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      <title>ピアニストのひとり言</title>
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      <description>ピアニスト鈴木美奈子の週刊エッセイ”ピアニストのひとり言”をお楽しみください。</description>
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         <title>第485回　結局、人間力</title>
         <description>夏のコンクール審査が一段落しました。ここ10日間ほど、東北地方と千葉の自宅を、せわしなく行ったり来たりすることが続きました。

連日100人を越える参加者の皆さんの、演奏の審査。演奏中は点数を出すだけでなく、一人ひとりの方に講評も書きます。それ以外の“休憩”時間にも、評議をしたり、賞状のサイン書きをしたり、審査結果発表の際に会場の皆さんに全体の総評をお話したり…と、目が回るようなスケジュールでした。東北地方とは思えないような猛暑とも相まって、すっかり身も心もへこたれることを予想していたのですが、終わってみると、案外――どころか、“かえって”――元気です。

途中、温泉つきのホテルに宿泊させてもらって、源泉かけ流しの湯に癒してもらえたことも、最後までバテずに持ちこたえられた一因だと思いますし、もちろん、いつものことながら、食いしん坊根性で各地で美味しいものをたくさん頂いたことも、パワーの源になりました。でも、何といっても大きかったのは、懸命な子供たちの演奏だったように思います。

すっかりコンクールに慣れているとみえて、ドレスの“あしらい”からステージマナー、最後の音の後の腕の“振りかた”まで、プロ顔負けの、完成度の高いステージをこなした子もいれば、緊張の面持ちででてきて、やっとの思いで最後まで“完奏”して、やっとホッとした様子で引っ込む子も…。

どんなに練習しても、ステージのライトのもとで緊張しないことなど、まずありません。いいえ、そこで緊張しないような感性だとしたら、それは逆に大問題です。ましてや、日頃熱心にこの日に向けてお稽古を積んできたのであれば、成果を出したい、と願って力が入ってしまうのは、ごく自然なことです。

次々に彼らの演奏が繰り広げられるのを審査していると、一人ひとりのステージから彼らの今日に至るまでの日々が垣間見えて、まるでノンフィクションのドラマのような、あるいはとても貴重なドキュメンタリーを目の当たりにしているような気持ちになりました。

業務上（？）、点数はつけます。でも、何度も声を大にして言いたくなりました。「あなたの良さは、点数ではとても測れない種類の、とても特別なものです。どうか、その気持ちを大切に、自分のちからや可能性を信じて、伸び伸びと生きて言ってください。確かに結果は大切なもののひとつだけど、芸術にとってはそれがすべてではありません。それどころか、結果や数値に表せないところにこそ、高い存在意味があったりするのですよ。音楽があなたに、これからも、生きるちからと幸福をもたらしますように…」

本選に進めるのは、参加者全体の一割程度の子どもたちだけです。さらに、本選に進んで、仮に最優秀賞をもらったとしても、その中から本当のプロのピアニストになれるのは、さらに一握りの人だけです。国際コンクールと名のつくものだけで、世界に300以上。国内のコンクールなら、もう数え切れないほどの数があるのですから、一位になる人が年間に何百人もいるということになるのです。オーケストラの入団オーディションで、伴奏のお仕事をすると、志願者が名だたる国際コンクールの覇者ぞろいだったりすることは、珍しくありません。

“コンクール”が何かの優越を競う会である以上、勝ち負けが発生するのは仕方のないことですが、本来音楽には、勝ちも負けもありません。良いか悪いか、すらも微妙です（だって、良い、はともかく、“悪い”音楽、なんて、思いつきませんよね？）。上手い下手、はあるかもしれませんが、それだって音楽のもっている様々な要素の一部分でしかありません。チェロの名手カザルスは、“上手い”と感じさせないようなものこそが本物なのだ、と語っていました。

音楽に大切なのは、単純に、それが“好きか、興味をもてないか”ではないでしょうか（興味がない、というのは、嫌い、というよりもさらに純粋な感覚だと思うのです）。弾き手の真面目さ、ひたむきさ、誠実さが伝わってくるような演奏が、私は大好きです。そういう意味では、コンクールでは私の“好き”な演奏と、たくさん出会うことができました。彼らに、たくさんのパワーをもらって帰ってきたような気がしています。

ピアノを弾いていると、作曲家の類稀なる才能に触れ、それを感じることに勝る喜びはない…と、しみじみ感じるのですが、音楽を聴くとき、弾き手の人間としての魅力や個性に触れることに勝る喜びは、ありません。

コンクールで弾いてくれた子供たちにとって、これからも末永く、音楽が心の拠りどころになりますように…。“no music,no life！（音楽がなくちゃ、生きていけない!）”というキャッチコピーを見たことがありいますが、私に言わせると“more music, more life！（もっと音楽、で、もっといい人生を!）”。</description>
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         <pubDate>Thu, 29 Jul 2010 12:28:56 +0900</pubDate>
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         <title>第484回　愛のカンパネラ</title>
         <description>職業柄（！）、家にはたくさんのピアノ譜があって、それぞれの楽譜には思い出があります。

例えば、中学一年生の頃、お小遣いをためてやっとの思いで手に入れたショパンのピアノ協奏曲の楽譜。桐朋学園に入学して、初めて校内の地下購買部で買いもとめた楽譜。ハンガリーに留学中、あちこち探してもどうしても見つからなくて、そのことを月に一度寄稿していた音楽雑誌のエッセイに書いたところ、日本から友人が送ってくれたシューマンの『クライスレリアーナ』の楽譜やら、ブダペスト市内のとある楽譜屋さんで買った、古本ではないはずなのに完全に“古本”状態だった、よれよれのロシア製のラフマニノフの『コレルリの主題による変奏曲』の楽譜などなど…。

そして今、手元に、見るたび、触れるたびに懐かしさと愛しさがこみ上げてくる二つのピアノピース（＊一曲ごとに別売り状態になっている楽譜）があります。私が中学生の頃、妹がプレゼントしてくれたもので、ひとつはリストの『愛の夢』、もうひとつは同じくリストの有名な練習曲『ラ・カンパネラ』です。

値段を見ると、それぞれ150円づつですから、二冊で300円。その時、二つ下の妹はまだ小学生、あるいは中学一年生だったことになりますから、いくらもお小遣いをもらっていなかったはずです。そこをなんとかやりくりして、私のリクエスト（ちゃっかりおねだり！）に答えて二冊、プレゼントしてくれたのでした。

実は、『愛の夢』も、『ラ・カンパネラ』も、その当時ピアノの先生に頂いた曲ではなかったのですが、自分がお稽古している曲とは別に、どうしても楽譜が見てみたくて…そして、是非とも音をひろってみたくて、仕方なかったのです。

小学校のころからあれこれとピアノの楽譜を見るのが大好きだったのですが、当時はもちろん、まだインターネットで閲覧したり、ダウンロードすることもできなかったし、近くに楽譜を貸し出してくれるような図書館もありませんでしたから、ショパンやリストの楽譜を勉強したくても、なかなかままならない状況でした。

「もし、私のお小遣いが月に一万円だったら、もっともっといろんな曲の楽譜が手に入るのになぁ。ん？待てよ、月に一枚レコードを買って、その残りを楽譜にまわす…っていうのも、いいなぁ」なんて、本気で（？）夢みていたほどです。

さて、妹から憧れの曲の楽譜をプレゼントしてもらったものの、果たしてすぐにそれを弾くチャンスがあったわけでも、すぐに弾けるようになったわけでもなく、長い月日が流れていきました。そのずいぶん後になって、『愛の夢』を弾く機会は巡ってきたものの、『ラ・カンパネラ』については、なぜかその機会を得ることなく、年月が過ぎてしまいました。

いろいろと思うところがあって、ここ数年ハンガリーの作品から離れていたのですが、今年の秋、久しぶりにリサイタルでリストとバルトークを取り上げることにしました。妹からもらった『ラ・カンパネラ』のピアノピースの楽譜を見て、ふと、「これを弾いてみようかな」と思ったことも、切っ掛けのひとつになりました。

かつて妹は、私と同じくらい熱心にピアノを習っていましたし、とても上手に弾いていましたが、彼女は私と違って他にも得意なことがたくさんあったので、音楽ではない分野に進むことになりました。今では、二児の男の子を持つ、立派な“働くお母さん”ですが、毎年、私の誕生日が近づいてくると、あの頃と同じように「お姉ちゃん、お誕生日のプレゼント、何がいい？」と尋ねてくれます。

その、リストとバルトークを弾くリサイタルの翌日（＊仙台公演の方）が、私の誕生日。もし、また妹からプレゼントを尋ねられたら、「何か、緊張しないでのびのび弾けるおまじない」を、リクエストしてみようかな？

