第312回 バッハでつながろう!

「ありがとう。今の、どうだった?」レッスンで、小さい生徒さんがある程度上手に弾けた時、なるべく聞くようにしています。彼らはそんな時、だいたい「楽しかった!」あるいは「気持ちよかった!」と答えてくれます。彼らにとっての最高の演奏とは、「楽しく、気持ちのよいもの」なのです。そんな時は、一緒にいた私もほとんど例外なく同じ感想を抱いているので、「そうね、先生も楽しかった!」と言って、二人でにっこり微笑みあいます。レッスンの中で、私の一番好きな瞬間です。えもいえぬ幸福感で胸がいっぱいになるのです。中には「上手にできた」と、感覚を語るのではなくジャッジ(評価)をする子もいますが、「間違えなかった(または“間違えちゃった”)」なんてコメントをする子はほとんどいません。先生があまりミスを気にしないのが、伝わるのでしょうか。

それなのに、学年が上になると、次第にそうはいかなくなってきます。「もう少し二分の二拍子のテンポ感が欲しかったのに、いまひとつ弾きたいテンポをつかめないまま終わってしまった」とか、「曲想の表現が消極的になってしまった」とか、かなり客観的に、また厳しく判断ができるようになるのです。それはそれで、いいこと。成長しているあかしです。でも、困るのは「大丈夫」とか「微妙」という答え。これでは感想にも、文章にもなっていません。ミスにはうるさくないけれど、日本語や会話がちゃんとできないのはあまりにも寂しい…と思ってしまう私は、そんな答えが返ってくるとすかさず、突っ込みを入れてしまいます。「具体的に何が大丈夫だと感じたの?」「どういうところが、微妙ってこと?微妙にどうなの?」

たとえ、「先生、うるさいな~」とか、「細かいな~」と思われようが、構いません(まぁ、私の可愛い生徒さんたちは、そんなこと思ったりしないのですけどね)。私は彼らの感想に心から興味があるし、彼らにはそれを相手に対し、きちんと表現できるようになってほしいのです。

音楽は、コミュニケーションツールだと思っています。過去と現在、異文化や異民族、作曲家と演奏者、そして聴き手が、音によるコミュニケーションによってつながるのです。重要なのは、誰が秀でているか、とか何が傑作か、ということではなく、その音楽との関わりの中でどんな感覚を経験できたか、ということなのではないでしょうか。

すごい!と思うのはバッハです。彼が選んだコミュニケーションを深めるための手段は、「余計な指示を書かない」、そして「答えを限定しない」ことでした。バッハのオリジナル楽譜にはテンポ表示もアーティキレーション(奏法)も、強弱記号も書かれていません。だから弾き手は必然的に、よく楽譜を観察し、それがどう演奏されることを望んでいる音形なのか、性格なのか、を考えさせられることになります。当然、答えは一つではありません。人の抱く価値観、人生観が年月とともに移ろっていくものであるように、その曲に対する“作品観”を一つに限定させる必要はないのです。

決まった答えはないから、相手(楽譜)をとにかく観察し、考察し、思いやり…その一つ一つのカテゴリーを重ねるなかでコミュニケーションを深めていくことになります。さらに、それを聞く側も、それぞれの感覚で自由に受け止めることが許されているのです。なんだか人間同志のつながりにも、そのまま通ずることのようです。だから、意思の疎通ができたと感じる時はとても嬉しいし、まさに「楽しかった!」「気持ちよかった!」になる…。

「音楽(クラシック)は分からないから…」と言われると、辛いです。芸術一般に言えることかもしれませんが、“分かる”ために関るものではなく、楽しんで、何かとのつながりを感じて気持ちよくなるために触れるもの、というスタンスでいいのではないでしょうか。

グレン・グールドの弾くバッハを聴くといつも、「もっと感じてみようよ!」という強いメッセージをもらい、まるで強い魅力をもった異性に身も心も奪われるような、愉しい“引きずられ感”に襲われます。彼の強烈にパーソナルな世界が、圧倒的な普遍性をもって人を虜にするすごさ。…それに共鳴したスタッフと、一緒に「Minako Suzuki Plays J.S.Bach」という、ピアノライブ(“コンサート”ではなく!)を企画しました。形にとらわれず、とにかく見て、感じて、バッハを楽しんでみよう!という主旨で、あえて“ライブ”なのです。ステージや照明、会場入り口のブースまでをもその一日のために特別にしつらえる、という、前代未聞(?)の試み。スタッフの方の熱心な姿勢を目の当たりにして、私もつい練習に力が入ります。目指しているのは、お客様とスタッフや演奏者、そしてバッハの一体化!(できるかどうかは別として)

ライブが、いよいよ来週に迫ってきました。経験のないことなので、照明がきつすぎて、途中で分からなくなったりしないかしら、時間の割り振りを計算しながら、ちゃんとトークを進行できるのかしら・・・と、不安はいつも以上ですが、間違いなくそれ以上に大きな愉しみを感じています。バッハと彼の作品、お客様と製作スタッフ、そしてステージにいる私…。みんながつながって、みんなで響きあう時間を過ごせたら、本望です。

2006年12月07日

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