第313回 好きだからこそ、辛くもなるさ

「音楽が好きで、音楽の道にすすめたらいいな、と考えています。できればピアノを弾く仕事につきたいという希望はあるのですが、音大に入ったからと言ってそういう仕事につけるとも限らないんですよね?それに、音楽の勉強にはいろいろとお金もかかると聞いています。私はどうしたらいいのでしょうか?ピアニストには、どうしたらなれるのですか?やはり諦めなければならないのでしょうか?」

こんな相談を頂くことがあります。メールだと匿名でだせるので、尋ねやすいのでしょうか。できる限り質問を頂いた時には答えるようにしていますが、果たして私に、この質問に答える資格があるのかどうか…。

彼女の悩みはよく分かります。私も彼女と同じような時期に、やはり同じような疑問と不安を抱いていました。運命、才能、家族の協力や経済的な背景などなど、条件が揃っているのは確かに恵まれたことですし、ある程度は必要なことでもあるでしょう。でも、最終的には本人の意思としかいいようがありません。それに、どんな音楽家(ピアニスト)を目指すのか、によっても、諸々のことが変わってきます。

私もかつては、世の中の一般的な「ピアニスト像」を目指していました。今思うと、そんなビジョンしか考えつかなかったのです。つまり、年間数十回のコンサート出演依頼をこなし、音楽事務所にも所属して、世間にある程度名が知れた、動員力のある演奏家…です。でも、音楽に携わっているうちに、少しずつですが本当に自分が求めている音楽家像というのは、そういうものではなかったのだな、ということが分かってきました。

例えば、生徒さんのレッスンも、私にとってとても大事な音楽活動になっています。初めのうちは、今思うと恥ずかしい限りなのですが、演奏だけでは食べていけないから、生活のサポートのためにも…という気持ちがどこかにあったような気がします。生徒さんとの関りや、レッスンの中でのセッションを通して、どんなに色々なことを学ばせてもらっているか、計り知れません。教える、ということだけでなく、音楽について、解釈や個性について、またコミュニケーションの大切さについてなど、レッスンを通して学ぶ機会を得たことはあまりにも多いのです。

それから、コンサート活動。このスタイルも、このところ大きく動いています。まだ模索中なのですが、コンサートホールで弾くだけがピアニストとしての活動ではない、という気がしているのは確かです。そういえば、大学時代にお世話になった作曲家のO先生に、こんなことを言われたことがありました。「難しい曲が上手く弾けるかどうかじゃないんです。あなたの気にすべきことは、例えば音楽にあまり興味のない、そしてあなたの名前も経歴も知らない、その辺の道行く人の足を、あなたの演奏でふと、立ち止まらせることができるかどうか、なんです。あなたのピアノは、コンサートホールにいる人ではなく、道行く人が振り返るような力をもっていますか?あなたは、そういうピアノ弾きを目指して下さい。有名になりたいなら、(音楽とは)別の勉強をして下さい。」

音楽事務所に所属して、ある程度のコンサートをこなしてこそ、プロの演奏家である、という見解の人もいると思いますが、私はO先生のおっしゃるような、音楽で人とコミニュケートできるピアニストを目指していたいのだ、と、この頃になって改めて思うのです。レッスンを通してでも、コンサートを通してでも、それは変わりません。どうにも、「人」と「音楽」が好きなのです。

たとえ有名人としての華やかなステージが与えられていないとしても、心と意識が芸術家なら、そして真摯に音楽と向き合っているのなら、その人は立派に“ピアニスト”といえるのではないでしょうか。逆に、知名度こそあれ、精進を忘れていたり、音楽への情熱を忘れてしまっては、音楽家とはいえないのかもしれません。ステージの大きさにとわれず、音楽への姿勢をきちんと保っていけたら…。それを認識したり、反省したりする場としてのステージを丁寧に重ねていくことが、私にとっての幸せなのです。それを考えると、明日に控えているオールバッハのコンサートも、まさに貴重な、チャレンジと試練の場!ということになります。

「音楽は大好きです。でも、だからこそ、自分は音楽から遠ざかる方がいいと決めました」と言って、止めてしまう人の声も、よく耳にします。「心から音楽が好きならば、音楽家にならない方が幸せ」と断言する音楽家もいらっしゃいます。両方とも、真実でしょうし、真理だと思います。だって確かに、好きだからこそ失望したり、辛くなることって多いですもの!でも、私の場合、「好きだから感じる辛さ」と「音楽から離れる辛さ」を秤にかけてみると、後者の方がずっと重いようなのです。少なくとも、今のところは…。

「私はどうしたらいいのでしょうか?どうしたらピアニストになれるのでしょうか?やはり、諦めなければいけないのでしょうか?」答えは順に、したいようにして下さい。まず、なりたいピアニスト像を描いてみて下さい。諦めたくないなら無理に諦めないで下さい。諦めたくなった時に、諦めは自然につくと思います。…う~ん、さえない回答だなぁ。キレがない。これじゃぁ、すごく投げやりでいい加減に答えているみたいに聞こえます(実はいたって心を込めて考えているんだけど)。お悩み相談に答えるのは、30年早いな。

2006年12月15日

« 第312回 バッハでつながろう! | 目次 | 第314回 創作、創案、でっちあげ »

Home