(＊都合により、7月最終週の更新はお休みいたします。次回の更新は7月30日の予定です。)
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         <pubDate>Fri, 16 Jul 2010 17:04:11 +0900</pubDate>
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         <title>第483回　シュワシュワが好き</title>
         <description>夏のピアノコンクール審査のシーズンが近づいてきました。主催者から移動の際のチケットや行動予定表などが届き、いよいよまた、あの怒涛の“採点と講評”の日々が始まるのだ、と、秘かに身構えています。多いときで一日に100数十人の演奏を聴き、点数をつけて一人ひとりに講評を書くだけでなく、毎日賞状のサイン書きまでこなさなければならないこの時期は、一年で最も手で文字を書く数日間でもあるのです。

と、いうことは、子どもたちの夏休みも近いということ。道理で、梅雨も明けていないのに毎日暑いわけです。

私にとって初めての海外だったハンガリーに降り立ったのも、9月初旬とはいえ、真夏のように暑い日でした。言葉や生活環境はもちろん、口に入る牛乳の味もパンの味も、マヨネーズの味も日本のそれとは違うのことに初めこそ少々ためらったものの、驚くほどすんなり現地での生活に順応できたのは、ハンガリーの人々の温かさあってこそだったと思います。

味が違う、といえば、大手ファストフード店のハンバーガーや、コーラの味なども、外国では日本とは違うことをご存知ですか？特に、コーラ（当時、ハンガリーではペプシの方が主流でした）は、日本よりも炭酸が細かくて、気のせいか甘さも控えめだったように記憶しています。

さて、いくら順応して慣れたとはいえ、そこは外国。嫁入り前の娘が外で酔っ払ってしまっては大変…とばかりに、留学時代は外食する時もほとんどアルコールを口にすることはありませんでしたので、食事のお供はもっぱらソフトドリンクでした。日本と違う口あたり（？）のコーラにもやがて飽きてしまった私のオーダーは、ほとんどの場合、少し苦甘い「トニック」という炭酸飲料か、味のないただの「炭酸水」のどちらかでした。

ヨーロッパ滞在を経験された方は、皆さんご存知のこととは思いますが、あちらでは「水」は多くの場合（ウィーンのカフェなど、例外はありますが）、オーダーしないとでてきません。しかも、「（ミネラル）水」とオーダーすると、通常は炭酸入りのものが運ばれてきます。

ミネラルは豊富でも硬水でやや飲みにくい、炭酸の入っていないミネラルウォーターよりも、炭酸が入っているもののほうが、飲みにくさが緩和され、気のせいか腸にもよい刺激があるような気がして（便秘症なのです）、だんだんミネラルウォーターというと炭酸入りのものしかオーダーしなくなっていきました。

しかも、当時共産圏だったハンガリーでは、ボーイさんがうやうやしく、あまり冷えていなくて常温に近い状態のものを持ってくることも、珍しくありませんでした。

でも、例によってしばらくするとすっかりそれにも慣れてしまい、たまにドイツやオーストリアのシャキーンと冷えた飲み物を口にすると、「うわっ、冷たすぎる～！」なんて、顔をしかめてしまうのですから、面白いものです。日本に帰って久しぶりにコーラを飲んだときも、その、パチパチと顔に当たって目にはいりそうなほど元気のいい炭酸の強さに、改めて面食らいました（日本のソフトドリンクの炭酸は“パチパチ”、ハンガリーのは“シュワシュワ”というイメージなのです。なんとなく、なのですが）。

もともと日本では、食事中のお供に炭酸飲料を注文する習慣はありませんでしたし、第一、だまっていても美味しい軟水がサービスされるのですから、飲み物といえば食後のコーヒーくらいでことたりました。でも、今は洋食系の食事の時など、特にこの季節にはちょっと炭酸水が飲みたくなる時があります。

以前はフランスの「ぺリエ」」とかイタリアの「サン・ペレグリーノ」など、限られた銘柄のものしか手に入らなかったのですが、この頃はスーパーでも自社ブランドの炭酸水を販売するようになってきて、助かっています。

ところが、先日近所で買った炭酸水を飲んでみたら不自然な味がして、明らかに違和感がありました。よくよく原材料の記載を見てみると、通常は水、二酸化炭素、だけのはすが、その他に重炭酸ナトリウム、クエン酸ナトリウムなる食品添加物が入っていました。ちなみに、原産国名はアメリカ、とありました。

重炭酸ナトリウムもクエン酸ナトリウムも、必ずしも体に悪いわけではないかもしれないけど、摂取の仕方には注意が必要だと聞いたことがあります。

水、とか、炭酸水、というからには、そういう添加物が入っていない、ナチュラルなものであって欲しかったなぁ…。それに、単に“アメリカ”、という国はないし、アメリカ大陸には、カナダもキューバも、ブラジルもメキシコも含まれるけど、これは“アメリカ合衆国”のことよね？アメリカ合衆国をアメリカ、と表記するのと、中華人民共和国を中国、とするのとでは、ちょっと意味が違うと思うんだけどなぁ、などと、ぶつくさ理屈をこねながら、飲みにくい重炭酸入りの炭酸水を、途中で断念したのでした。

ところで、最近では『炭酸水ダイエット』なるものもあるのだとか。メタボが気になる方は“お風呂上りのビール”を、たまには“お風呂上りのスパークリングウォーター（炭酸水）”に変えてみるといいのかも…（？）。</description>
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         <pubDate>Fri, 09 Jul 2010 10:17:08 +0900</pubDate>
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         <title>第482回　オープンハートのリング</title>
         <description>いよいよ7月。衣替えには時期はずれですが、この季節になるとクローゼットを整理したくなります。湿気が高い日が続くし、タンスの中の虫対策が気になるからでしょうか。

虫、といえば、桐朋学園大学に入学し、寮に入って初めての夏のある一日を思い出します。桐朋学園の寮は調布市にあります（今、ちょうどNHKの朝の連続ドラマの舞台になっているところです）。周辺は緑が豊かなのんびりとしたところで、駅からの道すがら、夏はうるさいほどのセミの声を聞きながら歩くことになります。商店街を抜け布田天神という天神様を通り過ぎると、セミの代わりに今度はピアノやヴァイオリン音がコラージュのように周囲の空気を埋めつくすようになり、やがて寮の門にたどり着くのでした。

当時、その“調布寮”入寮一年目は四人の相部屋でした。お友達はみんな個性溢れる、素晴らしく楽しい、気の置けない人達ばかりで、毎晩ガールズトークに花を咲かせたものです。私も初めて二段ベッドの、しかも上段に就寝する日々を経験しながら、新鮮な驚きで毎日が輝いていたっけ…。

相部屋の他に、楽器を練習したり落着いて勉強するための個室も、ひとりひとりにきちんと与えられていました。さて、ある晩のこと。夕食をすませ、さて、もうひと練習しようかな、と思っていたところに、相部屋仲間のEちゃんの声が響き渡りました。「きゃあああ～っ！虫、虫！」

同学年の友人たちのなかでもひときわ大人っぽく、おっとりと落着いていて、大きな声なんて出すような子ではなかったので、いったい何事？と、ドアが開け放たれたEちゃんの個室に駆け寄ってみると…。「ほら、虫が、虫が！」と、興奮状態です。そして、彼女が指差す先には、世にも有名なゴキブリの姿がありました。

「虫…って、Eちゃん、これゴキブリじゃない」「え～っ！これが、これがゴキブリなの～!?」「もしかして、見たの、初めて？…すぐに逃げちゃうかもしれないけど、今用務員さんに殺虫剤借りてくるから、とりあえず待ってて」でも、結局、この日は“彼”を取り逃がしてしまったように記憶しています。

そう。産まれも育ちも北海道の彼女にとって、ゴキブリとのご対面はこの時が初めてだったのです。私は、「これ」が「それ」であること、本州では決して珍しくないこと、また遭遇する可能性も大いに考えられるから、心配なら殺虫剤を常備しておくといいことや、“彼ら”の中には飛行する輩もいるので、心の準備をしておくこと、などなどをレクチャーしたのでした。と、同時に、このときを境に、梅雨がなくゴキブリもいない北海道という土地に、がぜん憧れを抱くようになったのでした。

私には、そんな他愛もない、日常の小さな出来事をいかにも楽しそうに聞いてくれる存在が、二人ありました。一人は仙台の実家の母、そしてもう一人は目黒の祖母でした。

自らも音楽が大好きで、少女時代にはヴァイオリンも習っていた目黒の祖母には、桐朋学園に入学する前から、月に一度の東京でのレッスンに付き添ってもらったり、入学に際しても何かにつけてお世話になっていました。

仙台から送られてきた、母のハンドメイドの洋服を着て、小さな子供にピアノを教えるアルバイトをしながら学生生活を堅実に（？）過ごしていた私も二十歳になり、祖母が「これで何か、記念になるような綺麗なものを買いなさい。お勉強に使うのではなく、何かオシャレに使うのよ」と、お祝いをくれました。散々迷った挙句、指を守ってくれますように…という“お守り”の願いをこめて、指輪をつくることにしました。

