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      <title>ピアニストのひとり言</title>
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      <description>ピアニスト鈴木美奈子の週刊エッセイ”ピアニストのひとり言”をお楽しみください。</description>
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         <title>第555回　三桁の数字について、あれこれ</title>
         <description>編集画面をひらいたら…あら？今回は当エッセイの“555”回目なんですね！“ゴー・ゴー・ゴー”！これはリサイタル前に、なにやら縁起がよさそうです。

3桁のぞろ目というのは、なにやら楽しい気分になるものです。ただ、同じ数字が並んでいるだけなのに、なぜか幸運の予感のようなものがあります。（ちなみに、私は誕生日が11月1日なので、111のぞろ目になります。）

ぞろ目じゃないけど三桁で自分のしるしにしているのは“375”。ミ(３）ナ(７)コ(５)です。口紅なんかに375番を見つけると、なんとなく嬉しくなって買ってしまったり、IDの番号に好んで組み入れたりする番号です。

もうひとつ、つい使いたくなる三桁があります。高校受験のときの受験番号です。忘れもしない、“195”。語呂合わせが“行く(１９)、ゴー（５）！”だったので、すごく気をよくしたのを覚えています。

“555”につられてなんとなく数字の話をしてしまいましたが、元来数字は苦手で、簡単な計算でもたもたする方です。皆で食事をするときなどは、だいたいだれか頭のキレる方に計算をお任せしてしまいます。家計簿（おこづかい帳）のようなものを付けてみたこともありましたが、一日の最後に、まったく得意ではない、しても幸福な気分にならない計算をしなければならないこと、しかも、しばしば計算が合わないために寝るときまで悶々と悩む羽目になることに耐えられず、1ヶ月もしないうちに挫折しました。

作曲家の中には数字が好きな人もいます。なかでも、一番有名なのはあの、音楽の父ヨハン・セバスティアン・バッハではないでしょうか。彼は、自分の名前のアルファベットBACHを、A＝１、B＝２、C＝３…のように数字に置き換えたところ、「2＋1＋3＋8＝14」になるというので、わたしの“３７５”ではありませんが、14という数字を自分の“おしるし”にしていたようです。例えば、肖像画を描かせるときに、わざわざ画家にボタンを14個描くように指示したり、14の音でテーマを作ってそれを暗に自らのキャラクターを投影？させたり。

バッハに限らず、音楽室に肖像画が掲げられている楽聖たちは、そのクラシカルなスタイル（特に、髪型＝かつら！）や色褪せて古びた佇まいから、聖人君子か別世界の超人のような印象を受けてしまいがちですが、実は茶目っ気たっぷりの好人物だったり、キレイな女の子が大好きだったり、と、突出した音楽の才能以外の部分ではちゃんとフツウの人間だったりするのです。

数字のお話が、それてしまいました。さて。「音楽家にとって、どうしても切り離せない数字をひとつ挙げなさい」、と言われたら…？多くの人が“440”と答えることでしょう。440Ｈｚ（ヘルツ）。時報の一点イ音…“ラ（Ａ）”の音の高さです。440がそれと定義されたのは、1939年5月にロンドンで開催された標準高度の国際会議でのことだったそうですが、現在はそのラの音を、それよりも高い442～444くらいに設定してチューニングをするのが慣例になっているようです。私も、自宅のピアノは442に調整していただいています。他の楽器の方も442とか、443に調整している方がほとんどなのて、440にしておくとあわせにくくなる場合があるのです。コンサートの折りにも主催者や調律の方から、よく「442でよろしいですか？」と聞かれます。

ちなみに、私が桐朋学園大学時代にお世話になった寮の部屋番号は、404。今、住んでいるマンションの部屋番号は104。４という数字にも、なんとなく縁を感じます。

さて、来る2月8日と14日のリサイタルでも、私は442に調律したピアノを弾く予定です。440と442の違いは、比べなければわからないほどのものかもしれませんが、そういった小さな一つ一つも、会場の響きに影響を及ぼしたりするのです。

当日の表舞台に立つのは私ひとりですが、それも、少しでもよい響きとコンディションで弾けるように、と配慮して楽器を調整してくださる調律師の方の存在は、とても大きいものがあります。信頼できる、気のおけない方とご一緒できるときと、初めての方との場合とでは、気持ちもずいぶんちがいます。

今回のリサイタルでは、どちらも何年（十何年？）も以前からのお付き合いのある、調律師の方々にお願いできることになりました。きっと、ピアノのコンディションをできるだけよい状態に高めてくださることと信じています。あとは、私のコンディションだけ！風邪なんかひいていられません。さーて、今日は何を喰らおうかな～！



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         <pubDate>Fri, 03 Feb 2012 20:40:51 +0900</pubDate>
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         <title>第554回　今度のリサイタルにいらしてくだる皆さまへ</title>
         <description>ステージのお仕事はそれぞれ緊張しますし、いくら準備してもしたりないような気持ちになるものですが、自主公演はそのきわみです。

実際に、準備しなくてはならない事柄は、依頼公演とは比べ物にならないほど多くなります。チラシ（フライヤー）、チケットの作成や集客はもちろん、ご案内状をつくって送付したり、当日の受付や録音係などのスタッフの調達（あ、これ、まだだった！）、当日用プログラム作成（あら大変、これもまだだ！）、当日受付のための筆記用具やおつりの準備などなど…。逆に言えば、依頼公演の場合にはこれらのことを主催者の方がしてくださっているのですから、もう感謝感謝です。

そして、もちろん、何をおいてもそのための「練習」です！もう二十歳の若者ではないのだし、練習量があまりにも多すぎると翌日に疲れが残ってしまいかねないので、巨匠ヴァイオリニストのイツァーク・パールマンのアドヴァイスに従って、一日の練習時間は５時間を越えないようにしてはいます。それでも、日常の家事や雑務、普段どおりの生徒さんのレッスンもあるわけですから、目が回るようです。

「少し気晴らししたら？」と、いってくださる方もありますが、仮に気晴らしに出てもそれが練習可能な時間帯ならずっと気になって、かえってストレスになりそう…。たぶん逆効果です。こうなると、心からホッとできるのは夜だけなのです。そうして一日一日どんどん加速され、あっという間に当日を迎える、というのがいつものパターンです。

実は、今回のリサイタルは『デビュー２５周年』という節目にあたるのですが、あまり大きな声でお知らせしてはいません。だって２５周年ということは、いくら若くしてでデビューしたと仮定したって「それなり」の年齢をこえている、ということになってしまいます。普段な「歳はあまり気にしないことにしているの」なんて言っているくせにかっこう悪いのですが、やはり自分の実年齢をアナウンスするのは気が引けるものです。

奇しくも、その２５周年の今年のリサイタルは東日本大震災の復興支援チャリティーになりました。東北に育ててもらった身として何ができるかを考えたものの、これ以外には頭に浮かびませんでした。

ここで、当日いらっしゃるお客さまに少しご連絡をさせてください。

プログラムは、いつものように私が手作りしています。と、言っても、パソコンで作成した文書をプリント、あるいはコピーしたものを手で一枚一枚折っただけの簡単なものですが。その際、贅沢な紙を使うとコストがかかってしまい、そのぶん収益が減ってしまうことになるので、簡素なものになります（ああ、そろそろ作らなくちゃ！）。どうぞご了承下さい。

仙台のお客さま、よろしかったらご都合のつく範囲で早めにお出かけ下さい。実は会場の形状の特性のため、後方の座席ですと、場合によっては私の頭しか見えない、といういことになってしまうのです。「もっとひろい会場で！」というご意見も頂いたのですが、このリサイタルにはヤマハ仙台店さんにもご協力いただき、通常よりもお安い料金で使わせいていただいております。ご理解いただけましたら幸いです。

今回はバレンタインデーにちなみ、全員の皆様におみやげのプレゼントがございます。詳細はフライヤー（チラシ）にご案内いたしましたが、カフェふくろうさんが快くご協力くださって、本当に美味しいコーヒーのドリップパック“ブレンド・アパッショナータ”（＊某“Bルックス”のそれとは比べ物にならないほどすばらしい！）と、私の大好きなレシピのコーヒー入りチョコレートクッキーをご用意いたします。終演後、ホール入り口にてお渡しいたしますので、どうぞお持ち帰り下さい。また、どうしても途中でお帰りになる場合には、スタッフにお声掛け下さいましたら、お渡しいたしますので、なんなりとおっしゃってください。

当日、私のCDの販売も予定いたしております。いつものように、ご希望の方にはサインをいたします。今回に限り、CDの売り上げも義捐金とさせていただきます。よろしかったらお手にとってみてください。

仙台、東京ともに、終演後は出入り口にて私もみなさまのお見送りのご挨拶をいたします。お時間のある方はぜひ、ひとことお声をかけてくださいましたら嬉しいです。

・・・以上です。本来ならネットではなく、お客さまに当日ご案内すべきことですが、頭の中が一杯、胸も一杯、になって抜けてしまうといけないので、自分に対しての確認もこめてこの場をお借りしました。

「ドレス、ちゃんと入るかしら」という、いつもにはない心配も頭をよぎるこのごろですが、お客さまに体重ニ割増し（前回比）の増量キャンペーン（？）による豊かな音色を楽しんでいただけるよう、今日もしっかり食べるぞ！と。</description>
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         <pubDate>Fri, 27 Jan 2012 13:28:10 +0900</pubDate>
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         <title>第553回　なぜ譜めくりストをつけないのか</title>
         <description>図書館で、『落語家はなぜ噺を忘れないのか』というタイトルの本がふと目にとまり、借りて読んでみました。柳家花緑さんの著書です。毎月古典落語の定例会をしている近所のとある場所の会員になって、その面白さにますますはまりつつあるのも、その本が目に飛び込んで気になった要因かもしれません。

