第309回 アメリカにおけるレバノン料理体験と天ぷらの反省

アメリカ留学時代は、ラサール弦楽四重奏団のチェリスト、ジャック・カースティン先生に、とてもお世話になりました。住む場所が決まるまで、先生のお宅に居候させていただいていました。

先生は当時、数年前にすでに最愛の奥様と死別していらっしゃって、大きな邸宅に息子さんとの二人暮らしをされていました。やっかいな同居人を暖かく迎えてくださって、映画に連れて行ってくださったり、買い物にお供させていただいたり…。当時は日本でも口にすることがなかったベトナム料理屋さんに連れて行っていただいたこともありました。初めて体験する、パクチー(別名コリアンダー。香菜。シャンツァイ)たっぷりのフォー(ベトナムのヌードルスープ)はしみじみと味わい深く、ぎとぎとのアメリカ料理に辟易としていた身には、これこそ天からの思し召し!…と、感謝したくなるほどの美味しさでした。ラサール弦楽四重奏団のツアーで、日本を含む世界各国での演奏旅行を経験されていたので、色々な国の美味しいものをよくご存知でした。

先生はいろんなお料理を食べに連れて行ってくださっただけではなく、老人ホームや病院、教会でのコンサートのアルバイトを紹介してくださったり、何かと本当によく面倒を見てくださいました。広いリビングルームにある、ピアニストの奥様の遺品となってしまったスタインウェイのピアノは、いつでも好きなだけ弾いていいことになっていました。

ご好意に恐縮すると、必ず「ミナコ、いいんだよ。今度天ぷら作ってくれれば!」と、笑ってくださった先生は、ご自身もお料理上手でした。ある日「レバノン料理だよ」、と言って、見たこともない豆のペーストのようなものを「ミッドイースト(中近東)のパン」と呼ぶピタのようなパンと一緒に、出してくださったことがありました。その、美味しかったこと!何が入っているのか尋ねたら、ひよこ豆(この時、このお豆の種類を私は知らなかったのですが…)、オリーブオイル、ゴマのペースト、塩、にんにく、それにレモン(レバノンはレモンの一人当たりの消費量が、世界一とのこと)とのお返事。これがホンモスとかオムス(フムス)と呼ばれるトルコやペルシャの方で広く食べられている料理であることを知ったのは、ずっと後のことでした。

こうして考えてみると、クセの強い食材も初めての料理も一度で好きになってしまったのは、もしかしたらアメリカのアメリカ料理(?)があまりにも体に合わなかったから、という背景があるのかも…。アメリカ料理以外だったら、もう何でも美味しく抵抗もなく頂けたのですから!逆に、周りのみんなが美味しいといってほお張っているファストフードのチリドックなんかが、どうしても食べられなかったりしたのでした。

レバノン料理は、ベトナム料理以上の衝撃でした。ベトナムは「アジア」、というくくりで理解できたのですが、ヒヨコ豆のペーストは初めて体験する「中近東」の味。インドの豆カレーと通じる雰囲気もあれば、西洋のパテのような要素もあり、ゴマの風味が効いているからかどことなくアジアの香りもあって…。情けないことにその時、初めてレバノンってどこなんだろう、と興味を持ったのです。

レバノンは、様々な宗派がモザイクのように入り乱れているところで、かねてから悲劇的な舞台になっていることは、当時よく知りませんでした。アジア、西洋、中近東のすべてが感じられるような“レバノンの味”は、そんなかの国の歩んできた歴史を、象徴的に感じさせるものの一つもしれません。

カースティン先生はユダヤ人でした。イスラエルとパレスチナは、当時ももちろん泥沼の戦いの中にありました。「知り合いのレバノン人に教わったんだ。直伝だから、かなり“本場の味”なはずだよ。」得意げにおっしゃっていたけど、そのレバノンの方はどういうお知り合いなのか、詳しいことはお話になりませんでした。

料理は大好きですが、宗派によって、食べてはいけない食材があったり、何かと宗教上の制約が反映される一面があります。衣服、おしゃれ関係もしかり。膝を出してはいけない、とか、顔を出さないように、とか、ヒゲが望ましい(?)、とか…。文筆活動はいわずもがな。建築はもちろん、絵画ですら、何かよからぬものを示唆するものである、と、“お上”から物言いがついたりすることがあります。そこへいくと、音楽はまだ判断基準が曖昧のようです。例えば、宗教的な理由によって、用いてはいけない音階とかリズム、形式…という制約がある、という話は、ゼロではないけれどあまり聞きません。(宗教とは違う話ですが、体制下のソ連では、ショスタコーヴィチらの作曲家が弾圧を受けたことはありましたが)。

様々な音楽に触れることから、異文化に対する興味が広がったり理解が深まったりすることに繋がるのは、提供され方(し方)さえ良ければ、ほぼ確実なことです。音楽の可能性をもっと追求して、活動に生かしたい。国も教育の中に、音楽を大事に取り込んで欲しい…。ずっと音楽に関ってきて、特にこの頃強くなってきた、切なる願いです。

ところで、カースティン先生に、私は遂に天ぷらを食べていただけずじまいでした。機会はあったのですが、その時はなんとなく、天ぷらではなく春巻きを作ってしまったのです。まさか、その時が最後のチャンスになるなんて、思いもよらず…。それが申し訳なくて、というわけではなくのですが、アメリカにはつらい思い出が多く、先生とも連絡をできずじまいになってしまいました。風の便りで、お体を壊されてもうご自宅にはいらっしゃらず、もう随分長い間、病院での生活をしていらっしゃると聞きました。やり残したことを思うと、いつも胸が痛みます。これからの人生で、この“天ぷらの失敗”を生かしていきたいものです。

2006年11月15日

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