訪れたのは、銀座の某有名ジュエリー店。でも、初めてのことに、どんなものを選んだらよいものか、判断が出来ません。店員さんが「どのようなものがお好みでいらっしゃいますか？」と聞いてくださったので、「30代、40代になってもできるような、飽きの来ないものがいいです…」などと言ったような気がします。

「では、こちらはいかがですか？」と、取り出してくださったのは、ゴールドのリングにホワイトゴールドのオープンハートのモチーフが入ったもの。そのハートのモチーフには、一粒のダイヤモンドが埋めこまれています。ひと目で気に入ったものの、「ハート、可愛いですね。でも歳をとってもおかしくないでしょうか」と、自信なげに聞くと、「大丈夫！お客様が40歳になられても、50歳になられても、きっとお似合いになりますよ」と、太鼓判を押してくださいました。

その時の店員さんがおっしゃったとおり、そのオープンハートのリングは、あれから四半世紀たった今も、たびたび活躍しています。指につけるたび、祖母の顔と、店員さんの言葉を思い出しています。</description>
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         <pubDate>Fri, 02 Jul 2010 13:23:45 +0900</pubDate>
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         <title>第481回　“世界で一番孤独な場所”</title>
         <description>先日、会津若松の某所で、公開レッスンのお仕事をしました。公開レッスンを受ける側からする側の立場になって、何年が経つでしょう・・・。もう10年以上にわたって、随分といろいろなところからお声をかけていただいて、これまでレッスンをした生徒さんの延べ数は、自分の生徒さんも含め、もはや100人や200人ではなくなっています。

作曲家フランツ・リストは、自らの作曲活動、演奏活動のかたわら若い人の指導にも大変に意欲的だったそうで、ヨーロッパ中にお弟子さんがいたそうです。指揮者、ピアニストとして名高かったドイツのハンス・フォン・ビューローもそのひとり。教え子の数は、200人を超えていたそうです。

そのことを学生時代に何かの本から知った時、「すごい！200人なんて、とてもとても想像がつかないな～」と思ったものですが、ふと自分がその数をクリアしていることに気付いて、感慨無量です。

きちんと数えたことはありませんが、これまでに出演したコンサートの数も、確実に400回は超えていると思います。数字は、おそらくこの先も増えることと思いますが、果たしてそれに見合った成長をしているのかどうか、疑問です。

ところで、ステージの経験を積むということは、それだけ失敗や怖い思いもたくさん経験する、ということにもなります。熟練した演奏家でも、最後まで緊張感を抱き続ける方というのは、豊かな経験によるプラス要素もマイナス要素も受けとめているからなのではないでしょうか。

4歳で神童といわれ、99歳まで演奏活動を続けていた天才ピアニスト、ホルショフスキーは、その晩年も本番前、舞台袖で奥様に手を握ってもらいながら小鳥のように震えていましたし、あの、泣く子も黙る名ピアニスト、ホロヴィッツでさえ、心を許していたお抱えの調律師に、「（ステージを指差して）あそこは、僕にとって世界で一番孤独な場所なんだよ」と語ったといいます。ステージの恐さをクリアするには、さらなる精進、修行を積み重ねていく他、ありません。

ふと、初めて公開レッスンを受けたときのことを思い出してみました。確か、高校二年の時でした。ロマン・オルトナー氏という、声楽の伴奏を中心にご活躍されていらっしゃる、ウィーン音楽大学の教授をしていらっしゃる先生が、とある音楽大学の講堂でなさったマスタークラスで、私以外の受講生はみんな大学生でした。

ベートーヴェンの初期のソナタ（第二番）を聴いていただいたのですが、通訳の方を介して先生がなんとおっしゃっているのかを伺うことに、終始ドキドキしていました。

先生の奏でる音色は、先生の物腰、お話になる時のトーンのように柔らかく、先生の手にかかると、ベートーヴェンは“いかつさ”から離れて、穏やかな笑みをたたえ、優しい目をしたジェントルマンな雰囲気に聞こえきたのが、印象的でした。レッスンの終わりに、「とてもよく弾けましたよ。おめでとう！」と握手をして下さったのが、とても嬉しかったのを覚えています。

同じ頃、ブルーノ・レオナルド・ゲルバー氏が仙台でリサイタルをした折、お小遣いをはたいて聴きに行き、ベートーヴェンの“告別”ソナタの演奏に感激して、楽屋を訪れたことがありました。そして、図々しくも「どうしたらそんなふうに、上手にベートーヴェンが弾けるようになるのですか？」と、尋ねてみたところ、彼は真剣な表情で「上手に弾こう、なんて、考えないことです」と答えたっけ。当時は、その意味がよく理解できなかったのですが、今になってみるとなんだかわかる気がします。

オルトナー先生にしてもゲルバー氏にしても、その演奏に溢れんばかりのスピリットやテンペラメントがありつつも、気負いや力みがなく、弾き手の音を通して私の知らないベートーヴェンの一面が見えてくるような印象でした。

あれから、はや幾歳…。今も、ステージて弾くとなると、その恐怖に打ち勝たん、と、どうしても気負ってしまいますし、自覚なき力み（？）からなかなか開放されるに至りません。きちんとクリアできる日が来るまで、修行はまだまだ続きそうです。</description>
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         <pubDate>Fri, 25 Jun 2010 19:23:01 +0900</pubDate>
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         <title>第480回　“好き”に囲まれよう</title>
         <description>炊飯器、ホットプレートやスチームもでるオーブングリルレンジ、フードフロセッサーやホームベーカリー（家庭用パン焼き機）はもちろん、お鍋に直接入れてスイッチを入れればそのままポタージュスープができる攪拌機（？）、アイスクリームメーカーやハンドミキサーなどなど、気がつけばキッチン周りだけでもおびただしい種類の家庭用電化製品に囲まれています。

でも、キッチン以外の家電となると、ぐっと装備が貧弱です。テレビはブラン菅のままだし、掃除機は15年以上前のもの。洗濯機も冷蔵庫も10年以上経っているものばかりですし、このパソコンも、もう10年目に突入しています。

音楽家は、さぞやオーディオや周辺機器にはこだわっているのだろうと思われがちですが、私の場合はさにあらず。今でも、ハンガリー留学時代に愛用していたチェコ製の「ポータブルレコード－プレーヤー」の音が恋しくなってしまうようなレベルです。

基本的に、家電にはハイ・テクノロジーを求めないタイプです。求めるとしたら、ハイ・テクノロジーよりもハイ・クオリティー。

“クオリティー”に求めるものはまず、耐久性…その機械の生命力、体力です。すぐに不具合をおこすような虚弱体質な子は、困ります。新製品がでるとつい欲しくなるような性格ではなく、一度買ったらできるだけ長く永く、とことん使いたおしたいのです。貧乏性だから、というよりも、気に入って選んだものに対しては、年々愛着が増してしまう性質（たち）のようです。

でも、それだけではなく、最近特に、クオリティーにデザイン性も重視するようになってきました。ここでいうデザイン性とは、使い勝手のよさ、という実用――いわゆる、“用の美”――も、含まれます。いくら“性能”を身につけていても、デザイン的にピンとこないものには、気持ちが満たされないのです。

デザインといえば、昨日、新東京美術館で開催されている、陶芸家ルーシー・リーの器展に出かけてきました。4月下旬からの会期で、一日も早く行きたい行きたいと思っていたのですが、13日の日曜日の弘前でのリサイタルを終え、ようやく落ち着いてやっと見に行くことができたのです。

ルーシー・リーは、大好きな作家さんで、昨年六本木のミッドタウンで行なわれた作品展にも足を運びました。そこで彼女の製作風景のアーカイブ映像を見たたのですが、体でリズムを取るようにしながら轆轤をまわす姿や、少女のような笑顔を見て、ますます好きになってしまいました。

彼女が生まれたのは、1902年のウィーン。当時、その国はオーストリア・ハンガリー帝国という名の、二重国家でした。彼女に興味を持ったのは、ウィーン時代の、バウハウス（ワイマールに創立されたデザイン学校）の影響を受けている作品に、親しみを感じたことがきっかけでした。

一見して「ルーシー・リーのものだ！」とわかる特徴的なフォルムや色使いは、個性的でありながら、決して自己表現を押し付けるところがありません。彼女自身のチャーミングな笑顔のように、表情豊かな色彩、質感、形にはまったく気負ったところがなく、作品を見る人、触れる人に微笑みかけているようです。

箱にしまってお蔵に“保管”しておくのではなく、いつも見えるところにおいて、毎日“愛でて”いたい！、と思わずにはいられないような、彼女の手による器を見ていたら、「そうよね、いいものって、本来、そういうものよね」と、考えさせられてしまいした。