何百年も前の噺を、今の時代にお客さまにどんなふうに演じて見せるか…。噺家が元となるネタをアレンジしなすぎてもしすぎても、作品や本来の“笑い”の質を損ねかねない、という古典落語のような伝承文化の世界には、知れば知るほどクラシック音楽にも通じるものがあって、腑に落ちることがたくさんあるのです。まだまだ、これからたくさんのことを勉強できそうで、とても楽しみです。

読み終えて、どうもタイトルに何かひっかるものを感じ、はて、なんだろうと、気になりました。似たようなタイトルがどこかにあったような…？で、ファイルをひっくり返してみたら、11年以上も前のこのエッセイに『なぜ譜めくりストをつけないか』というタイトルがみつかりました。こんな内容でした…。

　　　　　　　　＝＝＝＝＝＝＝＝＝

リサイタルや協奏曲などでは基本的に暗譜で弾きますが、アンサンブルのときは通常、ピアニストは楽譜を見ます。その時、迷うのが「譜めくりスト（譜をめくってもらう人）をつけようかどうしようか」ということ。

他の楽器の人は「パート譜」を見て弾きますが、ピアニストはアンサンブルのとき、オーケストラの指揮者のように二重奏であろうが五重奏であろうが、すべてのパートが書いてある総譜(スコア)を見て弾きます。つまり、ピアノパートだけではなく、他のパートも見ながら弾かなければならないので、どうしても譜面が必要になってくるのです。

私の場合、過去にいろいろなことがありました。現代曲の初演のコンサートで、自分も楽譜を追いかけるのに必死だったのに譜めくりストの方が“落ちて（今、どこを弾いているのかを見失ってしまうこと）”しまって、すっかり踏めくりのタイミングを逃してしまったのです。かといって、私の両手もフル稼働…とても自分でめくるタイミングなどとれなくてどうすることも出来ず、記憶をたよりにしばしアドリブ状態が続いたこともありました。

譜めくりの方が、めくるときに勢いあまって譜面を床ににばっさり落としてしまったこともありますし、ページをめくる直前に両手ともが高音に跳躍する所があったので「すわっ」と体を右にすばやく移動させようとしたら何かに体を引っ張られてしまい…。なんだろうと思ったら、譜をめくるために立ち上がった譜めくりストさんの足がわたしのドレスの裾をしっかと踏みつけていた、なんていうこともありました。

いずれも避けられなかったアクシデントですし、過ぎてみれば笑い話のようなものですが、何かおこって演奏に集中できなくなったのを第三者のせいにだけはしたくない、という思いから、次第に譜めくりストは極力つけなくなっていきました。

一見「これは自分でめくれない！」と思われる曲も、よ～く考えてみると、ちょっとめくるタイミングをずらしたり、うまく部分的にコピーをとって対応したり、いよいよという時には１ページ分ほどを覚えてしまえば、大抵なんとかなることがわかってきました。それでも八分休符ひとつぶんほどの時間しかない場合もありますが、何事も練習、です。毎日やってみると案外すばやく、しかも雑音も極力出さないようにめくれるようになってくるものです。

そういえば、「ミナコは本当に、楽譜をめくるのがすばやいし、うまいね。コンサートでは絶対、譜めくりストをつけないで自分でめくったほうがいいよ。“ミナコがめくる！”ってのも、ステージのひとつの見所になるもの。」と、私の隠れた才能（？）を見抜いたドイツ人がいました。留学時代にリサイタルの伴奏を頼まれた、ヴィオラ奏者のテレサ…。背が高くてボーイッシュな、ほれぼれするほどっかっこいい美人だったっけ。彼女、どうしているかしら…。

　　　　　　＝＝＝＝＝＝＝＝＝

11年前にはアンサンブルのお仕事が多かったので、こんなことを書いたのでしょう。今はすっかりソロのステージの方が多くなって、「譜めくりストをつけるべきかつけないべきか」なんて悩む余地なく、問答無用で暗譜です。今も、リサイタル“ソナタに恋して”に向けて、絶賛格闘中です！

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         <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 19:08:25 +0900</pubDate>
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         <title>第552回　あこがれの両想い</title>
         <description>ひとりでも海外を旅したりしますよ、という話をすると、必ず「言葉はどうしているの？」とたずねられます。そんなときには、「最初はフランスならフランス語、ドイツならドイツ語で“話しかけ”るようにしているけど、あとは成り行きです」と答えています。すると「外国語ができるからいいですね。自分はとてもとても…」というようなコメントが続くことがほとんどです。

いえいえ、とんでもない！いまさら言うまでもないのですが、言語が堪能なわけではありません。でも、論文を書いたり議論を戦わせるのでなければ、そこまで精緻な語学能力がなくても楽しめるのが、旅。カタコトしか話せなくてもなんとかなるものです。

「中途半端にその国の言葉を話せる人よりも、かえってまったく話せない人が日本語で話した方が相手に通じる」と、聞いたことがあります。単語や文法に頼ってしどろもどろになり、表情が堅くなるよりも、なんとか意思を伝えなくては！という意気込みや気迫をもってすれば、たとえどこの国の言葉であろうともニュアンスやゼスチャーで相手に通じるものだ、というのです。一理あるな、と思います。

ところで、ヨーロッパの国々には、様々な国からいろいろな人が集まっているので、たまたまその場にいる人たちの国籍がみんな違う、という状況になることも珍しくありません。すると数人で話をするときやリハーサルのときなど、「え～っと…今日は何語でいこうか？」という話になるわけです。

その時はスペイン人、ドイツ人、そして私というメンバーでした。彼らはスペイン語とドイツ語が共通でしたが、私がスペイン語はよくわからないので出来れば英語で、と希望を出したところ、スペイン人が「僕は英語があまり得意じゃないからな～。でもいいや、45個ほど単語は知っているから、それを組み合わせてなんとか試してみるよ！」
という、真面目なのかふざけているのかわからない返事が帰ってきました。

ところが。いざ話し合いが始まると、そのスペイン人がよくしゃべるのなんの！…確かにボキャブラリーは多いように聞こえませんし、発音も怪しい感じではありましたが、それでものべつまくなしにまぁ語ること語ること！どうやら、ヨーロッパでは大体において、一番たくさん話す人がその場を制するようなのです。主導権をにぎり、独壇場を得るためには、とにかくしゃべる。周囲はというと、こちらも「あいつがしゃべっているから聞き役に徹してあげよう」なんて発想はまるでなく、真っ向から意見を戦わせるのです。慣れないうちは圧倒されて、まるでテニスの試合を観戦しているように、目線を話している人の顔を行ったりきたり泳がせるばかりでした。

でも、それはそれで失礼だったのです。それに、よい聞き手の定義も、あちらは違うようなのです。つまり、相手の話していることをきちんと聞きながら、それに対する意見を同じように述べることが、よい受け方。ただ聞いているばかりで“参戦”しないのは、「あなたの話にはあまり興味がないわ」「この場の雰囲気を、わたしはちっとも楽しめていないの」という意思表明になってしまうというのです。彼らにとって議論を戦わせるというのは、何も喧嘩を吹きかけるのではなく、逆に「あなたの提供してくれた話題に、わたしはこんなに興味を惹かれて、楽しんでいるのよ」ということを意味するのです。

自覚はしていないのですがちょっとだけそういう体質になっている部分があるようで、思ったことはすぐに口に出してしまいます。実家に帰ってもつっ込みたいところには容赦なく「どうして？わたしは違うと思うけど。だって…」とやりはじめては、よく父に「うるさい！美奈子はだまっていなさい」とたしなめられています。

はいはい。うるさいのはわかっています。でも、わかっちゃいるけどやめられない…。だって、ヨーロッパの文化や価値観と切り離せない芸術の世界に、日々触れているのですもの。音楽の世界では音やフレーズ、和声や調性感が言葉の代わりをつとめますが、練習は基本的に、楽譜と向き合っての「わたしはこう思う！」「あなたはどう思うの？」というセッションの果てしないくり返しです。

ですから、いい練習ができた後は、身体だけでなく頭にも軽い疲労を感じます。いい練習ができなかったときも、それはそれでまさに頭に血が昇ってなかなかリラックスできなくなったりと、まぁ結局は翻弄されっぱなしです。

それでも、仕方ありません。これこそ、惚れた弱みっていうものです。ピアノが大好きなので、結果に振り回されようが、思うように弾けなかろうが、もう仕方ない。恋人(？)の気まぐれに振り回されつつもその魅力の虜になって、かれこれ４０年以上もの月日がたっているので、いいかげんこの“万年片思い”な状態に小慣れてはきました。

でもなぁ～。できるなら、やっぱりなりたや、両想い。今度のバレンタインデーのリサイタルでは、どうか“彼”と少しでも親密に想いを伝え合えますように！
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         <pubDate>Fri, 13 Jan 2012 21:04:16 +0900</pubDate>
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         <title>第551回　人生の宝</title>
         <description>大晦日は徒歩5分の近所にある友人のお店でカウントダウンライブというものに初めて参加して、大盛り上がりでした。そして、その場にいたほとんどのお客さんと一緒に、近所の神社に初詣。お振舞いの甘酒を片手に歴史ある鐘楼の前に伸びている長い列に並び、これまた初めて“除夜の鐘”を突かせてもらいました。

