第280回 こがれる春

大丈夫、人生なんとかなるものよ!…と、思わず前向きな気持ちになるような、ぽかぽか陽気に恵まれた日があると思えば、一日中暗い雲から冷たい雨が降り続く、責められているような気分になる一日もあります。この国の春は、いつもこんな風に、紆余曲折しながら(?)そうっと近づいてきます。

もし、一年中暖かく、穏やかな気候に恵まれた国に育ってきたら、もっと南の島の人々のようにおおらかで、解放的な性格になっていたかもしれません。逆に寒さの厳しい北欧はというと、ちゃんと暖房設備が充実していて、家の中のどこにいても暖かく、バスルームで震えることもない、居心地のよい居住空間があったりするのです。そこへ行くと日本のこの気候と住宅事情はかなり過酷!…冬はお布団に入ってもなお足先が冷たくて、なかなか寝付けなかったり、夏の夜は冷房を入れたら寒い、切れば暑い、で、眠れない…。「この国に生きているだけでサバイバル!」と、思うことがあります。

でも、根っからの快楽主義(私は日本人の本質はそうなんだと思っています)と持ち前のセンスで、そんな過酷さをも楽しんでしまおう、というたくましさもまた、私たちは持ち合わせているようです。例えば、24節気。一年を24もの暦で分け、それぞれの季節を肌で感じたり、手紙に時候の挨拶を添えて、少しの気候の変化を楽しんでみたり…。雑草のように庭の片隅に自生しているフキノトウや山菜を味わったり、葉っぱの色の移ろいに心奪われたり…。バリエーション豊かな気候の変化が、私たちの感性や生活に与えている刺激や幸福感は、とても大きいものなのではないかと思うのです。

と、つらつら考えていたある日、ひょんなことからシベリウスのピアノ作品を弾く機会を頂きました。コンクールの課題曲に入っていて、それをレクチャーコンサートで弾くことになったのです。

シベリウスは言うまでもなく、北欧フィンランドを代表する作曲家(ハンガリーに名門『リスト音楽院』があるように、フィンランドには『シベリウス音楽院』があります)。フィンランドといえば、ムーミン、サンタクロースの祖国、サウナの国、湖の数が人口の数だけある、とか、カモシカが人間の数倍生息している、とか言われて、自然豊かな田舎のイメージが先行しがちでしたが、最近では福祉だけでなく、地球でもっとも知能指数の高い(?)子供たちを輩出している、その優れた教育にも注目が集まっています。そうそう、マリメッコをはじめとする生活雑貨や、センスの良いインテリアには、近年かなり大きな関心が寄せられているようです。

シベリウスのピアノ作品のほとんどは、技術的にそれほど難かしくもなく、規模も小さいものですが、そこにはまさに、フィンランドのエッセンスがたくさん詰まっているのです。有名な交響詩『フィンランディア』をはじめ、『孤独な松の木』『白樺』など、タイトルを見るだけでも、イメージをかき立てられるものも少なくありません。

楽譜を音にしてみると、北国特有の透明で清潔感あふれる空気が、そのまま伝わってくるようです。素朴で気負わず、それでいてどこかに芯の強さを感じるフレーズ。暖かく包み込まれるような和声の響き…。改めてその魅力に、心を奪われてしまいました。

「フィンランドはですね〜、ん〜、まずパリの400倍くらい空気がきれいなんですよね。…で、そんなきれいな空気のところで育った植物のエッセンスをもらったら、きれいにならないわけがない、って気がしてくるわけですよ」ちょうど今日、巷で大人気といわれているメイクアップアーティストが、こんなふうに“きれい”を連発してコメントしていました。(フィンランド発のハーブ系コスメについての発言だったのでしょうか。前後を見ていないので詳細は不明。)

このコメントとは関係なく、「とにかく一度、訪れてみたい」…桜のつぼみのように、そんな気持ちを膨らませているのあります。

2006年03月24日

« 第279回 三つの願い | 目次 | 第281回 ただ、淡々と歩いていこう »

Home