私事ですが、花が大好きです。花好きは母からの遺伝かもしれません。実家に帰ると、いつも玄関やら洗面所、トイレにいたるまで、ちょっとしたところに花が飾られています。

季節の花々を食卓やレッスン室…いつも自分から“見える”ところに飾っています。ほんの小さな花でいいのです。花を飾ろうとすると、まず、その花が可哀そうに見えないように、花が映えるような背景（？）に配慮することになります。つまり、ごちゃごちゃしたところに置いてて、彼女（お花）がしょんぼりと目立たなくならないよう、片付けをするわけです。その結果、お部屋はすっきり。それに、花を見ているとちょっとやそっとの心のもやもやまでもがすっきりしてきて、余計なちからが抜けるような気がするのです。花は、私の心と生活の薬…サプリメントなのです。

好きなものは、いつも、目や手の届くところに置いて、好きなときに見たり、触れたりしたい。
好きな音楽は、好きなときに聴いたり、弾いたりしたい。

好きなもの（そしてもちろん、好きな人たち！）に囲まれて生きること以上に、贅沢なことはありません。彼女の器のように、私のピアノも、生活を楽しむために誰かに少しでも役に立ててもらえたら、本望です。</description>
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         <pubDate>Sat, 19 Jun 2010 08:43:52 +0900</pubDate>
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         <title>第479回　ブリの照り焼き考</title>
         <description>うちのテレビは相変わらず液晶でもプラズマでもありませんが、契約しているケーブルテレビの方がデジタルチューナーに取り替えてくださったおかげで、テレビを買い換えることなく、めでたくデジタル放送が見られるようになりました。ケールブテレビも、従来の二桁ではなく三桁入力になって、なんだかテレビ環境が進化したような気分です。

たまたまつけてみたケーブルテレビのチャンネルで、お料理番組をやっていました。ブリの照り焼きの作り方でした。

ふむ、それなら大体わかってるなぁ、なんて思いながら眺めていると、なんと、まずはじめに先生が鍋で塩を煎り始めるではありませんか。「お～っ、ここから？」と、思わず膝をただし、最近、頓に和食を作る機会が増えてきたこともあって、きちんと気合を入れなおしました。教えてくださるのは、上方が本校の、某有名料理学校の先生です。

１．まず、塩を空鍋に入れて煎り、水分を飛ばしてさらさらにします。

２．ブリに薄く、煎った塩を振って、15分おきます。（このとき、バットにまず薄く均等に塩をしておいて、その上にブリをのせ、さらに上から塩をします。）

３．白ねぎ一本に細かい切込みを入れ、３cm長さに切ります。残り一本の白ねぎは縦に切り開いて芯を抜き、２cm長さに切り、何枚か重ねて繊維にそって千切りにし、水で洗ってぬめりと臭みを取り、針ねぎにします。

４．大根を繊維を潰すように、おろします。わさびの下処理をし（番組では本わさびを使っていました。茎の部分の切り方やいぼいぼの下処理の仕方などなど、勉強になりました!）、じっくり丸くすりおろします。大根おろしとわさびを混ぜ、好みの辛さにしてわさびおろしを作ります。

５．ブリをボウルに移し、落し蓋をします。余計なぬめりや血の塊を除くため、約80℃の湯を注いで霜降にし（皮がめくれずに、うろこが取りやすい状態にするために、80℃が望ましいのだそうです。このとき、先生はブリの上に落し蓋を置いて、その上から静かに湯を注いでいました）、火を通し過ぎないように水に落として冷まします（水を落とす時にも、始めは落し蓋をした上から、静かに水を流しいれていました）。包丁の“みね”でうろこを取って水で洗い、水気を切ります。

６．ブリの皮目に切込みを入れます（味が入りやすく、日が通りやすくするため）。表面に小麦粉をつけ、余計な粉を刷毛で落とします（以上でやっと、焼く前の下準備が整いました）。

７．フライパンにサラダ油を熱してねぎを焼きます。真ん中が柔らかくなり、焼き色が着いたらねぎを取り出してサラダ油を足し、ブリの皮目を下にして焼きます（この時、先生はまず、皮目だけをフライパンにおいて皮に焼き目をつけ、次にブリの角度のある面を、フライパンの壁に立てかけるようにして、上手く表面が鉄板に接するようにしていました）。表面がパリッとしたら裏返して、両面に焼き色をつけます（この時、適度な焼き色がついていないとあとでたれの絡みが悪くなるので、きちんと焼き色をつけておくのがポイント）。

８．ブリに火が通ったら一度取り出し、フライパンを洗います（ここでフライパンを洗うのには、この後に入れるたれの調味料が焦げないよう、いったんフライパンの温度を下げる約割りもあります）。

９．洗ったフライパンにたれの調味料を合わせて火にかけ、焦がさないように弱火にして半量くらいまで煮詰めます。

10．ブリを戻しいれ、たれをすくいながらからめます。

11．白ネギもフライパンに戻しいれ、軽くたれをからめます。

12.器にブリを盛り付け、白ネギを盛り、針ねぎとわさびおろしを添えて出来上がり。

なるほど、霜降にする前におこなう塩と魚の下準備、ねぎの切り込みの入れ方やブリの霜降のときのお湯の温度、フライパンへの置きかた、小麦粉を打ったら刷毛で余分を落として、たれを絡めやすい状態にしておくことなど、それぞれの工程は、きちんと理にかなっています。

やや甘い照り焼きのたれをまとった油ののったブリには、さっぱりとしたわさびおろしがきれいにマッチすることでしょうし、針ねぎの食感や香り、軽い辛味が、よいアクセントになるはず…。基礎になる、地味な手順をひとつひとつふみながら丁寧に作った一品は、きっと満足のいく味わいになることでしょう。西洋料理のように平面的ではなく、立体的に、かつ余白を生かして料理を盛り付ける、器の空間の取り方も、まるで日本庭園のしつらえのような美しさです。

かくして、日本料理の盛り付けや、付け合せのバランス感覚に、改めて感心したのです。見た目はもちろんのこと、食感や香り、辛味と甘み、酸味などが、まるで精緻なアンサンブルのような、絶妙なバランスを醸している、といった印象でした（食べていないけど、想像で…）。

食材を大切に扱う料理人の方の姿勢には、ちょうど私たちクラシックの音楽家が楽譜を尊重するスタンスと同じものを感じ、親しみを覚えます。一鉢、一皿、一椀に食材への敬意や愛情を注ぎ込み、見た目にも美しく、どんなシンプルな素材も、技とセンスによって豊かな一品に仕上げていく日本料理って、やっぱりすごい！

かねてから、日本料理が『世界三大料理』に入らないのが理解できなかったのですが、無理もない気がしてきました。だって、こんなに高度で独特な“侘び・寂び”の美学を、他国のたくさんの方に支持していただくのは、いかにも難かしいことだと思いませんか？バッハやゴッホの素晴らしさが、当時の人々の理解や価値観を超えていたことを考えれば、納得できます。

なんでも簡単、お手軽が重宝されるこの頃ですが、体に入れるものは、音にしても食べ物にしても、高価なものではなくても“良い”ものを選んでいきたいものです。</description>
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         <pubDate>Thu, 10 Jun 2010 23:20:59 +0900</pubDate>
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         <title>第478回　器に学ぶこと</title>
         <description>食器、花器、そして楽器…“器”が好きです。

陶磁器には、土の特性やその土地の湿度や気温、焼かれる時の温度や時間、それにもちろん作り手の技法や絵付けのセンスが反映されますが、同じ窯元で焼かれる陶器にも、ひとつとして同じものはありません。同時に釜に入ったものにも、焼き釜の中のちょっとした熱対流のちがいやら灰の飛び方（！）やらによって、出来栄えにははっきりとした個体差が現れます。

器の魅力は、そんな手作りの良さにあるのではないでしょうか。お母さんの作るお味噌汁やお漬物の味が、毎回微妙に違うのも、バッハを弾くたびに違うアプローチになるのも、手作りだから。一定しないものだからこそ、愛着や親しみがわくことって、あると思うのです。

盛り付ける器によって、料理も随分違った表情になるのは、楽しいことですし、草花も、それを生ける花器によって、涼しげに見えたり寂しげになったり、と、様々な表情の変化をみせてくれます。

花器と、生けれられる花の間には、相手の個性や潜在している魅力すらを引き出す組み合わせもあれば、それらを生かすどころか拒絶しあってしまうような取り合わせもあって、それがなんともスリリングです。例えば、末枯れの竹に、蔦やススキを合わせるのと、桃の花を生けるのとでは、ずいぶん違ったメッセージを発信することになるでしょうし、場合によってはちぐはぐな景色になってしまうことでしょう。