日本の鐘の残響は、他にはないほど長いものなのだそうです。本来ならばこの残響がすっかりなくなるまで耳を澄まし、完全に響きが絶えてから次の一打に入るのが正しいのかもしれませんが、今回はそうではなくほぼひっきりなし。寒さに凍えながら並んでいるたくさんの人たちを思うと、それもいたしかたありません。

それでも、体を屈めて鐘楼に入り、立てかけられたはしごを数段のぼって鐘のあるところにたどり着き、なるべく心を無にして、鐘をただ、突くことだけに気持ちを集中させて入魂の一音を鳴らしてみると、なるほど煩悩がその響きもろとも、空気中にちりぢりになって飛んで消えていくような気持ちになりました。

さて、初詣なのですから、おみくじを引かないわけにはいきません。くじ運がいいほうではないので、毎年ドキドキします。果たして今年は「中吉」でした。曰く、“虚室には白をしょうず”。雑念を捨て、誠実な対応を心がけていれば、自ずから開運の時となる、のだそうです。

ところで、運勢というものはよいに越したことはないとは思うのですが、何をもって運がいい、というのでしょうか？成功や成就がよきものであるのはわかりますが、失敗や挫折から大きなものを得ることも、尊いことです。世の中に悪い運勢、よい運勢、というものは実はないのであって、すべてはその人の感じ方、受け止め方のような気がします。

例えば、私の場合はコンサートの折、失敗を怖れて余計な緊張をしてしまいます。でも、仮に失敗してしまったとしても、それは自分にとって長い目でみれば必要なことにちがいないのです。それが切っ掛けでもっと謙虚になれたり、もっと努力できるようになれたら、その失敗は貴重な教訓をもたらし、人生の宝を得ることになるかもしれません。

成功している人は異口同音に「自分は運がいいのです」と言います。それは、彼らが常に運に恵まれてきた、ということではなく、失敗をプラスに生かすことを重ねてきたがゆえに、さらに大きな成功を勝ち得たのだと思います。

ところで、自分が運がいいのか悪いのか、成功しているのかしていないのか…は、ちょっと脇に置いておくとして、「運がいい」という言葉では表わしつくせないほど恵まれているな、と感じているのは、交友関係です。旧知の気のおけない友人と親交を温めあえるのは、それ以上ないほど贅沢で、幸せなことです。

あるとき、本番の前に緊張におしつぶされそうになって、舞台裏でつい「ああ…。早く終わりますように～！」と愚痴をこぼしたら、ある友人が「え～？美奈ちゃんがそんな気持ちになってはいけないわ。みんな美奈ちゃんの演奏をすごく楽しみにしているんだから！そんなこと言わないで、美奈ちゃんも楽しんでちょうだい！」と言って微笑みました。

この言葉には、ハッとさせられました。表面的な付き合いしかしていなかったら…深い信頼関係がなかったら、決して言えないことです。大体の場合、こういう時には「大丈夫、うまくいくわ」とか「心配しないで。始まったらあっという間におわっちゃうわよ」といったような、当たり障りない気休めを言われるものです。彼女の正直な、そのうえ思いやりにあふれたこの発言に、まるで母親のような温かい激励の気持ちと、師匠からのありがたい示唆のようなものを感じて、こんなことを言ってくれる存在が自分にあることの幸せに、思わず震えそうになったのでした。

このお正月も、帰省して高校時代からの友人との楽しいひとときを持つことができました。「演奏って、なんのかんのいって、“その人”そのものがでるものよね」「そうそう。立派に弾いてくれても心惹かれないこともあれば、“どんなに音を外しても、わたしは『あなた』が好きです！”って気持ちになっちゃうときもある…」「“気持ち”って、やっぱり伝わるものだと思わない？その人のパーソナリティーとか、取り組みや、姿勢…そういうものも結局、ぜんぶ伝わってくるのよね」

友人との屈託ないおしゃべりの中から、いろいろと考えさせられるテーマが次々に浮かび上がります。音楽とは、個性とは、表現とは、教育とは…？時間がたつのも忘れて、様々な話が行き交います。

お開きになったあと、その中のひとりが今度のリサイタルに関してのこんなメッセージをくれました。「美奈ちゃんが幸せだと、聴いているわたしたちも幸せをたくさん感じられるから、是非いっぱい幸せになってちょうだい！くれぐれも身体を大事にね！」

心からこんなことを願ってくれる友人の存在以上の“宝”があるでしょうか？世界一の幸せ者になった気分です。

と、ここでなにやらまた、天から不審な声が…。「確かに美奈ちゃんの交友関係はすばらしいけど、男性関係になるとどうもだめよね～」…うぐっ。悔しいが返す言葉が見つからん。新春第一号の今回、せっかく美しくまとめようと思ったのに～。
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         <pubDate>Fri, 06 Jan 2012 11:12:56 +0900</pubDate>
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         <title>第550回　2011年のおわりに</title>
         <description>これからもずっと、大切に胸に留めておきたいメッセージに再び出会いました。3月当時、話題になった、立教新座高校の卒業生におくられた渡辺校長先生からのメッセージです。

あまりにも多くの悲しみと、あたたかなお励ましに、これまでになくたくさん涙した一年の最後に、その全文をご紹介させていただきたいと思います。

被災された方々、お亡くなりになった方々への心からのお悔やみと、復興へ向けての決意をこめて…。


【卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ】

　諸君らの研鑽の結果が、卒業の時を迎えた。その努力に、本校教職員を代表して心より祝意を述べる。
　また、今日までの諸君らを支えてくれた多くの人々に、生徒諸君とともに感謝を申し上げる。

　とりわけ、強く、大きく、本校の教育を支えてくれた保護者の皆さんに、祝意を申し上げるとともに、心からの御礼を申し上げたい。

　未来に向かう晴れやかなこの時に、諸君に向かって小さなメッセージを残しておきたい。

　このメッセージに、2週間前、「時に海を見よ」題し、配布予定の学校便りにも掲載した。その時私の脳裏に浮かんだ海は、真っ青な大海原であった。しかし、今、私の目に浮かぶのは、津波になって荒れ狂い、濁流と化し、数多の人命を奪い、憎んでも憎みきれない憎悪と嫌悪の海である。これから述べることは、あまりに甘く現実と離れた浪漫的まやかしに思えるかもしれない。私は躊躇した。しかし、私は今繰り広げられる悲惨な現実を前にして、どうしても以下のことを述べておきたいと思う。私はこのささやかなメッセージを続けることにした。

　諸君らのほとんどは、大学に進学する。大学で学ぶとは、又、大学の場にあって、諸君がその時を得るということはいかなることか。大学に行くことは、他の道を行くことといかなる相違があるのか。大学での青春とは、如何なることなのか。

　大学に行くことは学ぶためであるという。そうか。学ぶことは一生のことである。いかなる状況にあっても、学ぶことに終わりはない。一生涯辞書を引き続けろ。新たなる知識を常に学べ。知ることに終わりはなく、知識に不動なるものはない。

　大学だけが学ぶところではない。日本では、大学進学率は極めて高い水準にあるかもしれない。しかし、地球全体の視野で考えるならば、大学に行くものはまだ少数である。大学は、学ぶために行くと広言することの背後には、学ぶことに特権意識を持つ者の驕りがあるといってもいい。

　多くの友人を得るために、大学に行くと云う者がいる。そうか。友人を得るためなら、このまま社会人になることのほうが近道かもしれない。どの社会にあろうとも、よき友人はできる。大学で得る友人が、すぐれたものであるなどといった保証はどこにもない。そんな思い上がりは捨てるべきだ。

　楽しむために大学に行くという者がいる。エンジョイするために大学に行くと高言する者がいる。これほど鼻持ちならない言葉もない。ふざけるな。今この現実の前に真摯であれ。

　君らを待つ大学での時間とは、いかなる時間なのか。

　学ぶことでも、友人を得ることでも、楽しむためでもないとしたら、何のために大学に行くのか。

　誤解を恐れずに、あえて、象徴的に云おう。

　大学に行くとは、「海を見る自由」を得るためなのではないか。

　言葉を変えるならば、「立ち止まる自由」を得るためではないかと思う。現実を直視する自由だと言い換えてもいい。

　中学・高校時代。君らに時間を制御する自由はなかった。遅刻・欠席は学校という名の下で管理された。又、それは保護者の下で管理されていた。諸君は管理されていたのだ。

　大学を出て、就職したとしても、その構図は変わりない。無断欠席など、会社で許されるはずがない。高校時代も、又会社に勤めても時間を管理するのは、自分ではなく他者なのだ。それは、家庭を持っても変わらない。愛する人を持っても、それは変わらない。愛する人は、愛している人の時間を管理する。

　大学という青春の時間は、時間を自分が管理できる煌めきの時なのだ。

　池袋行きの電車に乗ったとしよう。諸君の脳裏に波の音が聞こえた時、君は途中下車して海に行けるのだ。高校時代、そんなことは許されていない。働いてもそんなことは出来ない。家庭を持ってもそんなことは出来ない。

　「今日ひとりで海を見てきたよ。」

　そんなことを私は妻や子供の前で言えない。大学での友人ならば、黙って頷いてくれるに違いない。

　悲惨な現実を前にしても云おう。波の音は、さざ波のような調べでないかもしれない。荒れ狂う鉛色の波の音かもしれない。

　時に、孤独を直視せよ。海原の前に一人立て。自分の夢が何であるか。海に向かって問え。青春とは、孤独を直視することなのだ。直視の自由を得ることなのだ。大学に行くということの豊潤さを、自由の時に変えるのだ。自己が管理する時間を、ダイナミックに手中におさめよ。流れに任せて、時間の空費にうつつを抜かすな。

　いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。

　いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。

　海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。

　真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。

　鎮魂の黒き喪章を胸に、今は真っ白の帆を上げる時なのだ。愛される存在から愛する存在に変われ。愛に受け身はない。

　教職員一同とともに、諸君等のために真理への船出に高らかに銅鑼を鳴らそう。

　「真理はあなたたちを自由にする」（Η ΑΛΗΘΕΙΑ ΕΛΕΥΘΕΡΩΣΕΙ ΥΜΑΣ　ヘー　アレーテイア　エレウテローセイ　ヒュマース）・ヨハネによる福音書8:32

　一言付言する。

　歴史上かってない惨状が今も日本列島の多くの地域に存在する。あまりに痛ましい状況である。祝意を避けるべきではないかという意見もあろう。だが私は、今この時だからこそ、諸君を未来に送り出したいとも思う。惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。原子力発電所の危険が叫ばれたとき、私がいかなる行動をしたか、悔恨の思いも浮かぶ。救援隊も続々被災地に行っている。いち早く、中国・韓国の隣人がやってきた。アメリカ軍は三陸沖に空母を派遣し、ヘリポートの基地を提供し、ロシアは天然ガスの供給を提示した。窮状を抱えたニュージーランドからも支援が来た。世界の各国から多くの救援が来ている。地球人とはなにか。地球上に共に生きるということは何か。そのことを考える。

　泥の海から、救い出された赤子を抱き、立ち尽くす母の姿があった。行方不明の母を呼び、泣き叫ぶ少女の姿がテレビに映る。家族のために生きようとしたと語る父の姿もテレビにあった。今この時こそ親子の絆とは何か。命とは何かを直視して問うべきなのだ。

　今ここで高校を卒業できることの重みを深く共に考えよう。そして、被災地にあって、命そのものに対峙して、生きることに懸命の力を振り絞る友人たちのために、声を上げよう。共に共にいまここに私たちがいることを。

　被災された多くの方々に心からの哀悼の意を表するととともに、この悲しみを胸に我々は新たなる旅立ちを誓っていきたい。

　巣立ちゆく立教の若き健児よ。日本復興の先兵となれ。

　本校校舎玄関前に、震災にあった人々へのための義捐金の箱を設けた。（3月31日10時からに予定されているチャペルでの卒業礼拝でも献金をお願いする）

　被災者の人々への援助をお願いしたい。もとより、ささやかな一助足らんとするものであるが、悲しみを希望に変える今日という日を忘れぬためである。卒業生一同として、被災地に送らせていただきたい。

　梅花春雨に涙す2011年弥生15日。

立教新座中学・高等学校

校長　渡辺憲司

（＊立教新座高校公式ホームページから引用）</description>
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         <pubDate>Fri, 30 Dec 2011 11:25:00 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>第549回　恩師のひとこと</title>
         <description>師走というと、主人公（？）は師…先生です。これまで、音楽の師匠はもちろん、たくさんの師匠から、貴重な教えをいただきました。今回は、まだご紹介していなかった恩師のお話をしたいと思います。

さて、今こうして毎週エッセイを書いていますが、特定の方への私信ではなく、不特定の方に向けて何かを書くことは、大分以前からしています。

一番古くはミニ新聞…その名も私の名前の「美」と、苗字の「鈴」をとって『みすず新聞』の発行です。…とはいっても、月刊で手書き一ページほどのもので、内容は身近なニュースや家族の話題。配布は親戚関係者に限られていましたし、一年ほどで惜しまれながら（？）廃刊になってしまったので、実績としては不十分です。

公に向けて定期的に文章を配信したのは、もっとあとになってから。桐朋学園を卒業し、留学したハンガリーからの通信でした。こちらは、仙台でお世話になった先生が主宰されていた仙台学友協会が、17年以上の長きにわたって発行していた『仙台音楽案内』という、れっきとした同人誌でした。その、名誉ある表紙の巻頭エッセイを私が担当することになったのです。タイトルはシンプルに“ハンガリー留学日記”。

音楽に造詣が深く、地元紙河北新報の文芸欄でも頻繁にコンサートレビューを執筆していらした東北大学の元名誉教授、故・藤井康治先生も、『仙台音楽案内』にかかわっていらっしゃいました。藤井先生は私がハンガリーに渡る前のデビュー時から必ずコンサートに足を運んでくださり、温かいお気持ちに満ちた批評を書いてくださいました。

藤井先生のように、コンサートや評論活動などの音楽経験だけでなく、人生経験も豊かな目上の方からのお励ましは、若い駆け出しのピアニストの私にとって、どんなにありがたいものだったでしょう。

演奏についてのコメントもさることながら、先生からいただいたとても印象的なひとことがあります。

「あなたの文章は、とてもいい。あなたにはブンサイがある。どうか、ずっと書き続けてください。いいですね、書き続けるんですよ。」

音楽と違って、文章については自分のものがいいとか上手いとかいう評価をまったく求めていなかったので、先生のお言葉はとても意外でした。先生のおっしゃる“ブンサイ”という言葉が“文才”のことだ、と、瞬時にわからなかったほどでした。

帰国してまもなく『仙台音楽案内』は廃刊になってしまい、私もしばらくは書くことをしなくなりました。でも、心のそこかから、折りにふれて藤井先生の「いいですね。書き続けるんですよ」という声が聞こえていました。

その後、細々とパソコンをいじるようになり、ホームページを自作して、さて、何を載せようかと考えたときに、やはり先生のその言葉が聞こえたのです。もう11年ほど前のことです。

私は、また書き始めました。下手でも内容が薄くても、なんでもいい。とにかく、できるだけ続けてみよう、と思いました。あっという間に11年が経ち、その間2003年12月に藤井先生はお亡くなりになりました。87歳でいらしたと思います。

先生が褒めてくださった“ハンガリー留学日記”を、読み返してみました。ブダペストについて3週間後、ようやく自宅にピアノが入ったとき嬉しくて弾きながら泣いてしまったこと。ギムナジウム（高等学校）でのコンサートで、椅子が壊れて高さの調整が出来なかったので、急遽ベートーヴェンの楽譜をお尻に敷いてピアノを弾いたこと。生徒さんとみんなで“さくらさくら”を歌ったことやら、リスト音楽院大ホールの檜舞台でソロを弾いたときの感動…。若い稚拙な筆ではありますが、読み返すとあの時の感動がよみがえってきます。

改めて、人間にとっての本当の宝物とは、こうした目に見えない“思い出”に尽きるような気がしてきました。先生や周りの方々との出会い、交流、共感…。私にとって、そうしたものに勝る宝物はありません。先生の教えに従って「書き続け」てきたお陰で、きっとこれから先、楽しい思い出の宝を失うことはないでしょう。「書き続けなさい」とおっしゃってくださった藤井先生に、改めて感謝したい気持ちでいっぱいです。

もうすぐクリスマス。通常のお仕事以外、何の予定も入っていませんが、何かを求めるよりも、何も求めないクリスマス、というのもいいかもしれません。

でも、もし「もういいオトナだし、デートの予定やプレゼントなんて、いらないもん。そのかわり、クリスマスは周りの人たちに感謝して静かに過ごすことにするわ」…なんて言ったら、友達に思いっきり茶化されるんだろうなぁ。「ふ～ん、なるほど。その周りの人ひとりひとりにカンパ～イ…って、合法的にお酒を飲もうって魂胆ね？」とか…。
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         <pubDate>Fri, 16 Dec 2011 12:02:18 +0900</pubDate>
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         <title>第548回　子どものような感性</title>
         <description><![CDATA[約一ヶ月半にわたってお話してきた「『ソナタに恋して』にいたるまで」のシリーズが終わって、気づいてみればもう師走も中旬にさしかかろうとしています。ああどうしよう、年賀状も大掃除も、あれもこれもまだ手付かずのままです。

いろんなことが“後回し”になってしまうのは今に始まったことではないのですが、中でも周囲から最も厳しいご指摘とご批判を頂くのが「健康」に関することです。健康診断とかがん検診、といったことが特に苦手なのです。

できることならずっと受けずにいたい…。自分の体の外ならまだしも、内側の、自覚することも見ることも出来ない部分の不具合を、あえて知りたいとは思わないのです。知ってしまうのが恐いのです。小さい頃に異常な“怖がり”だったことと関係があるかもしれません。

「そんなことないよ！知らずに不摂生を続けるほうがずっと恐いでしょう？わかって気をつけるにこしたことはないじゃない？」…確かに正論ですが、大人の悪意なき正論は、時として子どもを追いつめるものです（あれ？わたしってすでに、大人なんだっけ？）。こうなると、無理と頭では理解していてもだだをこねる子どもの領域です。つまり、「ほしいものはほしい！いやなものはいや！」嗚呼、かくのごとき時代は移ろえど、大人は正論を主張し、子どもは欲求を主張するのです…。ある部分で、自分は子どものままなのかもしれないな、と思うことがしばしばあります。

だから、子どもの子どもらしい感性に触れたり、大人なのに子どもの感性を失っていない人の魂に触れると、心の底から嬉しさがこみ上げてくるのです。

最近、ひょんなことから知り、惚れこんでいる気鋭のアーティスト<u><a href="http://www.mabataki.com/">鈴木康弘さん</a></u>も、そんな素晴らしく刺激的で純粋な感性の持ち主です。彼の著書『まばたきとはばたき』（青幻舎）は、書籍なのにページをめくるたび彼のアートを体験できるような、素晴らしい構成になっていて、最近の一番のお気に入りです。

