第254回 美しき繰り返し

この時期は危険です。新米は続々入荷するし、かぼちゃは美しい黄金色に完熟し、道路のわきでは栗が売られ、千葉名産の大きな梨がところ狭しと果物売り場を占拠し、壁には“ボジョレー予約開始!”のポスターが…(9月の季語には“葡萄酒醸す”なんてのもあるらしい)。まったく、目のやり場に困るったらありません。ヨーロッパに永年住んでいる友人曰く、「息を吸っているだけで皮下脂肪が増える気がしない?」うん、激しく同意!嗚呼、毎年繰り返される、美味しい誘惑よ…。

この「繰り返し」というのが、くせ者なのです。同じようでいて、すっかり同じではないからです。旬の野菜もワインも紅葉も、毎年繰り返すけど厳密には決して同じではない…。だから、魅力的なんですよね。当たり前のことですが、これが我々には一つの“課題”なのであります。

何の話…って?音楽上の「リピート」あるいは「ゼクエンツ」のことです。音楽にはたくさんのフレーズの反復や、楽譜に明記されている繰り返しの指示がありますが、これを毎回、まったく同じように弾くことはまずありません。同じ言葉を繰り返し話す時がそうであるように、弾く時もニュアンスがそのつど違う方が“自然”なのです。が、やりすぎてしまうととたんに野暮天(“不自然”)になってしまう。…ソナタ形式では、よく「展開部は作曲家と演奏家の腕の見せどころ」なんて言われますが、実は提示部で聞こえたテーマが再現部でどう繰り返されるのか、というあたりも味わい深い聴き所の一つなのです。

思えば、私たちは毎日、無数の繰り返しを重ねています。例えば私の場合で言うと、毎晩つい夜更かしを繰り返し、それでも意外に朝はさわやかに目覚め、朝げの支度に練習に、レッスンにリハーサル…。マイナーチェンジこそあれ、基本形は毎日ほぼ同じです。さらに、火傷を繰り返したり(注意不足!)、虫さされを繰り返したり(私の血は彼らに大変ご好評いただいている)…。私たちはどうやら「生活している=繰り返している」という法則のなかで、人生をいきているのです。

でも、それを必ずしも単調に感じないのは、その中に必ず、小さな変化があるからではないでしょうか。逆に考えたら、人生をたくさん楽しめるかどうかは、そんな小さな美しい変化にどれだけ気づき、それをどれだけ楽しめるか、ということにかかっているのかもしれません。そういえば子供の頃は、学校からの帰り道にその日たまたま落ちていたきれいな光る石や、昨日まで咲いていなかった野の花などをよく見つけながら、楽しんで歩いていたっけ…。子供は遊びの天才、というけど、彼らは自然に、自分を“楽しむ”方に向けることができるのでしょう。それは私たち誰もが、潜在的に今も持っている才能なはずです。

考えてみたら、目に見える美しいものにはみんな、限りがあります。花の命も紅葉も、雪景色も…。この頃、そんな限りある美しいものを大切に受け止め、心で愛でることが、おおきな幸せにつながるような気がしています。

この秋は、味わい深い“繰り返し”のロマンに、ちょっぴり浸ってみようかな。素敵な“繰り返し”が表現できるようになれたら、嬉しいのだけど…。

2005年09月15日

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