そして、楽器。ピアノは他のものに比べると、若干複雑なメカニズムを持ってはいますが、それでも決して“楽機”にはなりません。楽器は、才能や素質、個性の“器”なのです。バッハを弾くということは、ある意味で、ピアノとい
う楽器に、バッハの作品に弾き手の解釈や味付けを加えたものを、楽器という器に“生ける”ことだ、ともいえます。

日本には「あの人は、それほどの“器”じゃない」「彼は、かなりの大器だね」などと、人格を器にたとえる表現があるのも、興味深いことです。そういえば、他にも、器用、とか、器量、とか、人の素質や才覚を表わすのに器という字はよく使われます。

それにしても、楽器が“音器”ではなく、“楽器”なのは、面白いことです。それは、楽器が単に、音（サウンド）だけでなく、音と音の間の美しい沈黙やわくわく感、和やかな雰囲気までもを“生ける”ものだから、という意味からかもしれないな、と、勝手に思っています。

話は変わりますが、先週のエッセイに登場した3歳の女の子が、私のところで一緒にお勉強することになりました。まだ生まれて3年しか経っていない、やわらかく初々しい小さな手には、どう考えても大きすぎる楽器の鍵盤に、懸命に触れ、全身で楽しみを感じようとする姿の、なんと可愛らしいことでしょう！

楽器という“器”は、まだ手の甲にエクボがあるような幼い手も、人生の中でたくさんの仕事を丁寧に重ねてきた手も受け入れ、その手の持ち主と響き合おうとしてくれます。私もこれまで、どんなにこの“器”に救われ、励まされてきたことでしょう。

気持ちや愛情のこもった手作りのものを求め、それを尊重し、支えながらお互いを生かしあおうとする“器”。そんな人間の“器”になれる日が、いつかくるといいのですが…。

ところで、魚を入れる器は、“魚籠（びく）”といって、籠状をしています。籠は器と違って、運搬することを前提に作られているので、軽量ですき間だらけ。それが魚の運搬には最適なのですが、液体には適しません。思うに、私の器はまだ、籠レベルなのかもしれません。嗚呼、道のりは遠い…。</description>
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         <pubDate>Thu, 03 Jun 2010 23:17:38 +0900</pubDate>
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         <title>第477回　「もっと早く出会いたかった」と言われる幸せ</title>
         <description>5月も末。今年も、ピアノの新しい生徒さんや、音楽塾に新たにご参加くださった方々との出会いに感謝しながら、新しい学期が木々の緑の深まりとともに過ぎていきます。

クラスがえで新しく知り合ったクラスメートに新しい担任の先生、まだパリッとしているノートや新しい教科書のにおい…新学期には何もかもが新鮮で、自分がリセットされるような、心地よい緊張を毎年のように感じたものでした。

学校では、大人になってからもお付き合いさせていただいているような、素晴らしい恩師との出会いに恵まれましたが、ピアノの先生となると、実は一筋縄ではいかなかった部分がありました。父の転勤や引越しに伴って、ある先生のレッスンにようやく慣れたと思ったらまた別の先生に変わることになってしまう…といったことが多かったのです。

ピアノのレッスンは、学校教育のように、“文部科学省の指導要領にのっとって、誰が教えてもある程度内容がぶれないようになっている”という性質のものではないので、先生によっておっしゃることはさまざま。ある先生の言いつけを忠実に守って、指の形や打鍵の仕方、腕や手首の用い方に気をつけて弾けるようになっても、別の先生に変わった途端に、“初めからやりなおし！”と言われることも少なくありませんでした。

日本だけでなく、海外でも何人もの先生にお習いする経験を経て、一番強く感じたのは「教師は、自身のセオリー（理論）やメソッド（方法論）を、生徒に押し付けてはならない」ということ。そして、相手が望むことに対して、いかに適切に手を差し伸べられるか…ということの大切さです。

それを隠れテーマに“ピアノを教える”ということに関わり続けて、はや20年以上…。時間は経ていても未だにきちんとできていないことがあって、レッスンのあとで「あれは余計なひと言だったかな」とか、「“ああ”ではなく、“こう”伝えればよかったかも…」などと、反省することもしばしばあります。

こんな私を励まし、教え諭してくれる最も信頼できる存在は、何といっても生徒さんたちです。

例えば、先週、“お試しレッスン”を受けに来てくれた3歳の女の子は、始めはじっとピアノの前に座っているのももどかしげな様子でしたし、ご挨拶やお返事がスムースにできなかったり、私が“お手本”を見せてもその手をどけてしまったり…と、一生懸命ゆえの混乱が起こっている様子でしたが、やがて私の弾いた音にケタケタっと笑って反応してくれるようになって、最後には、自ら何度も「ありがとうございました！」と、私にぺこんとお辞儀をして、きちんと意志を伝えてくれました。おうちに帰った後も、「楽しかった！」「ちゃんとご挨拶したよ！」と、嬉しそうにご両親に話していたと伺って、どんなに嬉しかったことでしょう。

喜んでばかりではなく、どうしたらもっと楽しんでもらえるか、今後の課題もたっぷりです。小さい生徒さんは、あるお子さんには“受け”がよかったことを、別のお子さんに同じことをしたら、かたまってしまった、ということも少なくないのです。彼らの個性の豊かさ、反応の素直さには、恐れ入るばかりです。パーソナリティーや興味のツボを瞬時に（？）見定めて、こちらがレッスンの内容や方向性を柔軟にシフトすることが求められるので、ある意味でもっともシビアな“腕試し”になります。

生徒さんだけではありません。ご両親がとてもよく理解をしてくださって、お月謝袋に温かなメッセージを添えてくださったり、「娘が、レッスンが楽しいって、喜んでいるんですよ」と、労ってくださると、心から励まされますし、もっといいレッスンができるように頑張ろう！…という気持ちになります（なんのかんの言って、実は単純）。

大人の生徒さんから、「もっと早く、美奈子先生と出会いたかったです」「小さいときから美奈子先生に教わってこれた生徒さんは、幸せですね」、なんていうお言葉を頂いたりすると、もう感謝で涙がでそうになってしまいます。至らないところがあるのは間違いないことなのに、そんなふうに受け止めてくださるなんて、なんてありがたいことでしょう。

昨日はある生徒さんから「私はすっかり美奈子先生のファンですよ。音楽を通して感じ取れる、知的好奇心の旺盛でいらっしゃるところや鋭い洞察力、謙虚さ、それにユーモアのセンスがたっぷりなところも…」なんて、もったいないようなファンレター（？）をいただきました。

彼女は、私が「お体、ご自愛下さい」とするところを、例によってボケ～ッと「お金、ご自愛下さい」なんて書いたメールを送ってしまい、あとになってひょんな拍子にそれに気づき、真っ青になって「大変失礼致しました！」と陳謝すると、「“お金”最高でした！美奈子先生一流のギャグだと思っていましたよ。関西人なので、笑いがないと生きていけません。ナイスです！」とフォローしてくださった、素敵な方。本当に頭が下がりますし、改めて“関西人”への憧れが深まります…。そう、何を隠そう、私もその方のファンなのです。

そんな、ピアノを、そして音楽を通じての楽しい“両思い”仲間が、これからも広がっていけますように…。と、書いた瞬間、外で鳥が“ピピッ”と鳴いてくれました。ちょっと幸せな昼下がりです。

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         <pubDate>Fri, 28 May 2010 10:49:55 +0900</pubDate>
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         <title>第476回　雨の音楽</title>
         <description>5月半ばを過ぎました。梅雨入り前の、とても気持ちのよい季節です。ベランダでは8年目のミニバラが満開、セージも美しい青紫の花をつけています。

でも、雨降りも嫌いではありません。雨が降ると楽器のコンディションは悪くなるものの、この時期の“おしめり”は、田畑の野菜やお米の生育にとってはとても大切なもの。雨上がりの匂いや、雨で埃がきれいに流された木々の葉の生き生きとした緑色に、気持ちが癒されるのを感じます。

とはいえ、湿気は楽器だけでなく、こと私のクセ毛には大敵な存在です。どこまでも広がって、湿気に反してなぜかぱさついてしまい、まとまらなくなるのです。同じようなクセ毛の悩みを持つ美容師さんが私の髪をセットしながら、「ほんっと、困りますよね～。もう、“あたし、ハゲないかな～”って、思わず髪の毛、抜いちゃったことありますもん」と、ぼやいていたことがあるのですが、内心「むむ？それ、髪を扱うプロとしての美容師さんの発言として、ちょっと差し障りがあったりはしないか？」と思ったものでした。