例えば、“ファスナーの船”。「飛行機の窓から東京湾を見下ろしたとき、海を進む船と航路がファスナーのように見えました」それをきっかけに彼はラジコン式のファスナーの船を作り、公園の池の水面を“開く”ことを思いつきます。そしてその数年後には、スポンサーを得て実際に人の乗れる重さ５，３トンの“ファスナー”の船を作り、２０１０年の瀬戸内国際芸術祭を舞台に、実際の海を“開く”ことになります。

「限られた空間を有効に活用するために“お見合い席”にしました。すると向かい合って座ったと偶然足が交互になり、ファスナーの噛み合う金具のように見えて、思わず笑いました。」その船が瀬戸内の海を“開く”様子が、ヘリからの航空写真で紹介されています。

そうかと思うと、銀閣は銀色ではなく茶色だった、と意表をつかれたことを思いだすきっかけに、と、彼は美しい銀の銀閣をつくってみます。ただし、その中身はチョコレート！「チョコレートといえば銀紙で包むもの。そして気が付けば銀閣寺もチョコレート色でした」

そのほかにも、コーンスープが三日月のような満ち欠けをみせるお皿や、水のしずくが落ちるたびに年輪のような波紋をみせる切り株のバケツ…。まるで秘密の公園のようなこの本には、４５種類もの彼オリジナルの“遊具”が、ふんだんなスケッチや写真とともに紹介されていて、心おどるような発見に溢れています。

その発想のなんと素直で明快なこと…！なにより、彼の作品の完成度の高さには、心を奪われてしまいます。そこに息づいているのは単なる数奇さでなく、よく見つめ、心を開いて感じ、考えてこそ生まれてくる疑問や感動から発信されてる、子どものように素直な感性です。だから、ちっともてらっていないのにドキッとするような新鮮な意外性に満ちていて、ありふれたものに思わず愛おしさを感じたくなる…。斬新さや、前衛感を前面に出しながらも１０年もしないうちに古びてしまうような、巷に蔓延しているよくわからないモダンアートとは、明らかなる一線を隔しています。

心を開放し、素直に物を見つめ、考えたり感じたりすることを魂いっぱいに楽しむ。そんな、子どものような感性を抱いている本物のアーティストの表現に触れ、その作品に遊ぶことに代わる精神の贅沢があるでしょうか。

…あ。自分がそんな、子どものような感性に憧れ、自称「それを多少もっている大人」だからといって、それが健康診断を回避する正当な理由にはなりませんよね。わかっておりますとも。いえいえ、心の健康診断はばっちり、クリアしているので、それで善しとする、ということで、そこはどうにかご勘弁くださいますように…！]]></description>
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         <pubDate>Fri, 09 Dec 2011 11:10:31 +0900</pubDate>
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         <title>第547回　「ソナタに恋して」にいたるまで　其の六　（最終回）</title>
         <description>ところで、先生…あるいは目上の人からの「ひとこと」は、時として人の心に大きく響くことがあるように思います。

先生という立場に限らず、それが先輩であったり親であったり、はたまた上司であったりと、状況はいろいろと考えられると思うのですが、自分を知り、関わってくれている相手からの「ひとこと」は、人に大きな影響を与えるものではないでしょうか。私の場合は、プリドノフ先生の「ひとこと」によって、ぐっとシューマンに親しみを抱くきっかけを得ましたし、その数年後に師事したロンドンのアンジー・エステルハージ先生にも、多くのとてもよい示唆をいただくことができました。

エステルハージ先生は、かつてはモスクワ音楽院の名教師でモスクワ音楽院の院長も務めたネイガウスの弟子でした。同門下のピアニストには、エミール・ギレリスやスヴァトスラフ・リヒテルといった、そうそうたる名ピアニストの名前が並びます。

ネイガウス先生のレッスンがいかに素晴らしかったか、は、エステルハージ先生のお話を聞かずとも先生のレッスンから感じ取ることができました。レッスン時間は無制限。作品について感じたこと、考えたことをとことん話し合い、演奏のさまざまな可能性や楽想に対してのイメージをどんどん拡げてくださいます。テクニックは非常に洗練されていて、自分の持っている肉体的なスキルを最大限に“生かす”方向を一緒に見出し、決して既存の“メソッド（方法論）”の押し付けはしないのです。（ちなみに、私はこのメソッド、というのがあまり好きではありません。大手コーヒーチェーン店のマニュアルみたいで…。）

チャイコフスキーのピアノ協奏曲をレッスンしていただいた時のことです。第一楽章の、あの美しい第二テーマのメロディーのところで、先生が「このフレーズを、僕に３通りの歌い方で弾いてみせてくれないかい？」とおっしゃいました。私はできるかどうか、内心どぎまぎしながらも、フレージングや抑揚、イントネーションを変えて、なんとか３通り弾いてみました。

ところで、個人的にはレッスンで「出来ません」あるいは「出来るかしら？」、ましてや「はい、存じています」なんていう言葉は絶対に禁句、という掟にしています。（もちろん、生徒さんには強要していません。）出来ないなんて言おうものなら、もうその先は教えていただけないかもしれない。先生に「この子はそんな程度か」と、“妥協”されてはたまらない。それにもし「存じて」いるなら、それを表現できていないのは未熟だからです。指摘を受けているのですから、それも言う必要のないこと…と、物心ついた頃から自分なりに考えていました。

さて、私が弾いた後、先生はしばらく沈黙してから静かにこうおっしゃいました。「すばらしい才能だ。感動したよ。しかし、とても残念なことだ。君がもっと早い段階でよい指導者にめぐまれていたなら、今頃はものすごいピアニストになっていたことだろうに。まぁ、人にはそれぞれ運命ってもんがあるからね。」

褒めていただいたのやらダメだしされたのやら、まさに“微妙”で、どう受け止めたらよいものか。先生は、このコメントからも伺えるようにとてもリアリストで、音楽界の光り輝ける部分も暗黒面も、すべてを知り尽くしている方なのです。私は先生に伝えました。「私は多分、有名なピアニストにはなれないと思います。でも、よいピアニスト…よい音楽家にはなりたいと思います。」先生の答えは「うん。そう。それが君の幸せなら！」

その気持ちはウソではありませんでしたし、今も変わりません。先生から得た貴重な教えは、それを少しでも演奏に反映できるように、そして生徒さんに少しでも伝えられるように、…と、弾くことと教えることの両方の部分で、私の糧になっています。

弾くということは、作曲家の意図を第三者に伝えるという、責任ある使命が発生する行為です。と、いうとなにやら堅苦しく感じてしまいますが、実はこのあたりこそ、楽譜という“事実”と向き合って、そこから無限の表現の可能性を追求する、クラシック音楽というジャンルの醍醐味でもあるのです。

演奏家というと、感じたままエキセントリックに弾いたり、独自の表現をとことん追及するイメージを強くもたれる方も多いと思いますが、私は自分そのものを前面に出すのではなく、私の感じた作品の本質をお伝えしたい、というのがいちばんの願いです。つまり、私の演奏の“主語”は、「私」ではなく「作品」でありたいのです。そして、作曲家と、私を支えていただいた周囲の方々や教えを下さった先生方、会場にいらしてくださるお客さま、そして私、が、「作品」を介して何か一つのものを感じあえたら、こんなに嬉しいことはありません。

実際には、難しくてなかなか上手くいかないところやら、様々な不安を抱えての当日になることは避けられないと思いますが、震災復興のための小さな一歩に音楽家として関われる幸せを胸に、できる限り心を“無”にしてステージに臨みたい気持ちでいっぱいです。

（「ソナタに恋して」にいたるまで　終）</description>
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         <pubDate>Fri, 02 Dec 2011 11:08:22 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第546回　「ソナタに恋して」にいたるまで　其の五</title>
         <description>さぁ、フライヤーもできたし、チケットも自作完了。あとは私の「仕込み」と広報活動ということになります。

「仕込み」…つまり、練習についてはいうまでもなく、ぎりぎり当日までひたすら最善をつくすしかありません。でも、イベントとして考えたときにそれに匹敵するくらい大事な広報活動…コマーシャルというものが、実は大の苦手なのです。

あちこちにフライヤーを持参して出向き、アピールをする。マスコミ関係に取材の依頼をする。今までいらして下さった方にご案内のDMを送る。mixiやtwitter、facebookなどの、いわゆるSNS（ソーシャル・ネットワーキング・サービス）などでイベント告知をする…。することはたくさんあります。でも、「それより今は練習練習！」と、気持ちがそちらになかなか向いてくれません。

アーティストというのは、興行的なことや経済性、効率性などからもっとも離れたところでいきている人種なので、元来、仕方がないことではあるのかもしれません。だからこそ、マネージャーだったりプロデューサーという職業の存在が必要なのです。

でも、哀しいかな、そこは一匹狼の私です。しかも、今回は東日本大震災の復興支援。少しでも多くの黒字を出し、それを全額寄付するのだという責任があります。いつものように、のらりくらりとしていてはいけないとは分っているのですが、毎度のことながら、何からどうしてよいものか未だに模索している始末です。

もうここは、いさぎよく諦めて（？）、いつもの私でいくことにしました。つまり、できることを精一杯するまでです。せめて、このエッセーを読んでくださった方が、今回のリサイタルや、私の演奏する曲に興味を持ってくださいますように…。そんな、ちょっとこずるい（？）願いも抱きつつ、これから少し、当日の演奏曲目の中から、シューマンのソナタ第一番についてのお話をしたいと思います。

