙を書いたっておかしくはないですよね。だって、インターネットで地球上なら一瞬でメールを送れるんですもの。届くかどうかは別にして、書くの自体は、今風にいうと「全然アリ」ですよね。

と、言うわけで、今日は久しぶりに、マーちゃんに手紙を書くことにしました。そちらは如何ですか?私はリサイタル前で、ぴりぴり…、と言いたいところですが、これが意外にのんびりしています。普通ならテンションと集中力が高まって、今こそ「これぞゲイジュツカ!」っていう感じの雰囲気を醸し出す時なのでしょうけど…。

余裕?いえいえ、残念ながらそういうわけでもないの。ただ、私にとっては毎日ピアノを弾いて、コンサートに向けて調整することや、不安定な時間を過ごすことって、ある意味で“日常”なんです。つまり、それがそれほど特別なことではないような気持ちになってきたのかな。それで、どうも前ほどぴりぴりしなくなっているみたいなのね。

世の中の人に「普通じゃない」って言われちゃうかしら。でも、“普通”って、実はこの頃あまり好きじゃない言葉なんです。だって、もともと「一般的」とか「なみ」っていう、あまり面白くない意味なのよ?なんでみんな、普通にこだわるのかな?もし、普通じゃないのがイコール“好ましくない”というのなら、私は世の中の落ちこぼれになっちゃうかも。だって、この歳なら“普通は結婚”していて、“普通は母親”になっているわけでしょう?

ベートーヴェンは耳が聞こえなくなったのだから、“普通は音楽家やっていられない”はずだったけどそうじゃなかったからすごいんだし、“普通”に学校へ通えない時期があった子供が、社会に出て立派に働いていたりする例はいくらでもあります。逆に“普通のいい子”が、いじめに関ったり、犯罪を犯すケースだってあるでしょう?

そうそう、今日は「あえていつものように(普通に?)弾かない!」っていう練習をしてみたの。この時期ってつい守りに入って、“昨日のおさらい”みたいな、ちっともクリエイティブでない練習を積み重ねてしまいがちなのだけど、違うフレージングや間の取り方、あるいは表情のつけ方を試してみたりしたのです。バランスを失って、ふらついたりもしたけど、とても楽しかった!人って面白いね…。いつもと同じこととか、安定性を求める一方で、非日常性やいつもと違う刺激のようなものも、常に模索していると思わない?だからディズニーランドはいつもいっぱいだし、海外旅行も相変わらず大人気なのではないかしら。

多分、“普通”そのものが悪いことはないのだと思うの。一般性、安定性も大切なことですからね。マーちゃんのお店も、常連さんにとって“いつもの”“普段の”お店だったわけだし。でも、それだけじゃないとも思うんだ。“いつもの”場所の行き帰りにちょっと変わったことがあったり、“いつもの”お店で面白い出会いがあったり…。要は、日常性と非日常性のバランスだと思うのです。どちらに偏りすぎても、何か物足りないのではないかしら。ベートーヴェンは“普通の”感覚を持った“普通じゃなく、並外れた”天才だったから、あんなに多くの人に共感される音楽を創り出せたのだと思うのね。

「バランス」!これが難しいのです。つい、ゲイジュツカは非日常的な方へ傾いてしまいがちになってしまうけど、独りよがりになってしまっては元も子もない。かといって、無難で毒にも薬にもならないものを創りだすことに精魂込めるっていうのは、やっぱり本意じゃないのよね。

そうだ、私のデビューリサイタルから、もうすぐまる20年になるの。20年、ステージで弾き続けているのだと思うと、ちょっと感慨深いものがあります。そのデビューリサイタルの新聞の批評には「“知”と“情”のバランスのとれたピアニスト」と書いてあったっけ。今考えると、ちっともバランスとれていなかったと思うんだけれど。…というより、今でもなかなか上手にバランス、とれません。

これってあれかな、つまり、「一人の女性として自立」しつつも、「男性をたて、甘え上手」なのが望ましい、という、“恋愛上手”な女性のバランス感覚に通ずるものなのかな?あ、だからいつまでも下手なのか…。むむむ。

2007年02月13日

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