それはさておき、やっぱり雨の情景は絵になる…そして、歌にもなる！特に歌謡曲や演歌にはうってつけです。「そういえば、桜を題材にした歌はたくさんあるけど、梅の歌ってほとんど聞かないよね」今年の春、一緒に梅を見ながら、ふと友人がつぶやいたのを思い出しました。そういえば、そうです。短歌、和歌はたくさんあるけど音楽の方の歌はあまり聞いたことがありません。あんなに種類も表情も豊かで、いかにも歌詞に使われそうなのに、どうしてなんでしょう？あるいは、あまりにもゆかしく、繊細な風情がゆえに、メロディーに乗せて朗々と（？）歌われるのが、はばかられるところがあるのでしょうか。

題材にしやすい素材としづらい素材、って、あるのかもしれません。例えば、クラシック音楽には“水”をテーマにした作品はたくさんありますが、“雨”となるとけっこう絞られてきます。沖縄、奄美はすでに梅雨入りしているこの時期…せっかくですから、雨にまつわる作品の中で歌曲以外の、しかもピアノの絡んだものを、思いつくままいくつかご紹介してみましょう。

一番有名なものはショパンの『24の前奏曲』の第15番“雨だれ”ですが、こちらは残念ながら、ショパン本人が命名したタイトルではありません。曲中に、雨のしたたるような音が、絶え間なく聞こえてくることから、いつのまにかそのタイトルで親しまれるようになりましたが、楽譜にはどこを探してもその言葉の記載はありません（これは“小犬のワルツ”も同じです）。それから、ドビュッシーの『版画』というピアノ曲集の中の、“雨の庭”という作品。こちらは、降りしきる雨の向こう側に、幼い頃に聞いた歌のメロディーが立ちのぼり、ふと当時に時間飛行してしまうようなファンタジックな世界が、見事に写実的に描かれています。初めて聞いたときは、自分が雨のシャワーの中にいるような、そして、音を聞いているのか映像を見ているのかがわからなくなるような、不思議な感覚に陥りました。

変わったところでは、ハンガリーのコダーイによる、ピアノ小品集の中の“巷に雨の降るごとく”。これは勿論、“巷に雨の降るごとく/わが心にも涙ふる…”の出だしで有名な、フランスの詩人ヴェルレーヌの同タイトルの詩にインスピレーションを得て、書かれたものです（ちなみに、ヴェルレーヌと交友のあったドビュッシーにも、同じタイトルの歌曲作品があります）。1～2分で終わってしまう短い曲ですが、裏拍に鳴る簡素な和音の伴奏にのって、とぎれとぎれに、散文的に聞こえてくるメロディーはなんとも印象的で、一度聴いたら忘れられないような作品です。

それから、ブラームスのヴァイオリンソナタ第一番“雨の歌”。こちらはとにかく大好きな作品で、青春時代はもう、毎日のように何度となく聴いたものでした。これまでに何度か、実際に演奏する機会にも恵まれ、オリジナルのヴァイオリンとだけでなく、チェロとの編曲版も、コンサートで取り上げたこともあります。第3楽章に同名の自作の歌曲と同じメロディーがでてくることから、このような“愛称”がついたと言われているのですが、この“雨の歌”という歌曲は、ブラームスが秘かに思いを寄せていたシューマンの妻クララが、特にお気に入りの作品だったそうです。

そういわれてみると、この曲では、ヴァイオリンとピアノの二者が、あるときはそっと寄り添って静かに対話するように、またあるときは、激しい思いを抱きつつもそれを最終的には自分の中にしまい込んでしまうかのようにも、感じられる気がします。作曲の経緯の真相はわかりませんが、もしかしたら、ブラームスは巷で言われてるように、本当にこの曲にクララへの思いを託したのかもしれないな、なんて考えながら聴いてみると、作品の味わいも違ったものになるかもしれません。

他に、邦人作品もいくつかあるものの、歌曲からの引用でも第三者による単なる“愛称”でもなく、純粋に雨を題材にした作品は、やはり少ないような気がします。

九州・四国も関東地方もまだ梅雨入り前ですが、雨の日には部屋の中で、好きなお茶でもいただきながら、こんな作品に耳を傾けてみるのはいかがでしょう？曲の合い間に聞こえてくる雨音までも、音楽のように響いてくるかもしれませんよ。
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         <pubDate>Fri, 21 May 2010 11:23:40 +0900</pubDate>
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         <title>第475回　不滅の“３B”</title>
         <description>本屋さんでなんとなく語学のコーナーをうろついていたら、『旅の指さし会話帳（情報センター出版局）』という本を見つけました。旅の各シュチュエーションごとに可愛らしいイラストでよく使われそうな単語や会話が記載されていて、眺めているだけでも楽しくなってくる構成がウリのシリーズです。

友人にフィンランド編を見せてもらったこともあって、以前からその存在は知っていました。英語やドイツ語といった一般的なもののほか、中国語は北京、香港、台湾、雲南、西安…と、細分化されているし、同じスペイン語でもスペイン、ペルー、キューバ、メキシコ…と、様々な国が別個に設定されていますし、スリランカ、アフガニスタン、モルディブ、パキスタンなど、他ではなかなかお目にかかれないような国の言葉もカバーされていて、なかなかユニーク。でも、このシリーズに実は国内編があったことは、昨日まで知りませんでした。沖縄編です。

沖縄では、ちょっとした言い回しやイントネーションだけでなく、それこそ東西南北も独自の言葉を持っている、とは、聞いたことがあります。東は、太陽が昇ることから「あがり」、太陽が“入っていく（沈む）”西は、「いり」。ふむふむ、なるほど、なんとなくわかるわかる、と思ったらところがどっこい、北は「にし」と、意表をつかれ、さらに南は「ふぇ―（あるいは、へー）」。しかも、これはあくまでも本島での言い方で、これが宮古や八重山になるとまたちがう言葉になるそうです。

お国訛りのことを“アクセント”といったりしますが、ハンガリーを代表する作曲家バルトークの楽譜を見ていると、彼がいかに、アクセントという“お国訛り”の化身を大切に扱い、後世に伝えようとしていたかをうかがい知ることができます。アクセント記号だけでも何種類もを書き分けていますし、さらにそれがつけられている音符の長さや奏法（テヌートなのか、スタカートなのか、スラー・スタカートなのか、等など…）によってもまた、ニュアンスが変わってきます。細かい記述はアクセントだけではありません。テンポ表示やその他の強弱の変化に関する記号、アーティキレーション（スラー、スタカートなど）の表記はもちろん、参考演奏に至るまで、綿密にミッションが書き込まれているのです。

見落としてはならない、細やかな指示でいっぱい（作品にもよりますが）な彼の楽譜は、必要な音符だけが書き込まれたバッハのそれとは、一見すると対照的な印象です。バッハの楽譜が、弾き手がそこから様々な発想をおこし、“自己責任”において、きちんと解釈や構成を組み立てていくことを前提に楽譜を書かれているのに対して、バルトークの楽譜は、誠実に、かつ親切に、どう弾けばよいのかをガイドしてくれているようにも受け取れます。民族音楽のもつ微妙な“訛り”やリズムの“ゆらぎ”のようなものを、まったく違う国や文化をもつ人間に伝えようとしたら、必然的にそうなることでしょう。つまり彼は、本来なら口伝えでしか教えられないようなニュアンスを、譜面という限られたツールを駆使して、あの手この手で指し示してくれているのです。

1685年生まれのバッハと、約2世紀を経て1881年に生まれたバルトークでは、生きていた時代も音楽的な背景も異なるので、単純に比べることはできませんが、楽譜を見ていると彼らの人となりが伺えて、興味をそそられます。

そこへいくと、1770年生まれのベートーヴェンは、生まれたのもバッハとバルトークのほぼ中間ですが、彼の残した譜面も、その二人のちょうど中間のような感じです。必要にして充分なことがきちんと書き込まれ、バッハのように弾き手が自由に曲想をイメージできる部分もありますが、その一方で、彼自身の意図も明確に読み取れる…。バランス感覚に長けていて、とても知性的な印象を受けます。

ベートーヴェンは、ハンガリーに大切なパトロンがいたこともあり、ブダペストに滞在していたことがありました。彼がいたのは、私の住んでいたブダペスト12区のキラーイ・ハーゴ通りから一本違いのところで、今は“ベートーヴェン通り”という名前になっています（嗚呼、この通りに住めたら素敵だったのに！）。また、バッハは、自分の一族はハンガリーが起源で、ルター派だったためにハンガリーを追われ、ドイツに移り住んだファイト・バッハというハンガリー人だったと書き残しています。

バッハ、ベートーヴェン、ブラームスの三人を『ドイツの“３B”』呼んだりしますが、私の“３B”は、ハンガリーゆかりの（？）、バッハ、ベートーヴェン、そしてバルトーク。この三人の“ミスターB”は私にとって、心の中の“不滅の恋人”です。