シューマンのソナタ第一番には、思い出があります。シューマンのソナタというと第二番のほうがずっと有名で演奏される機会も多いのですが、第一番は彼のまだアンバランスな心の揺らぎが感じられて、「不完璧であることの魅力」があるのです。献辞は「クララへ。フロレスタンとオイゼビウスより」クララというのは、言うまでもなく将来彼の妻になるクララ・ヴィーク。才色兼備な方で、作曲もこなすし、ピアノの腕前もそんじょそこらの男性ピアニストに負けない立派な才能の持ち主でした。

気になるのは、そのクララへこの曲をおくった“フロレスタンとオイゼビウス”なる二人の人物です。これは、実はシューマンのペンネーム。彼は当時『音楽時報』という雑誌（？）を刊行していたのですが、その中で複数の人物に成りすまして（とはいっても、分るように、ですが）議論をさせたりしていました。

社交的、積極的で、快活な性格のフロレスタンと、内向的で思慮深く、物静かなオイゼビウス。シューマンは自身の性格にも、彼らのような二面性があることを認識していたとも言われています。その“二人”からの献呈ということは、シューマンが彼の心のうちをすべてさらけだしての、迫真、かつ本音の“告白”ということになります。

第一楽章は、うねる波のような左手の伴奏にのって、特徴のあるリズムをもつメロディーによる序章で幕を開けます。抑えることのできない強く激しい思いと、恐ろしいほどに不安な思いとが、かわるがわる顔をのぞかせ、その痛々しいような心の中の葛藤を提示したのちに、本編に入るのです。

初めて聴いたときから、惹きこまれました。もともと、作品に限らず、アーティストだろうがファッションブランドだろうが、世間一般の知名度とか人気には左右されにくい性質です。いいえ、むしろ無名の“お気に入り”に出会ったときの喜びは、他の何にも変えがたいものがあります。日本ではその感覚を分ってもらえる機会が少なかったのですが、ヨーロッパに行ったらほとんどの人が私に近い価値観を持っていることがわかり、とても安心しました。

この作品には、まさにそんな“出会い”を感じました。アメリカに留学していた当時、師事していたユージン・プリドノフ先生のレッスンで初めてこの曲を聴いていただいたときのことは、忘れません。私が弾き終わると、先生はたいそう大きな声でおっしゃったのです。「なんてステキなんだ！このソナタがこんなに素晴らしい作品だとは、これまで認識していなかったよ！なんてこった、なんで今まで気づかなかったんだろう！いい音源にも出合ったためしがないし、今ひとつな“埋もれた”作品だと思っていた。ミナコ、是非キミはこの曲をどんどん弾くべきだ！そして、この曲の素晴らしさを、僕だけじゃなく、たくさんの人に示してあげなさい。キミはそれができる、貴重なピアニストだよ！」

プリドノフ先生は興奮気味に顔を赤く高揚させ、ほとんど涙目になりながら一気にこうおっしゃったのでした。先生は普段からちょっとお芝居がかったところがあって盛り上げ上手でもいらっしゃるので、そんな風におっしゃっていただいた私はどう反応していいものやら…。戸惑いましたし照れくさかったのですが、それでもとても嬉しかったのです。いつか、リサイタルでこの曲を弾くぞ、と、すっかり“その気”になってしまいました。

ひとを“その気”にさせるというのは、大切なことです。このとき私は、自分が目指したいのは、人に「上手に弾ける」「上手なことを伝える」ピアニストではなく、「作品の素晴らしさを伝えることができる」ピアニストなのだ、と、はっきりと理解することができたのです。とても清々しく、幸せな気持ちでした。

（「ソナタに恋して」にいたるまで　其の六…最終回…に続く）</description>
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         <pubDate>Thu, 24 Nov 2011 14:15:32 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>第545回　「ソナタに恋して」にいたるまで　其の四</title>
         <description>フライヤー（チラシ）についても、方向性が少しずつまとまっていきました。

今回はいつもと雰囲気を変え、バレンタインらしく、そしてソナタというややもすると堅苦しいイメージに受け取られがちなジャンルをなるべく親しみやすくアピールしたい、という思いから、写真主体ではなく、イラストの入った温かみのあるものにしたいなと思っていました。

以前から気になっている方がいました。カフェふくろうのロゴやプロダクツデザインを手がけたり、絵本を出していらっしゃったりする地元八千代在住のイラストレーター、obaさんです。obaさんのイラストはほのぼのとして可愛らしく、しかもひと目で「あ、これはobaさんのだ！」とわかる印象的なタッチで、とても好きなのです。obaさんに関わっていただけたら嬉しいのだけど…。

それに、今回のリサイタルにあたっては、地元の友人、知人のお力を借りて作りこんでいきたい、という思いもありました。人と人とがつながっていることや、作者の気持ちが時空さえ越えて人に伝わり響くことを、自分なりに表現したいと思ったのです。今回のリサイタルは「贈り物」（献呈）がテーマですが、「人と人との絆」も、もう一つの隠れたテーマでした。

果たしてobaさんにイラストをお願いしたところ、彼女はとても快く引き受けてくださいました。最初の打ち合わせで詳しくリサイタルの主旨や私の考えをお話させてもらった数日後、3人の作曲家と私の、楽しくて愛らしいキャラクターのイラストを見せてくださいました。タイトルのフォント（字体）も、既成のものではなくオリジナルを作ってくださいました。

フライヤーは大切なものだと認識しています。当日いらしてくださる方だけでなく、フライヤーをご覧になったすべての皆さんに、自分がどんな思いで演奏に取り組んでいるかや、どんなリサイタルにしようとしているのかを、お伝えできるようなものにしたい…つまりは自分の表現がそこからすでに始まっているような気がするからです。

さらに全体のデザインを、もう大分前からお付き合いをさせて頂いている空間デザイナーのＫさんに相談したところ、とてもお忙しい方なのに「ぜひ、お手伝いさせてください！」と、快諾してくださいました。Ｋさんは海外でも活躍され認められている、空間デザインの第一人者。テクスチュア、レイアウトや背景・色・バランス・ストーリー…彼のデザインは、単にクライアントの意向を反映するに留まらず、コンセプトやメッセージを極限まで広げて形にして見せてくれるワクワクするような楽しさがあって、作品を見るたび素敵な刺激を頂くのです。それはお話ししていても同じで、「ミーティング」と称してお会いするたび、時間が経つのを忘れてアートとカルチャーについての話やデザイン談義に夢中になってしまいます。

当日演奏する曲目の音源をお渡ししたところ、彼らの作品に込められたさまざまな思いの中に、Ｋさんは「緊張感」を感じたといいます。「誰かに何かを贈るとき、それが大切な人であればあるほど、期待感と同じくらいに相手に自分の思いがきちんと届くのか、拒否をされたりはしないだろうか、という不安な部分ってあると思うんです。僕は彼らの作品に、自分が思いをこめて作り上げたという達成感と、それが伝わるかどうかという緊張感の両方を感じたんですよね」このＫさんの洞察はそのまま、私も譜面と向き合って感じていたことでした。「それをフライヤーに写しこんでいけたら、面白いんじゃないか…いいものになるんじゃないかと思うんです」

Ｋさんは、レイアウトや色をあれこれと変えた何パターンものデザイン案を提案し、実際に見せてくださって、その度に私の感想や意向を確認し、「気づいたこととか、良い・悪い、好き・嫌い…もう、どんどん言ってください。美奈さんが言ってくれればくれるだけやりがいがあるし、すごく自分も勉強になるので…」すごい方って、とことん謙虚なのだわ、と、つくづく感じて、こちらの方こそ貴重な勉強になります。

「フライヤー製作に携わせていただいて感謝の気持ちでいっぱいです！空間のデザインと違ってA4サイズの中に思いを詰め込まなければいけないという難しさも改めて痛感しましたし、その難しさこそまだまだ自分の中の追求できる『可能性』なのだと思いました。」すべての作業を終えたあとに、Ｋさんは丁寧なお礼のメールまで下さいました。Ｋさんには、いつも前向きな姿勢でいること、与えられた状況をありがたく受け入れ、そこから最大のものを学び取ることを全力で楽しむこと、謙虚さと誇りを抱いて生きることの大切さなどを、いつも、いつのまにか、気づかせてもらっています。

かくして、obaさんの温かなイラストと、Ｋさんの手によるドラマティックでスタイリッシュなデザインと、私の思いがひとつになったフライヤーが完成しました。見てくださった方が「わぁ、かわいい！」「すてきですね」とおっしゃってくださるたび、心のなかでお二人に報告しては「ありがとう」とつぶやいています。

（「ソナタに恋して」にいたるまで　其の五　に続く）
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         <pubDate>Thu, 17 Nov 2011 12:18:47 +0900</pubDate>
      </item>
            <item>
         <title>第544回　「ソナタに恋して」にいたるまで　其の三</title>
         <description><![CDATA[ホールの予約は、その経営母体の定めた規約などによってもいろいろと異なりますが、たいていは一年前から、早いところでは二年前から解禁になります。

毎年11月から12月にかけて、リサイタルシリーズ“SYMPOSION”をこれまで五回、行ってきたのですが、気づけばもう4月も半ば過ぎ。ずいぶん出遅れてしまっていました。いつもの会場ムジカーザさんに問い合わせると、すでに年内はほとんど予約が埋まっているとのこと。震災で多くのイベントやコンサートが自粛ムードになっている被災地とは、随分状況がちがうものだと実感しました。他の会場も考えましたが、ばたばたするのもいやだな、という気持ちもありました。

