第308回 小さなところでの大きな体験

日記(SYMPOSION)にも書いたのですが、昨夜は第306回でも触れた、ピアノの単独ライブ当日でした。場所は音楽の大好きなマスターのされている、その名も“サウンド・カフェバー・ビーツ(Beat's)”というお店です。

マスターは、行く度に、音楽の話、民族や歴史、政治についての話などを楽しく聞かせて下さったり、かと思うとおもむろにマジックを披露してくださったり…。お店には立派なDJブースがあり、いつもいい音楽がかかっていて、マスターが作ってくださるお料理はどれも美味しいし、バーテンダーの奥様のカクテルがまた絶品!しかも女性はチャージ一切なし。それだけでも十分に魅力的なのに、アイルランドのギネスビールが樽から飲めたり、音源を持っていくとかけてくださったり(なんと、LPレコードでも!)、音楽やアート、女性向けのイベントも常に提供していて…そんなお店なので、いらっしゃるお客様もユニークで、いい方ばかりなのです。人が人を呼ぶ、とはこのこと。

ビーツさんのカウンターに座っていると、昨年なくなった、大好きな祖母のやっていた目黒のお店を思い出すのです。カウンターだけの小さなお店を一人で切り盛りしていた祖母は、やはり音楽が大好きで、新聞の隅々まで毎日目を通し、どんな話題にも豊富な知識を持ちながら、相手を寛がせるのが上手な人でした。もともと神戸のかなり裕福な家庭に育った祖母は、おかみさんをしていてもどこかしら穏やかな品性が漂っていて、いつも女らしい所作を忘れず、聞き上手で…。いつのまにか、私にとってマスターと奥様は、そんな祖母の思い出の断片に触れさせてくれる、貴重な存在になっていました。

いくら私が脳天気でも、こんなマスターからのお誘いじゃなかったら、お受けしなかったかもしれません。なにしろ「電気使う楽器なんて、メカで“楽機”でこそあれ、楽器じゃないわ!」と、公言していた、頭の固まった“電気音嫌い”だったのです。今までも何度かキーボードを弾く機会はありましたが、弾くたびに限界を感じるばかりでした。(この辺のお話は306回と重複しちゃってますね…)

それが、昨日に向けて準備を重ねるうちに、ふと頭に「そういえばモーツァルトやバッハだって、公の場で小型のチェンバロや簡易ピアノフォルテで演奏することは、少なくなかったのだ…」ということがよぎりました。その時、その場の状況でできる限りの最良の演奏を、物事や自己満足的条件にとらわれずにこなしていく柔軟さと、能力…。これこそ、実は演奏家の求めていく姿勢なのではないかしら、という気さえしてきたのです。

例えば、もし私が医者だったら…。道端で心臓発作を起こして倒れている人を見かけたとき、例え医療器具を何も持っていなかったとしても、自分の判断と経験を信じて、できる限りの処置をしようと努めることでしょう。それを仮に「手当てをして欲しい?でも今、聴診器も、薬も、レントゲンも何もないので、手の施しようがありませんね。半端な処置ならしない方がましです。残念ですが、ご縁がなかったということで…」と言って踵を反す、なんて人は、医者とはいえないのは明白なことです。でも、それを音楽家にあてはめたら?「音楽を弾いて欲しい?でも音楽を会場にピアノが都合できないのでは、しようがありませんね。電気のピアノじゃ、弾かないほうがましです。ご縁がなかったということで…」うわぁ、ヘタすると私は過去に、これに近い反応をしていた可能性があります。嗚呼、神さま!

「MINAさんの演奏、みんなに聞かせたいんですよ。例え電子ピアノでも、すごさは伝わるはずです。こんなところですけど、お客さんは僕がいっぱいにしますから…」こんな温かいオファーがあるでしょうか。そのマスターの言葉を聞いたとき、私は祖母の「美奈ちゃんのピアノ、マーちゃん(祖母のニックネーム)に聞かせてね」という声を聞いたような気がしたのです。そう、お盆や正月に帰省して、久しぶりに会うたび、「後でピアノを聞かせてね。楽しみにしていたのよ」と言ってくれた祖母でした。祖母のその言葉がなかったら、果たしてピアノをずっと続けていたものかどうか…。

昨日は緊張とワクワク感で朝6時に目覚め、長い一日となりました(お店を閉めた後、楽器をお店から私の部屋に搬送し終わったのは朝3時をまわっていました…)。今回のライブは、それこそ親戚が集まった居間のような雰囲気で、進めていきたい…と願っていました。皆さんが「来てよかった!」「楽しかった、ありがとう!」と声をかけてくださる笑顔に、心から励まされた夜でした(「美奈さんって、本当に楽しそうに、いい顔してピアノ弾くんですね」というコメントまで頂いきました!そう、通常の横向きと違って、今回はお客様の正面を向いての演奏だったので、顔が“丸見え”だったのでした。)。その日のうちに、すぐご自身のブログにこのライブのことを書いて下さったお客様も何人かいらっしゃいました。

マスターにも、お客様にも、そしてメッセージを寄せてくださった遠くの方々にも、心からの感謝あるのみです。幸せな時間を、ありがとうございました。

2006年11月10日

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