昨年のバッハに続いて、今年は久しぶりにじっくりバルトークを弾いてみたい、と思っているこの頃です。</description>
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         <pubDate>Thu, 13 May 2010 20:42:12 +0900</pubDate>
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         <title>第474回　ゴールデンな一週間</title>
         <description>「いったい、どうなっているの？！あなたの希望の日にちは、どの便もすべて満席よ！」ウィーンの街中にあるルフトハンザ航空のカウンター。やや面倒くさそうな表情を浮かべながら一つ一つの便をチェックしていた窓口のフラウ（婦人）が私を見て、ため息まじりに言い放ちました。ようやく、春のぽかぽか陽気に街が包まれるようになってきた、ある日のことです。

嗚呼、それにしても、これで何社目でしょう。ルフトハンザの他、英国航空、フランス航空、アイタリア、スカンジナビア航空、日本航空…。何軒“はしご”しても、結果は同じでした。

「あの…ゴールデンウィークといって…。この時期、日本は特別な連休なんです。そうですか、いっぱいですか」「ごめんなさいね。何も力になれなくて…」「いいえ、いいんです。私も、こんなに早くから一杯になるものだなんて、考えてもみなくて…。どうもありがとうございました。」さっき面倒くさそうにみえたのは、チケットを確保して私を喜ばせたかったのに、なかなか空きが見つからない苛立ちからだったことが、このときの彼女の表情から見て取れました。肩を落として外に出る私。こんな時は、ヨーロッパの重厚な手動の（！）ドアが、いつもの二倍くらい重く感じるのでした。

ハンガリーのリスト音楽院に留学中のことです。ゴールデンウィークならなんとかお休みがとれそう、と、当時働いていた母が初めて、ハンガリーに（海外に!）来られることになったのです。ところが、母が日本で問い合わせたところ、どの航空会社の便も残席ゼロとのこと。それならばと、海外からの“家族呼び寄せ”航空券、なるものを獲得しようと、ハンガリーにある限られた航空会社を当たってみたのですが、やはり収穫なし。インターネットはまだありませんでしたし、国際電話も不便なところでしたから、いっそのことと思い、ウィーンまで出かけて（ブダペストからは、バスで片道約3時間。余裕で“日帰り”できるのです）のトライアルでした。でも、やはり日本からの便はすべて満席でした。

その当時のハンガリーはまだ社会主義でしたが、ブダペストは想像を大きく超えるほど美しく、それはそれは素晴らしいところでした。海外を知らない母に、是非とも見せてあげたい、案内したい…。そう夢みながら、せっせと町の様子やら私の生活について、レッスンで教わった内容や日常的な出来事を、こまめに手紙にしたためては、せっせと母に送っていました。

結局母をハンガリーに呼ぶことはできないまま、私はその翌年にはアメリカに渡ってしまいました。その後、母は父と二人でハンガリーを含む東欧諸国をツアー旅行しましたが、私が案内をする機会は未だにないままです。

ゴールデンウィークというと、今でもその時のことを思い出します。そしてルフトハンザのカウンターで担当してくれた婦人の、あの表情が浮かぶのです。交通機関や道路だけでなく、お店や公園、美術館…。すべてが混雑するこの時期は、ここ数年はなるべく近場でおとなしく過ごすようにしています。

それでも、今年はたくさんの楽しい出来事に恵まれました。地元八千代市ゆりのき台のつつじ祭（友人のお店が主催の寄席も見て、大満喫！）や、友人たちとの川べりでのバーベキュー（豪華炭火焼きに、満足大盛り！）、大学時代からの親友との数年ぶりの再会や新しいメンバーとのリハーサル。そして、久しぶりにルービンシュタインのショパンをたくさん聴く機会もありました。

それは、文句なく“上手”な演奏でした。何が特別、ということではないけれど、それでいて、名人だけにしかなしえない種類のものでした。毎日食べても飽きないごはんのような、お味噌汁のような、“超定番”だけが持ちうる普遍性を感じました。

「美奈さん。僕は、“究極のコロッケ”を目指したいんですよ」ふと、空間デザイナーのTさんが、コーヒーカップを片手に熱く語っていたことを思い出しました。いくら良質なものでも、お高すぎてしまっては結局根付かないし、親しまれるものでなければ意味がない。しかも、それは身近に手が届くところにあることが大切なのだ、と、彼は話してくれました。「食べたくなったらいつでも買える。いつもあって気軽に手に入るけど、その店ならではの満足が必ず得られる…。そんなものを提供していきたんです」デザインは特殊なものだ、というイメージを取り払い、もっと皆に楽しく、気軽に取り入れてもらいたい、そんな彼の熱意が、びしびしと伝わってきました。「わかる！クラシック音楽だって、同じですよね」…今でも彼は、よき“心の同志”です。

かくして、大好きな友人たちと楽しい時間を過ごしたり、ハンガリー時代に思いを馳せたり、大切なことを再認識したり…。遠くには出かけなかったけど、終わってみるとまさにゴールデン・ゴージャスな一週間でした。</description>
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         <pubDate>Fri, 30 Apr 2010 22:29:57 +0900</pubDate>
      </item>
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         <title>第473回　雄弁なる胎動</title>
         <description>「ご主人さまも、お変わりない？」久しぶりにお会いした恩師Ｈ先生に尋ねられて、ハッとしました。「はい…多分…あの…」思わずしどろもどろになる私。「実は、5～6年ほど前からシングルに戻ったんです」「えっ！？」「す、すみません、先生にご報告申し上げていませんでしたよね」「いやいや…ああ、そう。うむ…そうだったの～」

今は退職され、自らを『末期高齢者』とお呼びになって周囲を和ませるＨ先生は、動揺されながらも「そうだったの～」と、柔らかくうなづくほかに、お説教じみたことや教訓めいたことは、ひとつもおっしゃいませんでした。

こんな時、私なら「まぁ、人生、いろいろあるものだよね」とか、「離婚も、昔と違って珍しくなくなってきたし。ある意味、前向きな出発なんじゃないかな」なんて、つい、利いたふうなことを言ってしまうことでしょう。そういう時に何もおっしゃらない…というのは、簡単そうでなかなかできないことです。さすがＨ先生…と、改めて感服したのでした。

何もいわなくても、相手はわかっていることを、案外わかっていなかったりするところがあって、つい、説明を重ねたり、相手に説明を求めたりしてしまいがちです。もうちょっと、相手の立場になって考える気持ちの余裕が欲しい…と、願っていはいるのですが、なかなか成長できません。

でも、言葉が通じなくても、ちゃんと伝わることって確実にあるのだ、ということを、思い知らされた出来事がありました。

妊娠7ヶ月になる生徒さんのレッスン時のことです。レッスンの最後に、次にお稽古を始めていただく曲を聴いていただきました。「この曲は、生き生きとした、チロル地方の田舎風のダンスなんですよ。ほら、ここはちょっとヨーデルみたいでしょう？それにここらへんは、向き合って踊っていた男の子と女の子が、ちょっとかしこまってお辞儀をしあってる感じがしませんか？」

いつものように、ところどころ説明しながら弾くのを、その生徒さんは始終ニコニコと、とても楽しそうな表情を浮かべて聴いていました。そして、弾き終わった後、こんなことをおっしゃったのです。「今、美奈子先生が弾いていらっしゃる間ずっと、お腹のなかで（この子）、めちゃめちゃ動いていました！」

「え、本当ですか？わ～い、やった～っ！嬉しい！!」つい、大きな声を上げて喜んでしまいました。だって、産まれる前の子がお母さんのおなかの中で、私の奏でるピアノに合わせてチロルのダンスを踊ってくれたんですよ？どう考えても、すごいことです。それに、それって①その子は音楽が好きで、お母さんのピアノをいつも楽しく聞いている②その子には、ダンス音楽を聞くと自然に体が動く、という、ご機嫌な音楽的センスを持っている③私の弾いたものが、“踊れる”演奏…つまり、けっこう“いけてる”演奏だった！…ということに他ならないではありませんか!?うほほ！

私が彼女に説明した内容なんて知らなくても、その子はちゃんと踊りの音楽と理解して、踊ってくれたのです。なんて素敵なことでしょう。本来、人間には言葉を越えて感じたり感じあえたりすることがたくさんあるはずなのに、自分はどうも、言葉に捉われすぎたり、頼りすぎているのかもしれない…。その子は私に、言葉や説明ではなく、態度で（“動き”で？）、そのことを教え諭してくれたのです。

「自分の子供に、上手に本を読んであげられるお母さんになるためにＮＨＫに入ったんですけど…」テレビ番組で、黒柳徹子さんが苦笑しながらおっしゃっていました。確かに黒柳さんはまだ、ご結婚もご出産もされていませんが、その代わりに、ユニセフなどを通じて世界中の子供たちと接するお仕事をこなしていらっしゃいます。

私も、自分の子供に、上手に…、じゃなくてもいいから、心のこもったピアノを聞かせてあげられるお母さんになれたら、どんなに幸せなことかしら、と、夢見ないこともありません。でも、こんなふうに音楽を介して人と関わりを持つことができる職業についていることは、もしかしたら、それに匹敵するくらいに幸せなことかもしれません。