ここは慌てないでじっくりと構想を練って、余裕を持って準備したい…。今年は充電の年にすることにして見送って、年明けに行なうことにしました。それでもすでに、昼、夜の二区分で空いている日は平日のわずかしかありません。「2月は7日、14日…」そこで、ハッとひらめいたのです。「ソナタに恋して」に、バレンタインデーがふさわしいのではないか、と。

かくして、東京でのリサイタルは2月14日に決まりました。仙台の会場も、その約一週間前におさえることが出来ました。はじめからから災害復興支援にするつもりでした。

“SYMPOSION（シンポシオン）”とは、古代ギリシャ語で“シン＝共に”“ポシス＝（お酒を）飲み交わす”という意味なのだそうです。転じて、私の提供する音楽を媒体に、お客さまも演奏者も、ひいては作曲家も、同じテーブルで意識の“交流”を喚起し、なんらかの“共感”を得られるようなものになりますように、という思いをこめてネーミングしました。

でも、今回はそれよりも彼らが大切な人に送った宝物のような作品の魅力や、作品に込められている強い想いやメッセージを、私がなるべく透明になってお客様に“お伝え”したい。私がメッセンジャーになって、作曲家からの贈り物を、お客さまに届けたい、という気持ちでした。人と人とがそうやって、時空を越えてなお、つながっていられることを、感じていただきたい…。タイトルはいつもの“SYMPOSION”ではなく、シンプルに“鈴木美奈子ピアノリサイタル”にしたいなと思いました。

ところで、ありがたいことに、私には自宅以外にくつろげる場所が何箇所かあります。公園以外は、店長さんやスタッフの方たちがとても気持ちのよい接客をしてくださるお店なのですが、彼らに共通していることは「聞き上手」だということ。日頃のとるにたらないような愚痴から人生の大きな指標（？）に至るまで、何でも気兼ねなく話すことができる人がいることで、どんなに救われていることでしょう。おかげで私はストレス知らずです。

<a href="http://cafe-coruja.net/diary/201111.html#20111109"><u>カフェふくろう</u></a>も、そんな大切な場所のひとつです。音楽好きのマスターとは、コーヒー談義だけでなく、音楽の話で夢中になって、つい時間が経つのも忘れて元気をチャージさせてもらうことが少なくありません。例えば、「美奈子さんにとって、いい音楽、よくない音楽って、どういう基準なの？」「上手い下手…って、何が決定的な違いだと思います？」「クラシックの世界では、楽譜って絶対的なものなんですよね？」深いところをついてくるマスターに、ついつい熱く語ってしまうのです。

「演奏家は作曲家と違って、創造する側ではないんです。演奏家にとって楽譜は、作曲家が残してくれた大切な遺産のような、遺言のようなものなんです。それをできるだけ、彼らの意思や遺志を反映するよう解釈して、弾かせてもらうの。だから、偏見や思い込みで意訳しないで、できるかぎり作品そのものをお伝えすることを考えます。報道カメラマンやルポライターのように…。でも、一つの事実も、伝え方で伝わり方って違ってくるでしょう？そこが注意しなきゃいけないところであり、面白いところでもある。自分が立派に“弾ける”ことではなく、音楽そのものを“伝える”ことのほうが、ずっと重要なミッションだと思っているの」

マスターは私があれこれ話すたびに「なるほどね～！」「へぇぇ！」とか「いいねぇ！」とか。あるいは傍らで微笑んでいる奥さまをみながら「面白いね～！」なんて、本当に楽しそうに相槌をうって聞いてくださるのです。

ある日、私の注文したネルドリップのコーヒーを淹れ終わったマスターが切り出しました。「美奈子さん、今度のコンサートの予定は？」私は来年のバレンタインデーに、自主企画でリサイタルを計画していること、バレンタインということもあるし、隠しテーマは“贈り物”で、それぞれの作曲家が大切な方に送ったソナタを弾くこと、そして、私自身もお客さまに何かちいさな贈り物をしたいと考えていることなどを話しました。

「お客さまに、その日のリサイタルについて後でたくさん語り合っていただけるような会にしたいんです。記憶に残るような時間を過ごしていただきくて…。演奏にはベストをつくすけど、それだけじゃなく、例えば、ちょっと評判のいい自作のチョコレートクッキーなんかをお土産としてお渡ししたいな、とか…。あ、そうそう、そのクッキーね、コーヒーを隠し味に使うんですよ！」

「美奈子さん、それ、うちでやりますよ！…うちのエスプレッソで作ってみましょう！いいじゃないですか、美奈子さんとうちのコラボ！」マスターの鮮やかな即答に、奥さまも「さっそく試作してみますから、レシピを教えてくださいます？」

（「ソナタに恋して」にいたるまで　其の四　につづく）

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         <link>http://www.suzuki-minako.com/essay/2011/11/545.html</link>
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         <pubDate>Fri, 11 Nov 2011 09:36:36 +0900</pubDate>
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            <item>
         <title>第543回　「ソナタに恋して」にいたるまで　其のニ</title>
         <description><![CDATA[実は東日本大震災が起こる前に、次回SYMPOSION　Ⅵに関しての構想はほぼまとまっていたのです。

テーマは“郷愁のロシア”。プログラムとしては、前半がラフマニノフのコレルリの主題による変奏曲やエチュード『音の絵』、後半にチャイコフスキーの『四季』からの抜粋や、ムソルグスキーの『涙』、アレンスキーの『ロマンス』のような小品を、考えていました。

6月あたりに、シベリア鉄道でウラジオストクあたりからサンクトペテルスブルグまで旅したいな、と計画もしていました。風光明媚なものを見るより、ロシアの大地と人々のにおいを感じたいと思ったのです。（注：蛇足ですが、震災前の2月11日の当エッセー<a href="http://www.suzuki-minako.com/essay/2011/02/509_.html"><u>第509回“ロシアへ、愛をこめて</u>”</a>で、ロシアへの憧れを書いています。）

ところが、震災のあと、一向にそれらの曲が弾きたくなくなってしまったのです。いいえ、正確に言うと、弾けなくなってしまったのです。ロシアの涙のしずくのようなそれらの作品は、今弾くにはあまりにも悲しく、弾いていると音の向うに家を流された友人や、船を失った漁師さんの姿がちらちらとしてしいまうのを、どうすることもできませんでした。

それは、今思うに、単に彼らの曲のメロディーがもの悲しいから、ではなかったのです。そこに“北”の空気が色濃く感じられたから、なのです。彼らの作品のなかには、ピンと張り詰めた空気の凛とした冷たさと、そこに呼吸する人間の体と心の温かさ…それらのコントラストが曲の中に動脈と静脈のようにめぐっているのです。弾いていると被災地東北で寒さと余震に耐えながら生活している家族や友人たちへのさまざまな感情が溢れて、思わず指が止まってしまうのでした。

そんなある日、テレビで家も船も流されてしまった岩手の漁師さんのインタビューを見ました。「落ち着いたらまた、海に出たい。ずっと海で（漁をして）生きてきたから、海のことには自信があっからね。漁師にとって、これくらいの津波は想定内だ。怖くはないよ。海を愛してるんだもの。海と心中してもいいと思ってる」

そうおっしゃって、キッと唇をむすんで微笑みました。それは、迷いのない信念を感じさせながら、一方で子供のように無垢な表情でした。とても励まされ、涙があふれました。恐ろしい思いや、心が萎えそうになる挫折を何度となく経験され、乗り越えていらしたからこその言葉のように思いました。

その日、棟方志功の板画（注：彼は自らのそれを、あえて『版画』ではなく『板画』と呼びました。自分は印刷の「版」ではなく、「板」と生きているのだから、と。）を見なおしました。左目を失明している棟方さんは、わずかにみえる右目だけを頼りに、額を板に擦り付けるようにして、彫ります。「わたくしは、左目はまったくみえません。一つ目小僧ですよね。化け物のようなものなんですよ。それでも、ありがたいことにこんなに仕事させてもらってね」

彼はベートーヴェンが大好きでした。自らピアノも弾き、第九交響曲に構想を得た『歓喜柵』という作品も残しています。あるものを受け入れ、それを形にして伝える。強くあることは大切だけど、それだけではなく、力いっぱい、生きることの喜びと誇りを感じたときに、人は希望を得るのだということを、改めて感じました。

　　原点にもどろう。

　　ピアノという楽器、そして音楽が大好きな自分の魂が、今素直に喜ぶものを弾こう。

まずは、ベートーヴェンです。なんと言ってもソナタです。完成された形式が、自由な、真の開放を喚起するソナタというジャンルには、創作、解釈、表現…どの角度からも無限のベクトルが広がります。

そうなると、ソナタ形式を確立し、ベートーヴェンに最も大きな影響を与えて彼をソナタの魅力のとりこにした音楽家、ハイドンのソナタも是非弾きたい。次に、ベートーヴェンも遺書を書いていますが、ライン川に投身自殺を図ったこともあるシューマンが頭に浮かびました。彼の作品なら、愛してやまなかった唯一無二の女性、クララに捧げた作品のなかから、言葉や標題の力を借りることなく、自分の気持ちを音だけにたくして綴った第一番のソナタしか考えられない…。

ときめき、恐れ、喜び、憧れ…。リサイタルで弾くソナタのことをあれこれ考える私の気持ちを支配していたのは、そんな“恋”のような感情でした。「ソナタに恋して」というタイトルが、自然に頭に浮かんでいました。

