第321回 語り合おうよ

仙台でのリサイタルSYMPOSION Ⅱが終わりました。昨年12月にリリースしたCDの時にも感じたのですが、周囲からの反応が少しずつ変わってきたような気がしています。

聴いてくださったみなさんが、よくお声を寄せてくださるのです。これは演奏者としては、とても嬉しいこと。演奏するということは、自分の意見や感じたことを楽器や音という媒体を使って、先人の残してくれた作品を通して“伝える”あるいは“問いかける”ことだと考えているからです。自分の演奏が何らかのコミュニケーションにつながったときは、私にとってとても大きな充実を感じる瞬間で、その瞬間を得るために、日々ピアノに向かっているようなものなのです。

だから、CDを手に取り、聴いてくださった見知らぬ方から、思いがけずメールを頂いたり、コンサートの後に感想をおっしゃって下さったりすると、もう嬉しくて…。あるいは、コンサートの後にレッスンでお会いした生徒さんが、コンサートで感じたいろいろなことを自分の言葉で話してくれたりすると、もうそれまでの苦労(?)は遥かかなたに飛んでいってしまいます。そんな時、大きなちからを下さった方に感謝するのは勿論、なにか恩返しをしたいものだ、などと思ってしまうのです。

周囲の人と、日々の出来事や、見たり知ったりした事柄についてだけなく、思ったことや感じたことを伝え合ったり、話し合ったりすることは、すごく素敵なことです。聞き手は他の人の意見や感性、価値観に触れることで自らを肥やすことができるし、語り手は、話しながら再度考えを整理できて、不確かだった部分をクリアにしていけたりします。…私がめざしている“コミュニケーションにつながる演奏”は、まさにそれなのです。

人間が本来もっている、“感じる”ちからや、感じたことをそれを誰かと共感したいという気持ち…。それこそが、人と人とを結ぶホンモノの「絆」の成分なのではないかと思っています。人が人と結びつき、支えあうことのできるホンモノの「絆」を得るためには、まず自分自身としっかり向き合い、自分の考え、感覚を意識することが大切、ということになります。お互いにそれらを伝え合うことで、電気が流れるように、話し手と聞き手の間にきちんとエネルギーが通い始めるのではないでしょうか。

相手を認め、尊重する気持ちから共感が生まれ、共感がお互いの理解を深め、理解が愛情に発展し、さらに愛情が幸福に…、と、「絆」がどんどんレベルアップしていくとしたら、自身の意見、感性を見つめることが、そのためのどんなに大事なベースになることか!

だから、逆に久しぶりに会った知人がコンサートの後、「お疲れさま」という労いの言葉以外に何の感想も言ってくれなかったりすると、逆に落ち込んでしまうのですが(そんな時はあえて自分から感想を求めず、静かに反省するのが常です…)、それも大切な“学び”として、真摯に受け止めなくてはいけません。

はじめ、ピアノの発表会の直後のレッスン時に、生徒さんに「聴きにきてくれたお母さん(お父さん)、何か言ってくれた?」とたずねると、「別に何も…」という返事が返ってくることが多くて、驚いたことがありました。以来、発表会の折にはご父兄の方に「終わった後には、何か感想を伝えてあげてください。ただし、『間違えちゃったね』というのは禁句で…!」と、お願いするようにしています。余計な一言かもしれないけど、ステージで自分を表現することの重みを感じながら、きちんとそれをやり遂げたわが子の勇気と努力に対して、ちゃんと心からの敬意と労いを示してあげて欲しくて…。そんなふうに家族と共感しながら、そして愛情を感じながら成長していけたら、きっと彼らは素敵な大人に生長すると思うのです。

来週は東京公演です。屈託なく伸びやかに自分を表現することは、歳を重ねていくにつれて難しくなっていますが、それでも目をそらさずに向き合っていたいものです。音楽に、人に、そして、自分に。

2007年02月09日

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