「どうか、その子が無事、元気に産まれてきますように…、そして、ずっとずっと、音楽と友達でいてくれますように！」花冷えの雨のあい間の夜空に、輝く星を見つけた時、つい、声に出してそう唱えた私です。</description>
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         <pubDate>Fri, 23 Apr 2010 12:27:37 +0900</pubDate>
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         <title>第472回　“晴耕雨読”のこころで</title>
         <description>「今、そこの公園を通ってきたら鳥たちの鳴き声がすごく響き渡っていて…まるで、ヨーロッパの深い森の中に迷い込んだみたいだったんですよ！あんな響き、初めて聞きました…」ある日、レッスンにいらした私よりも年上の生徒さんが、開口一番にそうおっしゃいながら、少女のように頬を高揚させてレッスン室に入ってきました。「桜、まだきれいに咲いていますね！」「今日は外、すごく風が冷たくて…手袋してきたのに、手がこんなに冷たくなっちゃった！」

4月の中旬なのに雪が降ったりと異常な気象が続いていますが、レッスンにいらした生徒さんが口々に、生き生きと“季節のあいさつ”をしてくださるのが嬉しくて、それを聞くのが密かな楽しみになっています。

今の住居は駅の近くなのですが、駅からの1～2分歩く間に桜の美しい公園があったり、ちょろちょろと水が流れる噴水があったり、鳥の鳴き声の絶えない林があって、ハナミズキやツツジ、コブシなど季節の花々が楽しめる遊歩道に面しています。

「できれば、アクセスしやすいだけでなく、うちにいらっしゃる生徒さんやお客様が、道すがらなんとなしに自然を感じて、リラックスして好い気持ちになってくださるようなところに居を構えたい…」と、かねてから願っていたのですが、今のマンションはそんな私の希望にぴったりだったので、一目で気に入って契約しました。

難を言えば、レッスン室にしっかりと防音工事を施したところ部屋がもとの3分の2ほどの大きさになってしまい、大きなピアノを入れてかなり窮屈になってしまった、ということ。この2倍ほどの大きさがあったら言うことないのですが、まぁ贅沢をいえばきりがありません。

ですから、玄関先で生徒さんからそんなお話をしてもらえるのが、とても嬉しいのです。楽器の演奏には、気持ちのコンディションを整えることも、思いのほか重要だったりするからです。養分をたっぷり含んだ柔らかい土に作物がよく育つように、心も身体もほぐれている状態なのかそうではないのかによって、レッスンの吸収も違ってくるのです。

でも、だからといって、常によい気持ちでいなければならない、ということではありません。何もかもが上手くいかないようなやりきれない気持ちになったり、激しい自己嫌悪に陥ったりすることも、人間の特権です。涙にも、嬉しい涙、悲しい涙、悔しい涙…と、いろいろあるように、楽譜上のフォルテやピアノにも、数え切れないほどたくさんの種類があるのです。

ですから、様々な感情を抱いたり、色々な感覚を研ぎ澄ませることは、音楽の語りべにとってとても大切な勉強の一つなのだ、と自分にも言いきかせて、つらい時も楽しいときも、素直に味わうように心がけています。『晴耕雨読』じゃないけれど、その時その時の状況や感情に逆らわず、あるがままを受け入れながらも前を見据えて生きていけるちからを身につけていけたら、どんなにいいでしょう。

このところ、各地でコンクールの課題曲について、ピアノの先生方を対象にその指導法や演奏法についてのレクチャーをする機会が重なっています。先生方にお話しするにつけ、音楽を生徒さんに伝え、教えるということは、そんな“人間力”のようなものを学び取ってもらうことに他ならないのではないか、という気がしています。楽譜を誠実にとらえて音楽を感じ取り、読み解き、表現することは、自身を見据え、自分の生き方を模索し、人生を生き抜くことに他ならないのではないかと思うのです。

「美奈子先生のところにレッスンに伺わせていただくようになって、ピアノを弾くのがまた、楽しくなってきたんですよ」。まだまだ未熟な私ですが、人生経験の上では先輩の、ピアノの先生をしていらっしゃる生徒さんに、こんなふうにおっしゃっていただいたのも、大きな励みになっています。

さて、来週は岩手県の宮古市、釜石市で、それぞれコンサートとレクチャーが予定されています。移動スケジュールの関係で、今回は大好きな山田線（ＪＲ）に乗れないのが残念ですが、美しい三陸海岸との再会が今からとても楽しみです。</description>
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         <pubDate>Sat, 17 Apr 2010 08:32:39 +0900</pubDate>
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         <title>第471回　花に習う</title>
         <description>いよいよ、新学期の幕開けです。甥っ子が中学に上がったり、受験生だった生徒さんがめでたく高校生、大学生になってくれるおかげで、親でもないのにこの時期になると、なんだか気持ちが高揚します。

当時、あまり食べることに積極的ではなかった私にとって、小学校に入って一番新鮮だったのは給食ではなく、学校までの行き帰りを“歩く”ことでした。それまでのバス通学から一転して、一歩一歩を自分の足で歩いて登校することが、とても誇らしいことに思われたのです。行きは集団登校だったので、「私はもう幼稚園児じゃない。立派な“児童”なんだ」という思いがいっそう強まりました。

お友達と色々なことを語り合いながら歩いて学校に行くのも大好きでしたが、帰り道にひとりで下校を味わうのも好きでした。道端に咲いている花に目をやりながら歩く贅沢を、毎日かみしめていました。

食べることにあまり興味がなく、音楽と読書の虫だった私が他にひそかに好きだったのは、花を見ることです。幼稚園の頃、母がしょっちゅう連れて行ってくれた養種園と呼ばれる公園への散歩が大好きだったことは、よく覚えています。そして、これは記憶がないのですが、母によると、訪れるたびに「チューリップさん、こんにちは。また、来ましたよ」などと、花に声をかけたり、風に揺れる花々を見ては「ママ、ほら、見て見て！お花がダンスしてる！」と、はしゃいだそうです。

学校の帰り道ですから、目に入ってくる花はある程度限られてはいました。でも、沈丁花の花の香りにうっとりしたり、鶏頭の花の強い色や独特の質感に怯えたり、パンジーの花の模様がたまに人の顔に見えることに気づいて、つい足を止めて一つ一つを観察してしまったり…と、刺激には事欠きませんでした。開きすぎてしまったチューリップに出会ったときは、なんだか切なくなったものです。姿が乱れてしまうからだけでなく、球根が傷んでしまうことが気になっていたのかもしれません。

そして、子供のくせに、なぜかあまり鮮やかな色の花よりも、白い花が好きでした。雪柳に沈丁花、白木蓮、コブシ、小手鞠…。普通は紫色の露草ですが、たまに白い花にものもあって、それを発見したら何かいいことがありそうな気になったものです。

今も、レッスン室や玄関には、生花を欠かさないようにしています。特に立派な切花がなくても、ベランダから摘んでちょこちょこっと活けるだけでも、気持ちが和むのです。

ところで、夢みる少女だった私は、『ムーミン』のムーミンママを理想の母とあがめておりました。ムーミンママは、今でも目標の女性（妖精？）です。ムーミンママは料理上手で、どんな客人もいつも暖かくもてなし、パパのたて方も絶妙だし子供の意見もよく尊重します。物腰は穏やかで優しいのに、ちょっとやそっとのことには動じない強さがあるところも、素敵です。

（ちなみに、理想のパパは『ひみつのアッコちゃん』のアッコちゃんのパパ。豪華客船の船長さんなので、普段は家にいないのですが、船上でアッコちゃんの誕生を知ったとき、喜びのあまり海に飛び込んでしまった…、というエピソードにやられました。）

そんなムーミンママの名言に“パンケーキにジャムをのせて食べる人に、悪い人なんていませんよ。”というのがありましたが、ママ風にいうならば“部屋に花を飾る人に、悪い人なんていませんよ。”

花人、川瀬敏郎さんの“なげいれ”の花が大好きで、『花に習う』という作品集（平凡社：別冊太陽）は、お気に入りの一冊です。川瀬さんの手にかかると野山の花たちは、器や空間との調和を得てますます生命を謳歌するようにその輝きを増すのです。彼は草花を生けるときに、花の咲いていた場所の空気ごといけることを心がけるそうです。「自然は生まれてこの方、自分の言葉をもちながら育ち、年老いてそこにたたずむ。洗われた眼で、自然を読み続けることが大切なんです。」

私が常に花をもとめるのは、そこに心の中の疑問に対する答えのヒントが隠されているのを、どこかで感じているからなのかもしれません。</description>
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         <pubDate>Fri, 09 Apr 2010 10:33:15 +0900</pubDate>
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