（「ソナタに恋して」にいたるまで　其の三　に続く）]]></description>
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         <pubDate>Fri, 04 Nov 2011 11:59:58 +0900</pubDate>
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         <title>第542回　「ソナタに恋して」にいたるまで　其の一</title>
         <description>小学生から中学生にかけて、毎日欠かさず日記を書いていました。出来事を記録するというよりも、思ったことや感じたことを自分で整理するために、まさに“徒然なるままに”書きつけていった、“心の記録”のようなものでした。

当時読んで感銘を受けた『アンネの日記』の影響で、それは誰かにあてた手紙を想定して書かれました。『アンネの日記』では、彼女が日記帳に“キティー”という名前をつけ、“キティー様”という書き出しで綴られていたのです。私の“キティー様”は“フレデリック”でした。恥ずかしいのですが、それは当時私が誰よりも大好きで、尊敬し憧れていた人物…フレデリック・フランソワ・ショパンのファーストネームでした。

かくして、“フレデリックへ”で始まる日記は何年もに渡って続きました。ある時はラブレターのようなものを書いているような気分にもなり、ある時は愚痴をこぼしているようでもあり、またある時には懺悔しているような気持ちにもなり…。思春期の私にとって、フレデリックに語りかける時間は一日の最後にして、最大のトキメキと癒しの得られる貴重なひとときでした。

その中で、何度も自問自答したのが「人は（私は）なんのために生きるのだろう」ということでした。夢をかなえ、自信と誇りをもって生きていくことが許されないのだとしたら、生きる意味なんてあるのだろうか、と。これは、音楽の道を目指したくてもなかなか思うような勉強ができなかったり、周囲の理解が得られなかったりすることへの焦りと不安からでした。確かに、冷静に考えるといくら一生懸命目指してもピアニストになるという夢がかなうとは限りません。しかも、ピアニストを目指すということは、家族にさまざまな負担をかけることになるのは、間違いないことなのです。

それでも、音楽が好き、ピアノが好き、という強い思いは微動だにしません。何をどう考えても、他の人生は想像できなかったのです。

どんなに厳しい状況になってもいいから音楽の勉強をしたい。しかも、きちんとした、ホンモノの勉強がしたい、という思いが先走るばかりでした。フレデリックにそんな思いの丈をぶつけながら、気持ちが落ち着いたり、逆に火がついたり。そこには、思春期らしい、不安定でいてまっすぐな自分がいたのだと思います。

（あまり成長していないからか、今も「音楽が好きで、音楽と心中してもいいと思っている。有名なピアニストになれなくても、いい音楽家を目指し続ける自信がある」という部分は、変わりません。）

果たして、念願の桐朋学園大学に合格することもでき、さらに夢だったハンガリーの名門リスト音楽院への留学も果たすことができ、素晴らしい先生方や周囲の人たちに恵まれながら今まで音楽家として生きることができているのは、本当に奇跡的でありがたいことです。気づけば、ハンガリー留学前にデビューリサイタルを開いてから、来年で25年になろうとしています。音楽人として生きていくことに疑問を持つことなど、これからも、今まで同様自分には起こりえないだろうと信じていました。

ところが、そんな単純明快な私の気持ちがぐらりと揺らぐことが起きました。今年3月11日の東日本大震災です。

母の実家があった東京で産まれたものの、その後は小学校から中学校にかけての8年をのぞいて、ほとんど仙台で育ちました。今も実家は仙台ですし、私以外の家族は全員仙台在住です。

母校の宮城県第二女子高等学校では10年ほど、非常勤講師もさせていただきましたし、常盤木学園音楽科の講師もしていたことがあります。仙台フィルハーモニー管弦楽団との共演など、演奏の機会も数え切れないほどたくさん得ることができました。宮城県から芸術選奨新人賞も頂き、友好都市のスペインはセヴィリアでコンサートもさせていただきました。自分は、故郷宮城の人たちに、音楽家、演奏家に育てられたと思っています。

東北の各県でのピアノコンクールの審査や、それに関連するいろいろなお仕事も、たくさんさせて頂きました。課題曲のコンサートや講座、特別レッスンなどを通して、人間的な魅力溢れる主催者の方々、熱心な先生方、才能あるめんこい生徒さんにたくさん出会い、東北への愛着は深まるばかりでした。

その仙台が、宮城が、東北が大変なことになったというのに、私は何もなすすべがない。第一、復興に、心は満たされても、お腹は満たされない音楽が、どれだけ役に立つのか。もしも誰かに望まれたとしても、ピアノはそこに楽器がないと奏でることができません。

仙台と東京とで毎年行なっているリサイタル“ＳＹＭＰＯＳＩＯＮ”の会場を押さえなくてはならない時期でした。でも、この大変なときに、そんなことを進める気持ちにはとてもなれませんでした。かといって、東京だけでリサイタルを行なう気持ちもおこりません。非力な自分が不甲斐なく思われ、ただ毎日をぼんやりとやり過ごすばかりでした。

（「ソナタに恋して」にいたるまで　其の二、に続く）

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         <pubDate>Fri, 28 Oct 2011 10:03:04 +0900</pubDate>
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         <title>第541回　“お休みの日”って？</title>
         <description>みなさんは、されると困る質問ってありますか？

私はいくつかあります。例えば「一番好きな作曲家は誰ですか？」…雑誌のインタビューなどで、こういった質問に対して、よく「バッハがライフワークです」とか「ショパンを一番近く感じています」と、的確かつスマートにお答えになっている演奏家がいらっしゃって、すごいなぁと思うのですが、私だったらまず、しどろもどろです。「それは、その時によりけりで…。ピアニストになろう、と決意するにあたってはショパンとの出会いが大きかったので、そういう意味では大切な作曲家ですが、いま弾いていて最も力をもらえるのはベートーヴェンです。でも、ひとりぼっちの無人島に一つだけ楽譜を持っていくとしたらバッハでしょうし…」

私にとってその質問は「友人の中で誰が一番好きですか？」と問われるに等しい違和感があるのです。音楽家に限らず、人間に好き嫌いの順位なんて、とてもつけられません。それぞれの良さによって、いつも励まされ癒されているのですから。

それから、「お休みの日はどんな風に過ごすのですか？」も、しどろもどろを呼ぶ質問です。空気を読んで（？）、素直に「ショッピングに行きます」とか、「趣味の食べ歩きを楽しみます」と言えればいいのですが、そうはわかっていても「え～っと、お休みってそもそもどういう時をおたずねになっていっらっしゃるのでしょう？」と、逆に確認したくなってしまいます。

言うまでもなく、仕事がないときがお休み、です。では、仕事とは？…コンサートや生徒さんのレッスン、コンクールの審査や伴奏のお仕事、というのはわかります。それら、社会的な何かや誰かと接することが、一般的には仕事と思われるのでしょう。でも、小説家にとっては、雑誌のインタビューに答えること以上に、家に篭って（？）の執筆が仕事。同じように、音楽家としての私にとって、練習も仕事。芸術に関する様々な勉強も仕事、ということになります。

もっというと、練習だけが仕事、というわけでもありません。例えば、「音楽を聴く」も、私にとっては余暇ではなく仕事です。好きなことを職業にしている、ということは、逆に言えば仕事と非仕事のわけ目がとても曖昧である、ということにもなります。

そのうえでのお休みの日、というのは「人と接する仕事もなく、ピアノの練習もなく、音楽の勉強の含まれない日」ということになります。もしそういう意味であれば、「旅にでます」とか「一日中掃除や料理に明け暮れます」と答えることになるのですが、それでも音楽のことを考えない日はありません。そもそも、いつでもどこでも、音楽を感じていたい、という種族が音楽家なのです。

自分にとってのお休みの日、ってなんだろう？直接収入につながらない、非生産的な日ってこと？やりたいこと、好きなことに明け暮れる日ってこと？…「ああ、面倒くさい。そんなこと、どうだっていいじゃない？」はい、確かに！…この、ヘンに真面目で理屈っぽい性格に、自分でもたまに疲れを感じるのですが、この際きちんと考えてみることにしました。

そして結論。私の状態は「いつも“お休みの日”であり、同時に、“お休みの日”はないともいえる」。あら？これではなにやら訳がわからないですね。

自営業の人間にとっては、休んで体をいたわるのも仕事ですし、私のような音楽家は好きなことを仕事にしているのだから、レッスン日だってお休みの日、ともなりうる…。やはり、限りなくその際（ｷﾜ）が曖昧なのです。

お休みもお仕事も、その人、その時のとらえ方だと思います。定年退職後だって、「職」は失うかもしれないけど「伴侶と楽しい時間をわかち合う」とか「趣味に没頭する」という、別の「仕事」ができたとも考えられます。仕事をしていたって、それを楽しめたら休日的な心の充電ができるかもしれません。病気で入院している方は、病気を克服するのが仕事。収入につながるつながらないは、別の問題です。（最後まで“売れない”画家だったゴッホのことを、「彼は仕事をしていなかった」という人は誰もいないでしょう！）

「お休みの日はどんな風に過ごすのですか？」の質問には、こう答えようと思います。「その時その時に、楽しいと感じることをして過ごします。それは仕事の日も同じなんですけど」…ん～、ちょっと格好よすぎかな？

逆に、してほしい質問を一つ。「恋人はいるのですか？」これには自信を持って簡潔に答えられます。「いませ～ん！」</description>
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         <pubDate>Fri, 21 Oct 2011 11:08:28 +0900</pubDate>
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