第249回 ミンナといっしょ

「私の名前はカタリンだけど、愛称はカティーっていうの。だからミナコもカティーって呼んでね。ミナコには愛称、ないの?日本では友達から何て呼ばれてた?」ハンガリーのブダペストに到着したその日に大家さんのカティーに聞かれたとき、とっさに考えました。「どれを言おう?」

日本だと「○○ちゃん」「○○りん」のように、いくつかのニックネームパターンがあります。実際私も、「ミナちゃん」とか「ミコちゃん」と呼ばれていましたが、その時は、ハンガリーのように名前をそのまま短く変形させるシンプルで正統的な愛称(アグネスなら“アーギ”、ゾルタンなら“ゾリ”のような)で呼んでもらいたい気がして、それに近いものを思い出そうとしたのです。

ふと中学時代のあだ名を思い出しました。「じゃぁ、ミナって呼んで下さい」「すてき!ミナね。分かったわ」その後、呼ぶときも置き手紙を書いていってくれる時も、いつも「MINA」だったのですが、きちんと発音しようとしすぎるためか、それがいつも「ミンナ(MINNNA)」と聞こえていました。

ところで最近、ベートーヴェンのソナタについて、改めて調べる機会がありました。以前は「作曲家の“よもやま話”なんて、取り立てて人に紹介することもなかろう。第一、どこからどこまでが真実なのかも、怪しいものじゃない?」…と思っていたのです。特にベートーヴェンには『不滅の恋人』という、あまりにも有名な、しかも未だにそれが誰だかはっきりとはわからないという、スーパーロマンティックな存在まであるのですが、それは彼の個人的なこと。興味がなかったわけではありませんが、どうも芸能人のスキャンダルを詮索するみたいで、そのへんに首を突っ込むのは気が進まなかったのです。「そんなことより、作品と向き合うことに没頭すべし。彼ほどの人にとっては、恋愛と芸術性は無縁なはず」なんて、カタいことを考えていたのでした。

でも、ピアノソナタを調べていたら、女性への献呈のまぁ、多いこと多いこと…。しかも、それがみんな違う、身分の高い美人ばかり!この作曲家の創作活動にとって、恋愛は大きなモティベーションの一つになってたような気がしてきて、彼の中期以降の作品の深い理解には、作曲的分析や考察による解釈だけでは足りないんじゃないか、と思うようになったのです。

しかし、いざ足を踏み入れてみたらさぁ大変。テレーゼ(同名が二人あり)にジュリエッタ、エルデーディ伯爵夫人にアントニー・ブレンターノ…。彼の交友関係は姉妹や母娘などが入り乱れて、実に複雑なのです。例えば、生涯結婚することのなかったベートーヴェンですが、ハンガリーの貴族ブルンスウィック家のジョセフィーヌの最後の娘は、ベートーヴェンとの子供だったといいます。で、その出産に立ち会って娘の誕生を父(ベートーヴェン)に知らせた彼女の姉は、かの“テレーゼソナタ”を献呈された元恋人のテレーゼ本人。すごいことになっていたのですね。…もっと驚いたことに、産まれた子供の名は“ミンナ*”というのです。

ブルンスウィック家がハンガリー系だから、という訳ではないのかもしれませんが、カティーが私を「ミンナ」と発音したのは今思うと偶然ではなかったのかも?…ますます自分の名前にもベートーヴェンにも、愛着を感じるようになったのでありました。
(*実は“ミンナ”ではなく“ミノナ”と発音するのが本当らしい、と、後日判明…。ちょっと残念…。)

2005年08月11日

« 第248回 災いは突然に… | 目次 | 第250回 指南所の師匠をめざして »

Home